僕を振った教え子が、1週間ごとにデレてくるラブコメ 1

8月・3 初めての家庭訪問 ①

 これから僕は、受験生・芽吹めぶきひなたの家庭教師として活動する。

 その日の昼過ぎになると、鞄に筆記具や講師用の書類を詰め込み、出かける準備をした。

 服装をどうしようか考えて、学校の制服を着ることにした。なんだか生徒みたいだけど、これなら毎週の家庭教師のたびに服を考えなくて済みそうだ。

 そうして夏休みも終盤の今日、僕は芽吹さんの家に向かった。

 市内を走るバスに乗って約二〇分。少し距離が離れているけど、バスの時刻に合わせて家を出れば移動時間はそれほど長く感じない。

 バス停で降りて、住宅地の道を五分ほど歩くと、芽吹さんの家の前に到着した。

「こんなところに住んでいるんだ……」

 彼女と接していて育ちのよさは感じていたけど、想像以上に優雅な自宅だ。

 落ち着いた雰囲気の住宅地にある二階建ての一軒家。大きな窓と平たい屋根のある建物で、品のいいデザインから見ても豊かな家庭なんだと思わせる。

 門の前から建物を眺めながら、ふと疑問を抱いた。

 芽吹さんは金銭的な事情で塾を辞め、授業料を安く済ませられる僕に家庭教師の依頼をしたのだと言っていた。

 けれど自宅の建物からして、お金に困っている家庭には見えない。

 もちろん見た目に反して家計が火の車だという可能性はあるけど、塾代も出せないほどなんだろうか? 彼女が通っていた『一番合格ゼミナール』は、僕のような一般家庭の生徒でも入塾できる程度の授業料なのに。

 まあ、人の家庭の金銭事情を詮索してもしょうがない。

 僕がするべきは、与えられた依頼をこなすこと。

 門柱のインターホンを鳴らすと、しばらくして芽吹さんの応答があった。

「こんにちは! 家庭教師の若葉野わかばのです」

「お待ちしてました、先生! 今出ますから、ちょっと待っててくださいね!」

 やがて玄関の扉が開き、芽吹さんが姿を現した。

 清楚なブラウスの下で長めのスカートをはためかせ、門のところまで駆けてくる。

 今まで、塾で芽吹さんと会うときはいつも制服姿だった。初めて見る彼女の私服姿は、出会ったばかりのような新鮮さを僕の目に焼き付ける。

「ようこそ! ふふふっ、なんだか先生を家にお招きするなんて、不思議な気分です。一年前はこんなこと想像もしてなかったのに」

「僕だって、本格的に勉強を教えることになるとは思ってもいなかった」

 話していると額に汗がにじんでくる。バス停から数分とはいえ、夏の日差しの中を歩いたのだから無理もない。汗をぬぐおうとポケットに手を突っ込んで、気がついた。

「あれ? ハンカチを忘れてるな。まあいいや」

 僕は腕を伸ばし、半袖の制服で額を拭こうとする。

「いいや、じゃないですよ! 制服が汚れちゃいます!」

 芽吹さんはあわてて僕の手首をつかんで額から引き離す。

 自分のポケットからハンカチを取り出し、僕の額を拭いてくれた。

 ほんとに人がいいというか、親切な子だ。もっとも僕としては、そんな急に触れられると、どうしても彼女の細い指先を意識してしまうのだけど。

「外は暑いですから、早く中に入りましょう」

 案内されて屋内に入ると、外見と同様に、落ち着いた西洋風の空間が広がっている。

 玄関の壁に、どこか外国の風景を撮った写真が飾られていた。

 澄んだ青空の下、のどかな田園地帯の向こうに雄大な山脈が広がっている。人々の営みを優しく包み込むかのように、自然の台座が荘厳に鎮座していた。

「これ、お父さんが撮った写真なんですよ」

 いつの間にか見入っていた僕に、芽吹さんが説明してくれた。

「風景写真家なんです。世界中を飛び回っていて、いろんな土地で自然の風景を撮影してるんです。最も美しい瞬間を撮るために、田舎の宿とかキャンプ場とかに何日も寝泊まりして」

「貴重な瞬間だから、つい目を奪われるんだな」

「今も仕事で外国に行っていて、来月まで帰って来ないんです。そのあと、すぐまたどこか行くみたいで。もっと家族と一緒にいてほしいです、まったく」

 口をとがらせてぷんぷん怒った顔をしてみせるものの、心の中では父親への愛情にあふれている様子がよく伝わってくる。

 それから僕は一階のリビングに通された。

 部屋の中央にソファとガラステーブルがあり、壁際に大きなテレビが置かれている。

 カーテンの開け放たれたガラス戸の向こうは小さな庭で、強い日差しが草木をつややかに照らしていた。

「お母さんを呼んできますから、座って待っていてくださいね」

 芽吹さんがリビングから出ると、僕はソファに腰掛けた。

 家庭教師の約束をしたといっても、まだ正式に契約を結んだわけじゃない。それまでに越えねばならないハードルがある。

 芽吹さんの親の承認だ。

 家庭教師は、生徒の保護者に雇われるものだ。僕はこれから芽吹さんの親と面接し、承認されて初めて家庭教師になれるというわけだ。

 やがて足音が聞こえ、リビングの扉が開いた。芽吹さんは三つのグラスが乗ったトレイを持っていて、氷の入った麦茶を一つずつテーブルに置いた。

 そのあとからもう一人、大人の女性がやって来た。芽吹さんの母親のようだ。

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