僕を振った教え子が、1週間ごとにデレてくるラブコメ 1

8月・3 初めての家庭訪問 ②

 きれいな人だなあ……。というのが、芽吹めぶきさんの母親を見たときの第一印象だった。

 母親がリビングに入っただけで、部屋の上品さが一段階上がった気がする。

 彼女は紺色のブラウスを着て、髪をボブカットに整えている。

 整った鼻筋と意志の強そうな目。正確な年齢はわからないけど、まだ三〇歳にも見える。中学生の親だから、実際はもっと上だろうけど。

 そして確かに芽吹さんの面影があった。でも優しさのある芽吹さんに比べて、ずっと気が強そうにも感じられる。

 母親は向かいのソファに座り、じっと僕を見つめた。突然の来訪者を見定める目で。

 僕は少しばかり緊張しながら頭を下げた。

「わ、若葉野わかばの瑛登えいとです。よろしくお願いします」

「ずいぶんお若いのね。高校生?」

時乃崎ときのさき学園高等学校の一年生です。昨年までは『一番合格ゼミナール』に通っていて、進学後は受験生の役に立ちたいと考え、家庭教師センターに登録しました」

「ひなたとは、どのようなご関係ですか?」

「ひなたさんとは、塾に通っていたころに同じ塾舎で知り合いました。僕が一学年上ということで、ひなたさんの勉強についてアドバイスしたことがあって、それで今回、家庭教師として指名していただけたのだと聞いています」

「それだけ?」

 母親は疑うように少し目を細めた。

 無理もない。娘と同年代の異性が自宅にやって来たら、親としては心がざわめくだろう。

「お母さん!」

 横のソファに座っている芽吹さんが声をあげた。

「わたしと若葉野さんは、お母さんが考えてるような関係じゃないから! 去年の秋、急に成績が伸びたの覚えてるでしょう? あれが、若葉野さんが勉強を教えてくれた結果なの!」

 聞きながら、少し胸の奥が痛んだ。

 僕は芽吹さんに告白している。純粋に勉強していただけの関係じゃない。

 しかし芽吹さんの言葉も嘘ではない。

 芽吹さんははっきりと告白を断ったし、僕もその返事を受け入れた。

 告白を過去のものとした上で、家庭教師の契約をするのだから。

「ご心配はあるかと思います。そこで『一番合格ゼミナール』では、家庭教師に様々な規約を設けているのです。もちろん、恋愛に関する禁止規定もあります」

 僕は鞄から保護者向けのパンフレットを取り出し、母親の前に差し出した。

 規約には、家庭教師と教え子の恋愛や、それに類する不健全な行為は禁止であることが明記されている。そうした行為が発覚した場合は契約を解消され、家庭教師としての登録を抹消されるような重いペナルティーが課せられる。

 それでも難しい顔をしている母親に向かって、芽吹さんが声をあげた。

「お母さん、言ったでしょ。自分で進路を決めたいのなら自分の力でやりなさい、って。だから自分で家庭教師の先生を見つけたの! これからはわたしの自由に勉強するから!」

「ひなた、意地を張るのはおよしなさい。わたしが信頼できる進学先に推薦してあげると言っているでしょう? 何が不満なの?」

「お母さん、全然わたしの希望を聞いてくれない。わたしのこと勝手に決めて……」

「勝手ではないのよ。ひなたのために、一番よい進路を考えているの。進路は人生に関わることなのだから、いっときの憧れや希望で簡単に決めるようなものではありません」

「簡単になんか、決めてない。ちゃんと考えてるから……」

「そう。なら好きにしなさい。間違いに気づいたら、いつでも言うのよ」

 彼女は再び僕のほうを見て、釘を刺すように言った。

「家庭教師は構いませんが、ひなたの将来のじゃまにならないように。いいですね」

「は、はい。決して受験のじゃまになんか……」

 言い終わるより早く母親は席を立ち、背を向けてリビングの扉から出て行く。

 あとに残された芽吹さんは、どこか寂しそうな表情で目を伏せている。

「芽吹さん、大丈夫? お母さんと言い合ってたけど」

「すみません、心配をおかけして。でもこれでお母さんの了解を得られましたよ。正式に家庭教師の契約ができますね!」


 母親との面接を終えると、僕は二階にある芽吹さんの部屋に案内されることになった。

 家庭教師になれば、毎週彼女の部屋に来て授業をすることになる。

「芽吹さんのお母さんって、若いんだね」

「そうですか? 親としては普通の年齢だと思いますけど。もう四七歳ですし」

「ほんとに!? 全然そう見えないな。僕の母さんと同じくらいなんて信じられない」

「お母さん、昔はタレントの仕事をしてたんです。あまり有名になれなくて、結婚を機に引退しましたけど。今でも身だしなみに気をつかっているから、若く見えるんだと思います」

「タレントだなんてすごいなあ。テレビに出てたとか?」

「そうみたいですね。わたしが生まれるよりずっと前の話なので、番組を見たことはないんです。お姉ちゃんはビデオを見せてもらったそうですけど、『あんなぶりっ子してて、同一人物とは思えない』なんて複雑そうな顔をしてました」

「芽吹さん、お姉さんもいるんだね」

「もう結婚して家を出てますけど、たまに帰ってきて、一緒に遊んでもらってますよ」

 さっきは険悪な雰囲気だったけど、彼女の態度を見る限り、家族の仲は悪くなさそうだ。

 それにしても、芽吹さんもまた、歳を重ねてもあんなに美しいままなんだろうか?

 今は中学生相応の顔立ちだけど、整った目鼻立ちが大人びて感じられることもある。そんな魅力が、この先いっそう増していくのだとしたら……。

 成長した彼女がどんな女性になるのか、想像しただけで胸が高鳴ってしまう。

 しかもそんな芽吹さんと、彼女の部屋で授業。二人っきりで。

「先生、どうしました? さっきから胸に手を当てて」

「その、階段を上がったら心臓がドキドキしちゃって」

 気持ちを悟られたくなくて、つい適当な言い訳をしてしまった。

「ちょっと急な階段ですけど……このくらいで息切れなんて、運動不足ですよ」

「きっと、外が暑かったから体力が減ったんだ」

 またも適当な言い訳をしながら、二階の廊下を進んで突き当たりの部屋の前に来る。

 ここが芽吹さんの部屋だそうだ。

 かつて彼女に恋していたころ、何度も夢想しながら届くことのなかった聖域。

 その扉が、今、目の前にある。

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