僕を振った教え子が、1週間ごとにデレてくるラブコメ 2

12月・1 もう後戻りはできない! ③

 僕の目の前に顔を寄せ、芽吹めぶきさんは大きな瞳で見つめながら、紙ナプキンを持つ指先で僕の口元を押さえ、ゆっくり左右に拭いていく。

 真剣なまなざしで見つめられながら、唇に当てられたナプキン越しに彼女の指先が感じられ、僕は座ったまま身をゆだねることしかできない。

 やがて口元を拭き終わると芽吹さんは手を離し、僕の顔を一通り眺めまわしたあと、ニコッと満足そうに笑った。

「おしまい、です。すっかりきれいになりましたよ、先生」

「あ、ありがとう……」

 至近距離で見つめられて、僕はそれだけ言うのが精一杯だ。

 そうしてファミレスのテーブルで、ドリンクバーのティーカップを横に置きながら、僕たちは授業を始めた。

 授業と言っても、ここはファミレスだから大きな声を出すわけにいかない。

 なので僕が芽吹さんの学習状況に最適な問題をピックアップして、それを解いてもらうという勉強の流れになった。

「――次はこの英文を訳してみよう。五番の訳文を書いてみて」

「はい。ええと、『アイ、ウィル』……」

 芽吹さんは参考書とにらめっこしながら英文をつぶやき、ノートにボールペンを走らせる。

 授業の間、芽吹さんは黙々と問題に取り組み、僕は彼女が解答に迷っていないか観察しつつ見守った。

 見ている限り、芽吹さんは順調に各問題に取り組んでいる。

 一安心しながらテーブルのティーカップを持とうとした。

 そのとき勉強中の芽吹さんも左手を伸ばし、カップをつかんだ僕の手に重ねてくる。

「め、芽吹さん?」

「すみませんっ!!」

 芽吹さんはハッとした様子で顔を上げ、あわてて左手を引っ込めた。

「ノートに集中してて、つい自分のカップと間違えちゃって……」

「ほら、芽吹さんのカップはこっちだよ」

 彼女は自分のカップを手に取り、動揺を落ち着けさせるように紅茶をコクコクとのどに流し込んだ。

「危なかったですね……。気づかなかったら、先生の紅茶を飲んじゃうところでした」

 つい、僕のカップに芽吹さんが口づけているシーンを想像してしまう。

 つまりそれって、いわゆる間接キ……。

 いやいやいや、教え子相手によこしまな妄想を抱いてはいけない。

 僕もまた自分のカップを手に取り、紅茶を一口飲んで気持ちを静める。

 芽吹さんの家庭教師を引き受けてから、もう三か月以上。

 毎週のように彼女の部屋で授業をして、オンライン越しに顔を合わせてきた。

 そんな日々を送るうち、彼女との距離はいつしか近くなっている気がする。

 美しい彼女の間近で過ごしていると、しょっちゅう胸が高鳴ってしまう。

 一年前に僕が恋していた芽吹さんの魅力は、今も色あせていないんだ。


 ファミレスでの授業を終えた僕と芽吹さんは、近くのバス停で帰りのバスを待っていた。

「どうだった? ファミレスでの授業」

「家で勉強するより集中できました! やっぱりまわりに人がいると緊張感がありますよね。自分の部屋でずっと勉強していると、眠くなってウトウトしちゃいますし」

「寝ようと思えばいつでも寝られる環境だからね」

「もちろん、外でばかり勉強するわけにいきませんから、もっと集中しなきゃいけないって、わかっているんですけど……。これからは今まで以上に勉強しなきゃいけないのに」

「芽吹さんの成績はもう十分だ。無理しすぎないように注意することも大切だよ」

「そうですね。また大事なときに体調を崩したら、先生にも迷惑をかけてしまいますし」

 しかし芽吹さんは、まだ不安そうな表情をしている。

「心配ごとでもあるのかな? そんな感じの顔をしてるけど」

「ちょっと、責任を感じちゃって」

「責任って?」

「わたし、自分で時乃崎ときのさき学園を受験するって決めたじゃないですか。お母さんにも認めてもらえて、正式に志望校が決まって……。これからは自分自身の責任で受験に立ち向かうんだってことを、自覚しなきゃダメですよね」

「芽吹さんだけじゃないさ。僕だって芽吹さんのお母さんにあれだけ宣言した以上、しっかり家庭教師として指導しないとって思ってる」

「これからも厳しくご指導をお願いしますね、先生!」

 芽吹さんは僕の正面でペコリと頭を下げる。

 自分で決めた道である以上、もう誰の責任にもできない。自分自身の責任で目指す道を進むしかない。

 彼女も、この僕も。

「大丈夫。芽吹さんなら絶対に合格できるさ」

「先生にそう言ってもらえると、安心です」

 ほほ笑む彼女の表情が少しばかり柔らかくなった。

 頼ってくれる芽吹さんに応えるためにも、家庭教師の責任をまっとうしなければ。

 僕は胸の内で、あらためて決意を固めるのだった。

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