あんたで日常を彩りたい

【第一幕】 『かくして』(1)



夜風よかぜも知ってのとおり、我らが1年C組には、ひとりだけ不登校の生徒がいるよな?」

「いるね。いるのかどうか観測できないけど、名簿には載ってるね」

「相変わらずお前はややこしいやつだな。担任の私がそう言ってるんだから、いるの」


 殺風景な面談室。ぼくと相対する教諭––––花菱はなびし皐月さつきは、神妙な面持ちで語り始めた。

 40デニールの黒タイツを纏った両脚を組み替えながら、こちらの表情を伺う。


「ってわけで、頼むわ」


 皐月さんの突拍子もない言葉に、思わずぼくは額を抑える。


「主語も目的語も定かじゃない状態で、なにを頼まれろっていうのさ」

「不登校の同級生の部屋に赴いて、穂含祭ほふみさいの申請書を回収してこいって話だよ」

「いまので伝わるか!」


 ぼくが声を荒げる と、皐月さんは「しっ」と人差し指を自らの唇にあてがう。


「あまり大きい声を出すな。教師と生徒がただならぬ関係だと思われちゃまずいだろ」

「思われてたまるか。第一、ここは女子校でしょ」

「おいおい夜風。先生として、ひとつ大事なことを伝えておくが……」


 皐月さんは懐から扇子を取り出し、開いて胸元を扇ぎつつ続ける。


「ありがたい神託として受け取っておけ。『ただならぬ関係』に性別は関係ねえんだ」

「高校教諭が生徒に教えていいカリキュラムじゃないと思うけどな、神託」


 神のお告げのことだ。

 つまり、目の前でぼくになにか面倒ごとを押し付けようと画策する皐月さんは自らを神様だとのたまっているわけだ。厄介この上ない。

 傍若無人が服を着て歩いているといっても過言ではない皐月さんが言うのだから恐ろしい。子どものころから親族会議で顔を合わせるたび、ひどい目に遭わされてきた記憶が蘇る。


穂含祭ほふみさいは、うちの学校––––朱門塚女学院で7月に行われる学園祭だ。生徒全員がなんらかの作品を出典し、それが1学期の学業成績として評価される。成果物の種類は問わない。映画、演劇、MV、写真集、絵画、演奏、彫刻……と、なんでもござれ。表舞台に立たずとも、生徒間の共同制作物として名前がクレジットされていれば、なんだって評価対象になるわけだ」

「誰に向けてのものかわからない、詳細な説明をありがとう」


 いち生徒であるぼくにとっては何度聞いたかわからない内容だ。

 皐月さんはそれでも続ける。


「ただし、展示スペースや来客者の導線の確保のために申請書の提出がマストになる。申請を出さなければ当然、学園祭に展示物が飾られることも、舞台出番が回ってくることもない。よって成果物を発表することは叶わない。となれば……どうなる?」

「……一発留年」

「大正解。必然的に、申請書を提出できていない不登校児は否応無しにダブりまっしぐら」

「つまり用件は、ぼくが直接そのクラスメイトのところに赴いて申請書を渡した上で、その場で必要事項を記入させ、回収して戻ってこい……ってことだ?」

「よく分かってるな、さすが夜風だ、えらいぞー」

「頭を撫でようとしないで。髪が崩れる」


 ぼくが手をはねのけると、皐月さんはふたたびソファに腰を下ろして語りはじめる。


「なんだよー、女子高生みたいなこと言うじゃん」

「女子高生じゃなくても嫌がるよ」


 皐月さんはむすっと頬を膨らませてふたたび着席し、さらに続ける。


「うちの学校って特別だろ? ありえねぇくらいにバカ高いハードルを超えた 、選ばれし精鋭たちが全国各地から入学してくるんだぜ」

「まだ話が見えないんだけれど」

「だからな? そんなふうに才気に満ち溢れた将来有望な女子高生がさぁ。日の目を見ないまま消えていくなんて無体な話だと思わねぇか?」

「前置きはいいよ。本当のところは?」


 ぐしゃぐしゃにされた前髪を手櫛で戻す。わざわざ放課後に呼び出され、面談室に連れてこられたのだ。さぞ重要な理由が隠れているのだろう。皐月さんとは子どもの頃からの付き合いだから、ある程度の意図は察知できる。


「いいか。朱門塚しゅもんづかで、クラスから留年生を出すと……どうなると思う?」

「どうなるの?」

 皐月さんはぼくの目をじっと見つめながら、神妙な面持ちでこう言った。


担任教師わたしが学長にめちゃくちゃ詰められるんだ」


 そんなことだろうと思った。


「ご愁傷さまです。それでは失礼––––」


 言い捨てて席を立とうとしたところで「ふぎゅっ!?」視界がぐるんと一回転し、その直後、したたかに尻を床に打ちつけた。足払いをかけられたらしい。鈍痛と屈辱に顔を歪ませながら皐月さんを睨め付けると、まるで悦に浸っているかのような表情で見下ろされる。


「おいおい、なんだそのかわいい般若みてえな形相は。デペイズマンを感じるぜ。かわいいと般若って対義語みてえなもんだからなぁ」

「よくわからないことを喋りながらマウント取らないで」

「お前はマジで変わんないな! 子どものころと同じでかわいいままだ!」

「だから頭を押さえないで。髪が崩れる」


 念のため明らかにしておくと、この担任教師––––もとい皐月さんはぼくの従姉にあたる。

 ぼくたち花菱一族の人名には『風』『鳥』『月』のうちいずれかの1文字が含まれていて、授けられた名前によって本家なのか分家なのかが判別できるようになっている。

 いつ決められたものかは知らないけれど、受け継がれている風習。『風』の字を持つ花菱宗家出身者のぼくと『月』の分家出身者である皐月さん。純粋な関係性だけ見ればぼくのほうが上の立場にあたるのだけれど––––諸般の事情により、やや例外的な立ち位置を築いている。

 それもこれも、すべては皐月さんの奔放さに起因しているのだが。


「なぁ夜風ぇ、頼むよぉ。お前はこういうのに適役なんだよぉ」

「ひっつかないで。懇願しないで。どうしてぼくが適役なのかを説明して」

「伝聞の解像度は高いほうがいいじゃん?」


 皐月さんがゆらめく海藻のようにしなだれかかってくる。


「夜風なら、どんな人間なのかすぐに特徴を憶えられるだろ」

「また大事な部分が抜けてる。はっきり言ってくれていいよ」


 諦念を含んだ言葉を投げ返すと、皐月さんは衝撃の事実を口にした。

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