あんたで日常を彩りたい
【第一幕】 『かくして』(4)
喉奥に声がつっかえて適切な言葉が出てこない。というかこの状況における適切な言葉っていったいなんなんだ!
「気にすることでもないんじゃない? 昔の彫刻なんてモロに出てるじゃん」
「そういう問題じゃない!」
「裸婦画とか見たことない?」
「論点が迷子!」
「はあ?」
「そうじゃなくて!」
胡乱げな視線を送ってくる橘さんに、ぼくは吠えた。
「ぼくの性別に気づいただろ!」
朱門塚女学院1年生、花菱風音––––それはぼくの仮の姿。
本来のぼくは15歳の男子、花菱夜風。
当たり前のことだが、男性が女子校に通うなんて許される話ではない。
そしてもちろん、ぼくが置かれている環境は、ぼく自身が望んだことではない。
だからこそ、ぜったいにバレてはならないのだ。
どうしてこんなミスを……と、事実を知られてしまった絶望に苛まれる。
しかし。
「なんだ、そんなことか。男だってことははじめから分かってるよ」
些細なことだとでも言わんばかりに彼女は言う。今度はぼくが疑問を呈する番だった。
「……はじめから?」
「骨格を見れば一発じゃん」
橘棗の言い放ったこの声に、ぼくの意識は猛スピードで現実逃避を開始した。
––––さて。
ぼくの実家、花菱家の話をしよう。
古くから独自の日本舞踊を受け継いでいるのだけれど、世間一般で知られる伝統芸能––––たとえば歌舞伎や能などがそうであるように、ひとくくりに伝統舞踊といってもほかの種別とはまったく異なる独自の文化体系を持っている。
もっとも特徴的なのは、完全なる女系一族であること。
つまり、花菱家の当主は代々女性が継承しているのだ。
そして––––時期当主の座には、ぼくの姉が着く予定となっていた。
もとはといえば、この朱門塚女学院には姉が通うはずだったのだ。
当然である。生徒の自主性を重んじ、あらゆる芸能、芸術の発展に貢献すべく設立された特殊な学園がこの場所だ。伝統舞踊の次期当主が通うこと自体には、なんの不自然さもない。
しかし、あるとき姉はあっけらかんとこう言い放ったのだ。
『舞踊? やらないよ、そんな辛気くさいこと。家なんて継ぐ気もないし。あたしは硬派に生きるって決めたの。中学を卒業したら海外を回るんだ』
はじめは頭のネジがぶっ飛んだのかと思ったけれど、後々その認識が間違っていたことに気づく。まさか本当に海を渡るなんて思わなかった。ぼくを含め、姉を知る誰もが。
ぼくの姉――正確には、ぼくの二卵性双生児の片割れの名前は、
中学校を卒業した瞬間、入学前に『んじゃ後はよろしく』と言い放ち、バックパックひとつ抱えて実家の屋敷を飛び出したとんでもない女、花菱風音。もともと破天荒な気質は見え隠れしていたけれど、ここまでの奇行は無かった。
しかし、話はここで終わらない。
極限までテンパった花菱家のお歴々は『由緒正しい舞踊の次期家元が、国内随一の芸能高校への入学をすっぽかす』という珍事態をなんとか隠そうと親族会議を開いた。
導き出された結論はこうである。
『花菱風音の双子の実弟である花菱夜風を、代役として入学させる』
繰り返すが、花菱家は完全なる女系一族である。
当然ながら、男性よりも女性のほうが優位な立場を持っている。
花菱家に生を受けた女子は幼少期から徹底して舞踊のなんたるかを叩き込まれる。一方、男子は基本的に放逐され、実家との交流はほぼ断絶。親族の集会にも参加しない。
ゆえに『姉の代わりを弟がやれ』は、花菱家においては理不尽が通ってしまう。
そして幸か不幸か、ぼくは風音の片割れとしてこの世に生まれ落ちてしまった。
子どものころ、風音と行動をともにしていたことで『女の子らしい所作』を見て、覚えて、勝手に身につけてしまっていたのも、この無謀なプランの実現可能性を高めてしまったのだ。
かれこれ2ヶ月の間、ぼくが女子高生として学生生活を送れてしまっている事実が、完璧な擬態の証左。ここまでバレないと逆に焦燥感が出てくるなぁとすら思っていた。でも––––。
「なるほど。つまりあんたの本名は花菱夜風で、花菱風音は朱門塚女学院における通名で、花菱さんの実家は伝統舞踊を代々受け継ぐ由緒正しい名家で、あたしと同い年の男だと」
ひとしきり情報を共有したあと、橘さんは表情ひとつ変えずにそう言った。
ふたたび、こちらから切り出す。
「…………いつわかったの?」
「変な言いかたをするよね。はじめからわかってるってば。骨格見れば分かるって。手首とか首筋をうまく隠してるけど、そういうの逆にわかりやすいし」
こちらの問いに、あっけらかんと言い切る橘さん。
心のなかで、積み上げてきた自信が音を立てて崩れていく音がした。
「……交換条件は?」
混乱する思考を押し殺しながら伺いを立てる。
「交換するの? なにを?」
「とぼけないで。ここは女子校で、ぼくは男性で、それを周りに知られるわけにはいかないんだ。事情があるから。だから、橘さんには黙っていてもらう必要がある」
「心配しないでも他言しないけど? 信用できない?」
「むしろ、さっき出会ったばかりの人間に全幅の信頼を置けるわけないでしょ!」
「なるほど、そういうものかぁ。それじゃあ——」
提示された条件に、ぼくは首を縦に振るほかなかった。