あんたで日常を彩りたい

【第一幕】 『かくして』(7)


 世間に知られる有名なイラストレーター『夏目』。

 対して世に知られていないその正体は、同じ道を志す人間ならば誰でも羨むような立場を持つ女子高生、橘棗。

 秀でた技量と独創的な世界観を持ち、他人とは一線を画した評価を受ける彼女の、それは誰も想像できないような願いだった。


「だからあんたは、あたしが円満に『高校生』できるように協力してね」


 はじめて橘さんと出会った日、こんな提案を受けた。


『じゃあさ、あたしが他言しない代わりに、あたしが留年しないようにサポートしてよ』


 内容だけ見れば脅迫である。

 けれど、馬鹿馬鹿しいまでに横暴なその提案を、ぼくは頭ごなしに否定できなかった。


「……その場合、ぼくが受けるメリットは?」

「あんたがあたしを受け入れれば、必然的にあたしもあんたを受け入れる。それじゃだめ?」


 その言葉を受けて、率直に「いいな」と思った。

 思ってしまった。

 理由のひとつは、生まれてこのかた同世代の友人すらできなかったぼくにとって、花菱夜風という存在をありのまま受け入れてくれる人間ができることを『嬉しい』と感じたこと。

 もうひとつは––––。


「それじゃ、これからよろしくね。夜風」


 はじめて橘さんが絵筆を置いて、キャンバスから視線を切って。

 にっこりと笑いかけてくれたから……かもしれない。



 いったん橘さんと別れ、寮の廊下をゆっくりと歩きながら、思考をまとめる。

 前提として、ぼくは平穏な生活を過ごせればそれでいいのだ。

 国内の各地から新進気鋭のクリエイターが集まる、唯一無二の女子校。

 実家の都合で入学させられたこの場所に、なんの目標も夢も持っていない。ただ惰性のまま過ごすよりも、純粋に刺激をもらえる環境のほうが良い。自分が将来どうしたいかを考える機会にもなるだろうから。


 自室のドアの鍵を開けようとしたところで、貼り紙の存在に気づいた。朝、登校する際にはなかったものだ。ということは、学生寮から登校し、放課後に帰ってくるまでの時間に、これが用意されたことになる。なにか連絡事項だろうか。

 いったい誰が? と直感的に疑問が浮かぶ。

 さはさりながらも、内容を確認しなければ。

 ぼくは貼り紙を手に取り、目を通して––––そのままフリーズした。


『花菱夜風

 上記生徒は、5月25日付で指定の居室へ移動すること』


 書類が示していたのは、既入居者––––橘棗との同居。

 …………へ?




「どうもなにも、今日から夜風は、橘棗と同じ部屋で暮らしてもらうってだけだよ」


『どういうことだ』というぼくの問いかけに対する皐月さんの答えがこれだった。

 眠そうに目を擦りながら、あられもない姿の皐月さんは淡々と続ける。

 ぼくは額に手を当てて嘆息するほかなかった。

 朱門塚学園には教師向けの単身寮が設けられている。急な転居を知らせる紙を目の当たりにして、ぼくがまず向かった先は教員室だった。しかし皐月さんの姿はすでに無く、ぼくは生徒がふだん足を踏み入れることのない学生寮の7階へと足を向けたのである。


「入寮当初、ぼくは単身での生活を許可されたはずだよね?」


 皐月さんはこちらの主張を意に介さず、タバコに火をつける。


「花菱風音って言えば、学校からすりゃ由緒正しき花菱宗家の跡取り娘だからなぁ。特待生には厳しいのに、家柄のある人間には弱いあたり、私立校は企業と変わんねえんだなぁ」


 すぅ……と大きく呼吸して、マフィアのヘッドみたいにひと息で紙を灰に変えていく。短くなった紙片を灰皿に擦り付けながら、皐月さんはさらに続けた。


「ただなぁ夜風。うちの学生寮が原則的に2人部屋なのは知ってるだろ?」


 入学当初、パンフレットに記載されていたので知らないわけがない。

 要項の27ページの4センテンス目に記されていた。箇条書きで。


「話が変わったんだよ。橘棗は花菱風音の真の姿––––花菱夜風を知ってなお、夜風を夜風として受け入れている。つまり、お前がこの学園において自然体で過ごすために必要な工程をひとつクリアできる条件が揃っちまったわけだ」

「ぐぅ…………」


 本来なら2人で共同生活を送るはずの部屋に単身で入寮したことについて、多少なりとも周囲から妙な視線を向けられた事実は否めない。

 ぼくの格式高いお嬢様然とした完璧な立ち居振る舞いと、皐月さんによる「本来なら花菱にもルームメイトがいたんだが、実家の都合で入学が取り消しになったんだ」という半ば無理やりなフォローによってはぐらかしていたようなものだ。


「どうして学生寮が2人部屋なのか、理由を知ってるか?」

「知らないよ。見たことは忘れないけれど、聞いていただけならきっと忘れてる」

「お前ガキの頃からホント変わってねぇなァ」

「皐月さんに言われるのだけは納得できないよ」


 反射的に言い返すと、皐月さんは「まあ落ち着けって」とデスクの上に置いてあった未開栓のボトルコーヒーをこちらに手渡してくる。無言で受け取った。


「朱門塚に来る生徒は基本的にどこかブッ飛んでるだろ? 時間にルーズだったり、食事を忘れて体調が崩れたり、慢性不眠なんかを抱えてたりするんだよ。で、そういう生徒たちを共同生活させることによって互いにカバーし合ったり、わずかばかりでも協調性を育んでくれればいいなっていう願望が土台にあるわけ。どれだけ優れた作品をつくる人間でも、社会に放り込まれたら多少なりとも他人とコミュニケーションを取らなきゃいけねえからなァ」

「そこは同意するけど、ぼくには必要ないでしょ?」


 すると皐月さんは「いやいやいや」と目の前で大仰に手のひらを振る。


「身内として言わせてもらうけど、お前もわりと問題児なんだぜ」

「ぼくが……? どこが……?」


 まったく賛同できない言葉が返ってきて沈黙してしまった。ぼくが問題児? 幻聴か?

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あんたで日常を彩りたい2の書影
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