あんたで日常を彩りたい

【第一幕】 『かくして』(10)


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 あらかた経緯を説明したところ、当の橘さんの反応はというと……。


「そうなんだ。今日からよろしくね」


 当然のように受け入れられてしまった。

 あまりの急変ぶりに理解が追い付かない。


「おかしくない? さっきのパニックはなんだったの? 心配になるんだけど」


 橘さんの落ち着き払った様子に、こちらが狼狽する番だった。

 つい先ごろまで絶叫していたとは思えない。


「想定外の事態に弱いだけ。なるべくいろんなパターンを考えて毎日過ごしているけど、そのパターンを超えられるとどう対応したらいいかわからなくなる。だから疲れるんだけどね」


 疲れたのはこっちも同じだ。過呼吸を起こした橘さんの口元にビニール袋をあてがったり、頭を搔き毟る手を止めたりと散々だった。

 そんなこちらの気持ちなどおかまいなしに、彼女はさらに続ける。


「学生寮は原則的に2人部屋だもんね。ちょうどよかったじゃん」

「そういう問題なの? ぼくは男で、橘さんは女の子でしょ」

「隠してるわりにめっちゃ言うじゃん。ウケる」


 ウケるな! と叫びたい気持ちを抑えて拳を握りこむ。話が通じない……。

 人間の怒りは一過性のもので、数秒経てば沈静化するのだと聞いたことがある。ぼくはすぅっと深呼吸して気持ちを落ち着けてから口を開いた。


「……ぼくがいないほうが過ごしやすいんじゃない?」

「夜風があたしのルーティンに組み込まれれば問題ないよね?」


 どうして同居に前向きな考えかたばかり出てくるんだ。相変わらずなに言ってるかわけがわからないし。こういうのって、嫌がるのは女の子のほうじゃないの?

 よくわからない思考回路に基づいた、よくわからない理解。橘さんの脳内に導き出された結論に、ぼくの意見が介在する余地はないようだ。


 これは、いよいよ腹を括らなければならないか。

 どうやら、ほんとうに彼女との共同生活がスタートするらしい。


 廃墟のような空間。廊下の床面を埋め尽くす、衣服やゴミの山。

 脱ぎ捨てられたブラウスや絵の具が付着したまま固まった雑巾、飲み散らかされたペットボトル、口の結ばれていない45リットルの黒いゴミ袋などに埋められたこの部屋から。

 生活感を固めた汚泥に侵食されているような風景だった。先日までぼくが過ごしていた部屋との違いに頭を抱えてしまう。


 一度、自室に戻って荷物をまとめた。といっても私物はほとんど持ち込んでいないし、日用品を除いてスーツケースひとつに丸々収まってしまう程度。ゴロゴロとケースを転がしながら橘さんの部屋……もとい新たな住処へ向かうと、当の先住者の姿が見えなかった。


 勢いよく水の流れる音が耳朶を打つ。どうやらシャワールームから聞こえているようだ。この状況で入浴なんて、ほんとうになにを考えているのかわからない。

 それにしても部屋が散らかっている。遮光カーテンによって外界と隔絶された室内の空気は澱んでいて、一刻も早く換気したかった。ぼくが窓枠に手をかけたところで、背後から扉の開く聞き慣れた音が聞こえて––––。


「トリートメント切れたんだけどストックある?」


 浴室から橘さんが全裸のままひょっこりと姿をあらわす。


「あったはず。ちょっと待って」


 スーツケースの中から詰め替え用のパウチを取り出して放り投げた。橘さんは「わっあっおっ」と情けない声をあげてキャッチしようとしたものの、両手は空を切って、額にプラスチックのぶつかる情けない音が響いた。運動神経ないなこの人。

 床に落ちたトリートメントのパウチを拾い、踵を返す橘さんがすぐさま再び振り向いた。


「なんか反応ちがくない?」

「なにが?」

「あたしが夜風の裸を見たときは驚いてた。あれは演技だったんだ?」

「演技じゃないよ! だって……他人に裸を見られたのは初めてだったし……」

「逆に女体は何度も見てるわけだ」

「実家のお屋敷では入浴の世話係も兼ねていたから」

「あたしの身体に劣情を催したりしないの?」

「絶対に全裸のまま聞くべきことじゃないと思う」

「ふーん」


 そう呟いて、今度こそ橘さんは浴室へと戻った。扉の閉まる音を聞いてから、へなへなと腰が砕けた。こんな状況で共同生活を送るなんて無理があるとしか思えない。

 それなのに、どうして彼女のことが気になるのだろう。

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