あんたで日常を彩りたい2
序幕(2)
1日中部屋に籠っていて紫外線の影響をまったく受けないせいか、陶器のように白くなめらかな肌が視界に飛び込んでくる。
同居生活を送る上でこういうハプニングは何度も起こっている。とはいえ、慣れてしまって良いものでもないと思う。実際、棗さんの素肌はすでに頭の中にしっかりと焼き付いてしまっているので、いまさら実物を目にしたところでそれほど動揺することもない。
「お願いだから服を着ておとなしく待ってて!」
動揺しないわけがなかった。当たり前。ふたたび「うるさっ」と眉を顰める棗さんを外に追いやる。急いで身体の水分を拭い、衣服を身に纏って、頭にタオルを巻き、ドライヤーを抱えて脱衣所を出る。髪はベッドの脇で乾かせばいいや。
「んじゃあたし入るね」
「んあああ!」
素っ裸のままの棗さんとすれ違う。
なにも伝わってなかった!
水分を含んだタオルがもたらす重力にひっぱられるように、がくりと脱力する。
「はぁ……」
溜息をつきながらドライヤーの電源を入れて、温風を髪の毛に当てはじめる。
結果的にカラスの行水となってしまった。肌寒さを感じて、空調のリモコンを操作して室温を2度上げる。
――穂含祭で一緒に作品を創り上げた後も、結局ぼくと棗さんの関係はなにも変わらなかった。棗さんにとって、ぼくは共同生活を送るルームメイトであり、同時に共同制作者でもあるはずなのだけれど、それ以上でもそれ以下でもないらしい。
ぼくは棗さんの言動に振り回されながらも、彼女の描き出す世界に驚嘆するばかりで、同時に棗さんの彩る日常のひとつでありたいと思っている。
状況だけ見れば、互いに信頼し合っているパートナー同士といえるのかもしれない。
ひとつ問題があるとすれば――ぼく、
男性だから、女性の棗さんに気を遣うし、無言で浴室に侵入されると悲鳴だって上げる。
だが、幸か不幸か、棗さんはぼくのことを異性としてまったく意識していない。
ひとつ屋根の下どころか、ひとつ同じ部屋で生活を共にしているこの状況を、彼女の特異性が実現してしまっているのだった。
全国からアーティストの雛が集うこの学園において、ぼくには成すべき使命がある。
代々続く伝統舞踊の家系――花菱家の跡継ぎ、花菱風音。その双子の弟であるぼく、花菱夜風は、風音の影武者として学園生活を全うし、姉に経歴の一切を引き継ぐ。
それを越えた後、ぼくに何が待っているのかはわからない。知る必要もない。
そう思っていた。
棗さんの描く日常に触れるまでは。
「…………うん?」
シャワーを浴び終わって部屋に戻ってきた棗さんが、スリープモードだったパソコンをふたたび立ち上げた直後に、ディスプレイを見つめながら怪訝そうな反応を見せた。
「どうしたの?」
「仕事用のメールアドレスに新しい依頼が入ってた」
「それはよかったね」
「客観的に見てよかったのならおそらくよかったんだろうね。あたしが抱えている漠然とした将来への不安の解消に向かえるという点では新規顧客からの依頼が入るのは喜ばしいことなのかもしれないけど、一方で将来のあたしが現在の『夏目』を保っているかどうかわからない現状で案件を受け続けるのは正解なのかなと疑問に思うところはある。でもそれならいいや」
「ぜんぶ聞き取れたのに!」
早口すぎてなにもわからなかった!
テキストに出力してくれたら、脳内で読み返して理解できたのだろうけれど。
ぼくの困惑をよそに、棗さんは「ま、いっか。気分じゃないし」と口にして、制作を進めているらしきタブレットに視線を落としたのだった。
思えば、このとき棗さんに依頼の内容を促しておいたほうがよかったのかもしれない。
ただし……促したからといって、事態の進展を早めるのは難しかったのだけれど。