あんたで日常を彩りたい2
【第一幕】 『ひらいて』(2)
「いやいやいや! 棗さんが忙しいのは分かるけど、そろそろちゃんと話させてぇや!」
「べつに忙しくないよ?」
「じゃあ真剣な顔でデスクに向かってなにしてんねん!?」
「通販サイトで日本語の怪しい商品の広告を眺めてるけど」
「あぁ、あれな。ヨとヲが混ざってたり『しましょう』が『しまダう』になってたり、『衝撃の衝撃をお楽しみください』みたいに文字が重複してたりするやつな。あれブログにまとめてる物好きな人もおるよなぁやないねん! なんでそこにアンテナ向いてまうねん!」
「面白いじゃん。あたしたちは小さいころに日本語という『文字』を学んでコミュニケーションを取っているわけだけれど、ほかの国の人からは日本語が『文字』ではなく『記号』に見えてるわけでしょ? 裏を返せば、あたしたちがふだん使っていない言語をうまく作品に落とし込めば、感覚的に意味を込められる可能性もあるよね。どうなんだろ。ほかのアーティストもそういうのやったことあるのかな。あるよねきっと。小町は知ってる?」
のべつ幕無しに話し続ける棗さんの言葉に耳がついていかず、ぼくは途中から席を立ってカーテンを開けた。視覚過敏を持つ棗さんは、部屋の窓を常に斜光カーテンで覆っているので、この部屋に日光が差し込むのは実に3日目となる。ちなみに前回は棗さんがアイマスクと耳栓をして眠りについている時間帯だった。
てっきり棗さんが制作に集中しているものだとばかり思っていたので気をつかっていたのだけれど、ネットサーフィンしているのなら話は別である。特に不満をあげる様子もなかったので、ついでに窓も開けておいた。換気は大事である。
「そんなこと言うたらそもそも文字の定義かて微妙なとこやろ。ヒエログリフとかインダス文字なんかはウチらにはただの絵にしか見えへんけど象形文字やん? なんなら漢字なんて、もっとも文字数の多い文字体系やけど、あれも象形文字の一種やろ。当たり前に使っとるから認識にバイアスがかかっとるだけで、ほかの国の人からすれば漢字とかひらがなが記号とか絵に見えてしまうのは普通のことなんちゃうか? 知らんけど」
今度は小町さんが一気に答えた。棗さんが立て板に水のごとく語る際、ぼくは途中から話半分に聞いてしまうのだけれど、小町さんはこのとんでもないスピードの会話についていってしまう。結果、ぼくだけが取り残される。なんとなく窓の外に視線をやった。あー、鳥が飛んでる。なんの種類だろう。お屋敷の庭にはそこかしこに観ていたけれど、新鮮な風景に映る。
「関西の人ってほんとに『知らんけど』って言うんだ」
「いやまあほかの関西人のことなんて、よう知らんけどな」
「また言った」
「いまの『知らんけど』はニュアンスがちゃうねん」
「へえ。いろんな意味があるんだね。文字を記号として捉えるのと同時に、同じ文字にも別の意味が含まれているみたいな切り口からなにか作れたりしないかな」
「ロゴタイプにでも興味あるんか?」
「広告はあたしの専門外なんだけどどうだろ。デスメタルバンドのロゴくらいまで文字を崩していいならデザインできなくもないかもしれないけど」
ずっとなんの話をしてるんだろう……。
その後も小町さんと棗さんは、ぼくがあまり理解できない分野の話を延々としていた。手持無沙汰になったぼくは、なんとなく本棚に置かれている画集を開く。といっても、この部屋にある書物の9割が棗さんの購入したもので、おまけにぼくは一度読んだ本の中身をすべて覚えてしまうので「これ前にも見たなぁ……」以外の感想を抱けなかった。
ふたたびなんとなく窓の外に目をやると、太陽がわずかに傾いていた。傾いているといっても、まだまだ明るいけれど。
「――って! そういう話しとるんちゃうくてッ!」
小町さんの叫び声がふたたび部屋に響き渡る。棗さんが「うるさっ」と耳を抑えた。さきほども見た光景である。デジャヴかと思った。
「棗さん……初花祭、なんかやりたいことないんか?」
「あったらとりあえずディレクターにぶつけてるし、むしろディレクターが舵を切るところなんじゃないの」
「ウチ主導で進めて棗さんの意欲が乗らへんかったら本末転倒やろ。ディレクターは企画も含めて担うもんやけど、ウチらのチームに関しては0から1を生み出す役割は棗さんに統一しとかなあかんねん」
「そういわれても特にアイデアはないんだけど」
「なんか! なんかないんか!? ……夜風さんもなんか言うたって!」
「へっ?」
急にこちらに水を向けられて、ビクっと跳ねてしまった。貰い事故だ……。