あんたで日常を彩りたい2

【第一幕】 『ひらいて』(3)

「……棗さんは常になにかを考えている人なので、なにも出てこないなら出てくるまで待つ以外の選択肢はないと思うんですが……」

「それは百も承知やねん! ウチごときが『夏目』にあれこれ指示を出すんもちゃんちゃらおかしいことやとは理解しとる! けどなぁ……初花祭まで残り数週間です~、みたいなタイミングでいきなり『穂含祭みたいな作品をつくりたい』って言われたら終わりなんや! あれ作るのにどれくらい時間かかったか覚えとるか!?」

「……棗さんなら言い出しかねないですね」

「せやろ!?」

「わかる。あたしってそういうこと言いそう」

「他人事やめろや!」


 切れ味の鋭い小町さんのツッコミが入ったところで、棗さんは「うーん」と身体を伸ばした。せめて逡巡とか懊悩とか、そういうたぐいの「うーん」であってほしかった。


「もう周りは初花祭の準備を始めとる。棗さんの気まぐれを悠長に待ってられへん時期に差し掛かってきたんや」

 眉間に指をあてがいながらため息をつく小町さんへ、棗さんは呑気そうな声をかける。


「とりあえず今日は思いつかなさそうだから今度でよくない?」


 先延ばしの提案である。棗さんの悪い癖だ。

 興味の向かないことをいったん先送りにしてしまうがゆえに、飲み終わったペットボトルや食べ終わったデリバリーの使い捨て食器、脱いだ服などが散乱する地獄のような部屋を構築していたのがこの人である。共同生活がはじまってから、ぼくがそういったルーズな部分をカバーすることでかろうじて人間らしい環境に身を置いているけれど、こと無から有を生み出す過程においてはぼくが介入する余地がない。

 さて、棗さんの言葉に小町さんがどういう反応をするのかと観察していると……。


「だいたい……」


 拳をふるふると震わせながら、こう言い放ったのだった。


「……あんたら、夏場なんもしてへんかったやんけ!」



 芸術・芸能に特化し、全国から才能ある生徒を集める朱門塚女学院にも夏休みは存在する。

 あるんだ、と皐月さんに漏らしたところ「ないと死ぬだろ、殺す気か」と即答された。教師にとっても大事な休暇期間らしい。通常の高等学校なら部活動に駆り出される場合もあるそうだけれど、この学園に部活動というものは存在しないのだ。

 では各生徒がどのように休暇を過ごすかというと、もちろん帰省である。

 全寮制をとっている都合上、生徒たちは故郷へ帰る時間が限られている。おまけに穂含祭の制作と発表で追い込まれるため、6月から7月にかけては休日と呼べるものがない。


「ってわけで、これからウチは大阪に帰る。予約しとる新幹線の時間が迫っとるからな。1ヶ月ちょいおらんくなるけど、棗さんも夜風さんも寂しくて泣かんといてな」


 7月中旬。穂含祭が無事に終了してまもない時期のことである。


「へえ、いつ帰るの?」

「これからやで」

「ふうん。どこに帰るの?」

「大阪やで」

「そうなんだ。どうやって帰るの?」

「新幹線やで――ぜんぶさっき言ったわ!」


 いつものようにデスクに向かう棗さんが、小町さんに視線を向けることすらなく適当にしゃべっていた。きちんとツッコんでくれる小町さんは相当心優しいと思う。ぼくは棗さんの空気感に慣れてしまっているけれど。


「棗さんは実家に帰らへんの?」

「帰っても誰もいないだろうし、そもそも外に出たくない」

「なんか聞いたらあかんこと聞いてたらごめんな……」

「なにが? 父親から『むこう3ヶ月ほど海外にいる』ってメール入ってたから、帰っても帰らなくても同じ生活を送るだけって話なんだけど。ていうか作業環境まるまる学生寮に搬入しちゃってるからむしろ実家だと抱えてる案件こなせなくて詰む」

「めっちゃ細かいところ気になったんやけど、父親とのコミュニケーションツール、いまどきメールなんやな……」

「チャットツールはほとんど取引先とのやりとりに使ってるし、LINEとかMessengerとかは通知溜めるだけ溜めて結局チェックしないってのが続いたからぜんぶ消しちゃった」

「まあウチもLINEなんてほとんど使わへんしな……友達とのやりとりはぜんぶインスタのDMで済ませとるし」

「フェイスブックのこと年寄りのコミュニケーションツールだってバカにしてる若年世代がメタ社のサービスの機能のひとつを連絡手段にしてるの面白いよね」

「ハイコンテクストすぎるわ! インスタグラムをフェイスブックが買収したのも、フェイスブックがメタ・プラットフォームズって名前に変わったのも知っとる人は知っとると思うけど、ウチらの世代の人間はほとんど知らんて!」

「小町は普通の女子高生じゃないから通じるわけだ」

「喜んでええんか怒るべきかわからん! ……って、もう時間ヤバい! ほなな! 夜風さんも棗さんのお守りで大変やろうけど身体壊さんようにな!」

「お気遣いどうも……」

「夜風は私の母親じゃないよ?」

「知っとるわ! もうツッコまんからな! ほんまに行くからな!」


 いつもどおりの会話を切り上げて、小町さんはスーツケースを転がしつつ足早にその場を去っていった。

 ふと、小町さんがぼくに対して「夜風さんは実家に帰らへんの?」と聞いてこなかったことを嬉しく思った。彼女のことだから、きっとこれも気遣いのうちに入っている。

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