* 1章 二〇三×年十月二日 栃木県・桧山サーキット * 《1-3》

『続いてのニュースです』


 食堂のAR(拡張現実)プロジェクションがレース特番からニュースに切り替わっていた。一瞬、バッズでフィルタしようかとも思ったが、赤江が気を惹かれているのを見て、止める。キャスターの横に緑なす山々の映像が現れた。


『入山規制中の○△山で××大学の学生が死亡、その後〈復旧〉措置が行われた件について、有識者よりなるギズモ倫理審議会は、ギズモの利用趣旨と異なると、強い懸念を表明しました。本件は学生達が、周囲の反対を押し切り入山したことが問題視されており――』

「最近多いよなぁ、この手の話」


 赤江が上に向けたフォークを振ってみせる。彫りの深い顔はどこか物憂げだった。


「どうせ生き返れるからって無茶する連中。こないだなんて、カヌーで世界一周しようとした自称冒険家が溺れ死んだらしいぞ? 一体どういう勝算があったのか、真面目に訊いてみたくなるな」

「深く考えてないんだろう。まずやってみてダメなら次の手を探る。計画を練る時間が無駄だって。最近の若い世代の傾向らしいぞ」

「まぁ、分からないでもないがな。〈復旧〉にかかる金や手間を全て無視すれば」

「一般の人間から、そこらへんは見えないからな。どうせ保険診療だし」

「おお。おお、保険診療」


 赤江は大仰に天を仰いでみせた。


「俺らの税金や健保の支払いが、あんな考えなしどもに使われるとは! 納得いかんよな。いっそギズモ治療は全額自己負担にすればいいんだよ。そうすりゃ、死亡統計も一気に改善する」

「そしてうちの会社の売り上げも大きく落ちこむと。困ったな。おまえの大好きな〝安定〟が脅かされるぞ」


 今度は一本取ったようで、赤江の軽口が止む。だがすぐ秘めごとを明かすように身を乗り出してきた。


「いや、でも少し気をつけた方がいいぞ。真面目な話」

「何がだ? 会社の業績悪化についてか?」

「違う。保険診療だよ。あまりにもギズモのコストが嵩むんで、どこの保険会社も支払いが渋くなっているって話だ。変な死因だと、本当に全額自己負担にされかねない」

「変な死因、というと」


 赤江はニュースを示した。無謀な登山客の所属校が、さらし上げられている。なるほど、自己責任で不要なリスクを冒した時ってことか。


「なら心配ないな。僕は基本インドア派だから。隕石でも降ってこない限り、不慮の死はありえない」

「いや、でもバッズの調整に夢中で床に置いたものに蹴躓くとか。で、頭を打ってご臨終とか」

「トムとジェリーかよ」


 それならおまえが女に刺される方が現実的だ、と返しかけた時だった。ニュースが切り替わって、聞き慣れた声が降ってきた。


『ギズモの仕様開示については、えー……必要なものを、えー、必要なタイミングでやっていく所存でありまして』

「おや」

「おぉ」


 記者会見の中継だった。冴えない小役人のような中年男性がマスコミに囲まれている。額の汗を拭きながら、気弱そうに目を泳がせていた。


「社長だ」


 オーパス・エンタープライズ、最高経営責任者CEO、馬木輪治。

 錚々たる肩書きは、だが見た目の貧相さに裏切られる。不揃いな口ひげ、白髪交じりの頭、刻まれた皺はたるみ気味で、威厳よりは老いを感じさせる。仕立てのよいスーツもぶかぶかで体格に合っていなかった。

 ニュースのテロップは『定例記者会見』となっている。記者の一人が勢いよく質問を投げかけた。


『ギズモの運用にあたっては、各保険組合から莫大な費用が投入されています。にもかかわらず、ギズモの中身はブラックボックスが多く、補助金額の妥当性を検証できません。これは社会インフラの担い手として、大きな問題ではないでしょうか。先ほど必要な情報は出していくとの説明がありましたが、何が必要で何が不要かの判断自体を、第三者機関に委ねるべきではないでしょうか』

『はぁ、まぁそういう考え方もあるとは思いますが……人体と直結したシステムには、強固なセキュリティが求められており……開示できる情報には、おのずと限りが』

『社長、○×ニュースです。内戦が続くC国で、ギズモのバックアップサービスを中止するというのは本当でしょうか。紛争の抑止になる一方で、不慮の事故死を見捨てるのかという批判もありますが』

『そこはですね。国連安保理の要請もありますので、我々としては関係者の合意を得つつ慎重に進めていくつもりで』

『社長、安楽死選択者の〈復元〉についてコメントをください。ローマ教皇庁からは積極的に〈復元〉を行っていくよう、依頼されたとうかがっていますが』


 ……。


「相変わらずよろず厄介ごとの投げこみ先になっているよな、あの人」


 赤江の声には同情の響きがあった。雲の上の上司ではなく、濡れた子犬を見るような目つきになっている。


「オーパス創業メンバーの一人なんだろう? で、同僚が抜ける度に業務を引き継いで、気づけば一番上に祭り上げられていたっていう」

「聞くだけで気の滅入るサクセスストーリーだな」


 実際、ミスター貧乏くじなんて呼ぶ者もいるらしい。ギズモ急拡大の歪みや反発を一身に背負わされた人物。おかげで

「出世はしたいが社長は嫌だ」というのが社内の共通認識になっている。


「今年で五十三だっけ?」


 赤江の問いにうなずく。


「確か」

「もっといって見えるよな。心労が重なって、一気に老けこんだのかもな」

「いや、でも老け顔は昔からだよ。十年以上前からあんな感じだし」

「十年以上前?」


 ぱちくりと目をまたたかれた。


「なんだ。創業時の画像でもチェックしたのか」

「違うよ。バッズのカンファレンスで見たんだ。あの時はマーケの所属で司会をやっていたな」

「へぇ?」


 忘れもしない、荒島セピアとの最初で最後の邂逅。あの場で、馬木はセピアを初めとしたジ・オリジネーターズに振り回されていた。

 それが今や、伝説の開発者は一人も残っておらず、馬木だけが最高経営責任者としてオーパスの顔を担っている。運命の数奇さに目眩がする思いだった。


「意外な縁だな。そういや社長の前職、知ってるか? これもまた不思議なキャリアパスだなと思ったんだが」

「いや、知らない。なんだ?」

「大学の研究職だったらしい。しかも情報系とは全然関係のない、天文分野だったとか」

「ほぉ」


 なんでまた、畑違いの民間企業に。

 無言の疑問を見て取ったのか、赤江が苦笑した。


「研究室のシステム担当がどんどんいなくなって、仕事を押しつけられまくった挙げ句、出入りの業者にスタートアップの人手が足りないと泣きつかれたんだと」

「そのスタートアップというのは?」

「オーパス・エンタープライズ」

「なんともまぁ」


 ミスター貧乏くじは昔からということか。

 鼻から息を抜いて記者会見の馬木を見つめる。

 人のよさにつけこまれて生業を強いられる者もいれば、赤江のように献身を職業選択の理由に置く者もいる。

 自分はどうだろう?

 バッズに惚れこみ、その開発者に憧れて、製造元に入社した。だが、今やオーパスの主力製品はギズモで、バッズのラインナップは消失している。

 なぜオーパスにいるのか。ここで働き続けているのか。

 一度生まれた疑問は染みのようにわだかまり、消えることがなかった。

刊行シリーズ

セピア×セパレート 復活停止の書影