ともあれ。
そんな危険を承知の上で、俺は昨日のサイン会について、ネットで調べ始めた。
「お」
すると、検索エンジンの表示結果に、ぽつぽつと感想を書いてくれている人のブログが出力されてきた。
「『和泉先生とお話しできて嬉しかった!』かぁ。……いやいや、こちらこそ、喜んでくれたみたいで、よかった。えーっとこっちは『和泉先生、噂どおりむちゃくちゃ若かった!』か。噂ってなんだ?」
──ふぅ……いまのところ大丈夫そうか?
胸をなで下ろしつつ、トラックバックを辿るなどして『サイン会』の感想を巡って行く。
幸い、俺の正体に繫がるような記事は見つからなかったのだが……。
無作為にクリックしたリンク先が、こんなタイトルの記事だった。
「うッ」
和泉マサムネ先生のサインの字が汚すぎるwww
「うわああああああああああああああああああああああああああああ!」
俺は、頭を抱えて絶叫した。
「あ……あぁ……あ……」
『先生、字ぃ汚ねええええええええええええええええええええ!』
『うわぁ……』『らくがきにしか見えない』『これはひどい』『どこの小学生が書いたの?』
「ぐッがあああああああああああああああああああああああああああッ!」
無情にもほどがある。初めてエゴサーチをしたとき以来の衝撃だった。
バンバンバンバンッ!
「なんだこのクソブログ! しょうがないだろ! サインの練習なんかしたことないんだから! 人が一生懸命、一枚一枚心を込めて書いたサインを……! 作家を芸能人かなんかと一緒にしてんじゃねーぞバーカ!」
キーボードをガタガタしながらブチキレる俺。
そしたら、
──どん!
妹が床ドンで『うるさい!』と抗議してきやがった。
妹の部屋は、俺の部屋の真上にあるのだ。
「……うぐぐ……うっ、うっ」
俺は、天井に意識を向けつつ、下唇を嚙みしめ震える。
これだから! これだからネットはイヤなんだ! ちょっと泣いちゃったよクソ!
匿名だからって、言っていいことと悪いことがあるんだぞっ!
覚えてろよ!
ぱたん。
俺は泣き泣き、ノートパソコンのフタを、そっと閉じるのだった。
現在午後七時。俺は、気晴らしも兼ねて、小説の新刊を買うため、個人でやってる本屋さん『たかさご書店』にやってきていた。二階建てで、そこまで広くはないものの、ライトノベルの品揃えの良い、明るい雰囲気のお店である。
「もぉ、大げさだなぁ、ムネくんは。そのくらいネットではよくあることだろ」
苦笑したのは、この書店の看板娘、高砂智恵。
艶やかな黒髪のロングヘア、女の子らしい、柔らかそうな外見の少女である。
お店のエプロンを掛けた彼女は、俺のクラスメイトで、『和泉マサムネ』の正体を知る、数少ない人物である。
三年前、はじめて自分が書いた本が書店に並ぶ日、店内で不審な行動(隠れて誰か俺の本買わないかなってやってた)をしていたせいで、俺は智恵の親父さんにとっ捕まり、事情を聞かれたという恥ずかしい思い出があるのだが。
彼女とは、それ以来、友達付き合いをさせてもらっている。
いまは智恵の休憩時間中だ。お店のバックルームで、俺たちは会話している。
「よくあることなのか? こういうの」
「うん、芸能人とか作家さんとか、アニメ監督とか、業界人がよくやられてるじゃん。まぁ、今回のは、有名税みたいなもんだから、気にしなくていいんじゃない?」
「俺、別に有名じゃないんだけど……」
「…………あっ、そっかあ」
少しは否定してくれてもいいと思う。
哀しいことに事実である。
速筆だからなんとかやって行けているが、『和泉マサムネ』の評価は、三シリーズ目にして、ようやく中堅作家といったところじゃなかろうか。まがりなりにも、打ち切りにもならず一シリーズを完結させたわけだし、このくらい言ってもバチは当たらないはずだ。
本が予定以上に売れたときに、もう一度本を刷ってくれる重版という制度があるのだが、完結させたばかりの『銀狼』シリーズでは、デビュー以来はじめて重版がかかったりもした。
「言われてみれば不自然だね。ムネくんごときをディスったところで、ブログのアクセス数は増えないのに」
「記事よりオマエの方がひどいこと言ってるからな」
「あはは。というかさ……」
智恵は、スマホをしばし弄ってから、
「いま、ムネくんをディスってたブログを見てたんだけど、これってキミの小説のイラストを描いている先生のブログじゃない?」
「!」
俺は両目を見開いた。
「え!? マジで!?」
「ほんとほんと」
「ちょ、見せてくれ!」
「ほら、このペンネームってそうでしょ?」
智恵は、ブログのタイトルを見せてきた。
そこには『エロマンガのブログ』と書かれている。それだけなら、ああエッチなマンガを紹介したりするブログなんだなと思うところなのだが。
タイトルのすぐ下に、こんなコメントが書かれていた。
『イラストレーターをやってます。※島の名前が由来です。えっちな漫画とは関係ありません』
「………………マジだ……」
この〝エロマンガ〟というのが、俺が書いた小説のイラストを描いてくれている先生である。
デビュー作のときから、ずっと変わらずお世話になっていて、とても感謝していた。
三年間の付き合いでもあるし、個人的には『俺たちいいコンビだよね』なんて思っていたのだが──
「ええええええ! 何してんだこの人!」
俺のサインの悪口言ってた犯人、よりにもよってこいつかよ!
「ムネくんって、エロマンガ先生と会ったことあるの?」
「ないよ! 仕事はぜんぶ担当編集通してやってるし!」
男か女かもわからん。まぁ萌え系の絵柄からして、たぶん男だろうけどさ。
イラストレーターは、基本的に担当編集が決めるものだし、直接やり取りすることもないから、三年間一度たりとも会うことがなかったのだ。
「ふーん、じゃあなんでキラわれてるんだろうね?」
「えっ? 俺って、イラストレーターにキラわれてんの?」
「そうじゃない? なんか、キミのこと、妙にイキイキとディスってるし」
「うう……やっぱそうなのかな……」
でも、理由がわからん。なんか俺、エロマンガ先生に悪いことしたかな……?
デビューしたばっかの頃、『コイツなんでこんな卑猥なペンネームなんだよ』ってグチったのが、バレたとか……? いや、でも、あれは……著作の表紙に毎回『エロマンガ』って書かれる俺の気持ちもわかってくれよ。ちょっとくらいグチたっていいじゃない。
「キラわれてるんなら謝っておきたいが……どんな人なんだろうな」
「ボクに聞かれても困るってば」
と、智恵は肩をすくめる。
「むしろ、三年も一緒に仕事しているのに、相手のことをぜんぜん知らないってのがおかしいよね。担当編集経由で会う機会とかなかったの?」
「担当編集も、エロマンガ先生とは会ったことないんだって。仕事とか全部ネットを通してやってるらしいし、プロフィールを極秘にするのが契約の条件だったとかなんとか」
「へぇ、現代ならではの仕事スタイルもあったもんだ」
智恵は素直に感心している。このあたりは同感で、俺のような学生が仕事をしている状況もまた、現代ならではの現象といえよう。
「エロマンガ先生の名前でWEB検索してみたりは?」
「したよ。エッチなマンガのサイトしかでなかった」
当然の結果である。
「いやいや、ちょっとは頭使おうよ。キミのペンネームとか作品名を、スペースの後ろにくっつければいいだけじゃん」
「自分のペンネームと作品名で検索なんて、この俺がするわけないだろ?」
「……あ~、そういえばそういう主義なんだっけね、キミ」
「おう。ってわけで、俺の代わりにちょいと調べてくれると嬉しい」
「はいはい」
智恵は、スマホの画面に指を滑らせる。
「調べるっていうか、本人のブログを見ただけだけど、イラストだけじゃなくて、ネットで色々やってる人みたいだね」