エロマンガ先生は、アニメ雑誌のキャラクターランキングページを広げ、俺たちに見せつけてきた。その中には、当然、俺の作品のキャラクターは入っていない。アニメ化してないから。
「この中から選んでよ。あ、でも、できれば担当作品がいいかな。愛着もあるし」
再びリクエストコメントが流れていく。エロマンガ先生も、何気に嬉しいことを言ってくれていた。──が、俺はそれに参加することができなかった。
「……………………………………」
それどころじゃなかったから。
「……………………………………」
楽しげなトークも耳に入らず、ひたすら無言で、暗く不鮮明な動画を見続ける。
「……………………………………どういうことだ?」
呟く。俺が見ていたのは彼の後ろ、部屋の奥。
さっき……俺が妹に作ってやった、夕食だった。
「はっ!」
一分ほどフリーズしていたようだ。俺は正気を取り戻し、ぶるぶるっとかぶりを振る。
状況は依然変わらず、目の前のノートパソコンには、パーカーにお面の人物と、暗い部屋が映っている。コメントでは次に描く女の子をどうするかについての議論が、活発に流れていた。
そして目をこらせば、我が家で使っているものとまったく同じ食器に盛られた、ターンオーバーの目玉焼きとサラダが映っている。一口も手をつけられていない。
「どういうことだ」
再び呟く。さっきよりは多少冷えた頭で考えてみるも──わからない。
「偶然……?」
違うな。これしかないという答えはすでに出ているのだが、それがどうにも信じられん。
「……これ映ってるのって、俺んち……なのか?」
俺は、天井を向いて、呟く。
いや、いやいや。そうじゃない。もうごまかすのはよそう。
「こいつ、俺の妹じゃね?」
口に出した瞬間、ぞくっとした。
エロマンガ先生は、変声機を使っていて、お面とパーカーで顔と身体のラインを隠している。つまり、女でもおかしくない、ということ。
……『まさかな』という思いが捨てきれない。
あの──部屋に引きこもって、何者とも接触しようとしない紗霧が?
明るく楽しくファンとお喋りしたりする、俺の担当イラストレーター?
「……ありえるのか? そんなの。どんな確率だよ……」
正直言って混乱していたが、俺・和泉正宗の深層心理は、ちゃんとアラームを鳴らしてくれた。
──これはチャンスだ。
ってな。
もしも『エロマンガ先生』イコール『俺の妹・紗霧』なのだとしたら。
いま、俺のノートパソコンは、あの固く固く閉ざされた『開かずの間』の中とつながっているということになる……よな?
とうてい信じられないが、もしもそうなら凄いことだ。この一年間ずっと手詰まりだったってのに、飛躍的な進歩だった。この大チャンスをなんとしても、モノにしなければならない。
「考えろ……!」
俺はデスクに両肘をつき、頭を抱えた。
「……っ………………ダメだ! なんも思いつかねえ!」
だってネットでつながっているっつっても、俺にできるのは動画にコメントを残すくらいなんだぜ? それでどうなるってんだ。何を書き込めってんだよ。
『おまえ俺の妹だろ』──却下。『部屋から出てこい』──却下。
そんなんじゃ、食事と一緒にメッセージを伝えるのと、何も変わらない。むしろ、とんでもないことになりそうな嫌な予感がある。それじゃ本末転倒だ。
悩んでいる間に、画面では『次に描く女の子』の話がまとまったらしく、エロマンガ先生が締めに入っていた。
「そんじゃ、次回配信は明日の予定です」
くそっ、タイムオーバーかっ! ど、どうすりゃいいんだよ!
何も策が思いつかず焦っていると──
エロマンガ先生が、ちょっとしたミスを犯した。
「次も見てくれよな。ばいばーい♪」
『おつかれー』『次も楽しみにしてます』『乙乙』『乙~』『あれ?』
動画配信ではたまにあるポカで、簡単に言うとWEBカメラの切り忘れというやつだ。
『おいwwまだ映ってんぞwww』『エロマンガ先生www』
『カメラカメラ!』『切り忘れてんぞ』
視聴者たちが教えてあげようとするも、エロマンガ先生は気付かない。
……やばいんじゃないか、これ?
このミスをやってしまうとどうなるかというと、放送が終わったと思い込んでいる配信者は、視聴者たちの前で、素の自分をさらしてしまうことになる。
極端な例をあげると、動画がまだ生配信されていると気付かずに、カメラの前ではだかになったり、言葉にできないくらいえっちな行為をしてしまった人もいるらしい。
むちゃくちゃ恥ずかしいプライベートシーンを全世界に公開しちまったわけだ。
恐ろしい話である。本人、後悔してもしきれないだろう──────っておいおいおい!
俺は思わず身を乗り出してしまった。
なぜなら画面の中で、とんでもないことが起こりつつあったからだ。
「っあ~~~~~~~~~楽しかったぁ。オナカ空いてたのに、ごはん食べるの忘れてたぁ」
エロマンガ先生が立ち上がり、おもむろに服を脱ぎ始めたのである。
くつ下を行儀悪く足で脱ぎ、数歩歩いて画面から見切れつつ、羽織っていたパーカーを脱ぎ捨てる。次いで画面外からお面が飛んできた。
『おっ! エロマンガ先生の正体バレくるか!』『どうせオッサンだろ』
『くそっ、見切れてるぞ! 戻って来い!』『男が脱ぐとこ見てもなぁ』
『意外にカラフルな靴下じゃん』『ちょwwなんというエンターテイナーwww』
ガタッ!
「やべええええええええええええええええええええ!」
俺はタブレット型に折りたたんだノートパソコンを抱え、全速力で部屋を飛び出した。
階段を駆け上り二階の『開かずの間』へと向かう。
「マズいマズいマズいマズい! 絶対にマズすぎる!」
だってそうだろう!?
もしもエロマンガ先生が、俺の妹なんだとしたら。
マジで同一人物なんだとしたら!
妹のストリップショーが、全世界公開されちまう!
「ストァァァァァァァ──────────────ップ!」
バァン!
俺は妹の部屋の扉を、ぶち破る勢いでブッ叩いた。
ガンガンガンガンガンガン! わきに抱えたタブレットを横目に、何度も何度も力強く叩きつける。
「カメラアアアアアアアアア! 切り忘れてる! カメラアアアアアアアアアアア!」
ガンガンガンガンガンガン!
「やらかしてんぞおおおおおおおおおおおおおおお!」
ここまでなりふり構わず妹に呼びかけたのは、これが初めてかもしれない。
とにかく必死だった。気付け! 気付け気付け気付け気付け!
ガンガンガンガン! 扉を叩く音が、二重にかさなって聞こえる。わきに抱えているパソコンのスピーカーからも、まったく同じ音が聞こえてくるのだ。
つまり──そういうことなのだろう。
『めっちゃドア叩かれてるぞ!』『ちょww家族乱入wwwww』
というコメントが画面に流れたところで、ぷつん、といきなり動画の配信が終わった。
「……切れた…………………………………」
しん、と廊下が静まりかえる。
……よく見ていなかったが、間に合っていた、はず……だよな?
最悪の事態は……防げた、よな?
「っ………………ふぅ~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」
両目をきつくつむり、扉に拳を押しつけたまま、思い切り息を吐いた。
ぜえ、ぜえ、と肩を上下させる。
「……守れた。なんとか……妹のはだかは、守れた」
それでよしとしよう。
せっかくの大チャンスをふいにしてしまったが、
「……悔いはない」
扉から離れ、額の汗を拭う。
「だ、だが……覚悟しておけよ」
俺は扉を睨み付ける。
「必ずおまえに、この部屋の扉を開けさせてみせる……!」
がちゃ。
誓った直後に扉が開いた。
「えっ?」
間抜けな声を出してしまった。
いやっ、だって──えっ? ちょ……えぇっ? ……なんであっさり開いてんの?
きぃ……ぎぃぃ……