「だよな。……とりあえず」
色々言ってやりたいことがあったのだが、精神的に余裕がなかったせいか、俺はまずこう言った。ぱん、と拝むように手を合わせて、
「えっちなイラストばっか描かせてごめん!」
「っっ! ばっ、ばか!」
「マイクで大声を出すんじゃない!」
俺はとっさに両耳を押さえて叫ぶ。
きぃ────ん。
耳鳴りが収まらん。あっぶねぇなぁ──
「鼓膜が破れたらどうすんだバカ!」
「ば、ばかはそっちっ!」
顔全体を真っ赤にして、両手をばたばたさせる紗霧。
「えっち! へんたいっ! この前もっ! 今日もっ! お、女の子に、いきなりあんなことっ……! ぜったいだめ!」
こいつ……どうやら恥ずかしさが一定値を超えると、目の前の相手を攻撃してくる習性があるらしいな。この前ジョイパッドで不意打ちされたのも、たぶんそれだ。
「……そこまで怒ることかよ。いままで妹に、えっちなイラストばっかリクエストしていた罪を、謝ろうとしただけじゃん」
というか、ノーブラ&ボタン全開で言う台詞じゃないぞ。
エロマンガ先生の格好の方が、よっぽどエッチだろ。
「えっちなイラストは、仕事だしっ、好きだからいいのっ! でもそういうのはだめ!」
……好きなんだ、えっちなイラストを描くの。
なのにダメって……。
「なんで?」
「…………ぅ」
俺の問いに、紗霧は俯き、黙り込んでしまう。顔はさらに赤くなっている。
「どうして紗霧は、えっちなイラストを描くのが大好きなのに、自分が描いたえっちなイラストの話をされるのはダメなんだ?」
俺は問うた。別に問い詰めるつもりじゃなくて、純粋に疑問だったから。
そしたら、
「……ぅ……ぅぅ……そ、」
「そ?」
「そんなの言えるかーっ!」
がすっ!
「痛って! おま! またジョイパッドで俺を……!」
「兄さんのばかっ! にぶちん! ラノベ主人公っ!」
そ、その悪口は斬新だなオイ。
でも、俺はあいつらほど耳は遠くないぞ。
おまえの声がむちゃくちゃ小さいから、聞こえないことも多々あるけど。
「わかった、わかった。もう言わない。悪かったな」
「……わかればいい」
はぁ、はぁ、と肩を上下させる紗霧。
さすが引きこもりだけあって、すぐに息切れするやつだ。
そしていちいち表情がえっちなので、とても直視できん。
エロマンガなんてペンネームをつけるだけのことはある。
エロマンガ先生はえろい。名は体を表していたな。
真っ白な頰を紅潮させて、紗霧が俺を指差す。
「うううう……だ、だいたいっ……兄さんはっ……いろいろとだめっ」
「色々ってなんだよ」
「た、たとえば……そ、そう! 休みの日に家にいすぎっ!」
「兼業作家なんだから、日曜は家で仕事してるに決まってんだろ!」
「……夏休みも?」
「夏休みもだ。あの頃は毎週ボツが連続してて、徹夜続きで……おかげでおまえのメシ作んの忘れてた」
「ちょ! 夏休みのあれって、部屋から私を追い出すための兵糧攻めじゃなかったの!?」
「普通に忘れてただけだよ。なんだ兵糧攻めって、よそんちのお母さんはそんなひどいことすんの?」
「に、兄さんだって同じことをしてるじゃない!」
まぁ、結果的にはね。
「くぅっ……床をどんどんしてもご飯が来なかったときの絶望……兄さんにわかる?」
当時のことを思い出してしまったのか、紗霧は涙目になっている。
「メシくらい部屋出て食えよ」
「部屋を出たら負けだと思っているわ」
「名言っぽく言っても、ちっともカッコよくないからな」
働いたら負けというあの台詞よりも、さらにダメ度がアップしている。
「夏休みは、兄さんがずっと家にいて出かけないから、なかなかお風呂にも入れないし……トイレに行くだけで一苦労だったんだから……」
切実だな。
俺の部屋は一階で、紗霧の部屋がある二階にもトイレはあるから、行けないってことはないんだろうが。
「あまりにも家にいるから、兄さんって友達いないんじゃって心配してた」
「余計なお世話だ!」
いるよ! 友達くらい! 少しは! 智恵とか!
あと……あと……えっと……まあいいや!
「友達も彼女もいないから、友情や恋愛の描写に説得力がないのよ」
「おまえ人のこと言えんだろうが! そもそもそんなん作品に影響しねえよ! 絶賛二股中の先輩が、むちゃくちゃ綺麗な純愛ラブコメ書いたりしてるもん!」
「その人は文章力のあるクズだから書けるの。兄さんはないでしょう?」
「……当たり前の事実であるかのように言うのやめてくんない?」
一応、新人賞で賞とってるからね?
ぐぬぬ……こいつめ……。
俺は、びし! と紗霧を指差して、
「お、おまえだって、戦闘シーンの挿絵描くのヘタクソじゃねーか!」
「なっ!」
紗霧は目をまんまるに見開いた。
「い、言ってはならないことを……そ、それは、兄さんの書き方がわかりづらいせいもあるから!」
「ていうか資料見て描けよ! おまえのイラスト、銃の構え方とかマジありえないから!」
「そんなのしらないもんっ! 文句あるなら資料送ってくればいいでしょ! あ、あと資料といえばっ! なんで途中からキャラクターの外見設定を送ってこなくなったのっ? 小説本文でもろくに描写してないし、どんな娘を描けばいいかわからないじゃない!」
「だっておまえ、外見設定送ってもそのとおりに描かないじゃねぇか! 巻が進むにつれてヒロインの身長が伸びたり縮んだりするアレはなんなのよ!」
キャラによっては同じ身長設定なのに、並べると頭半分くらい身長違うという珍現象が起こっていたぞ。
「それは……そっちの方が可愛いからそうしてるのっ!」
「じゃあもう最初から好きに描けよ! イラストどおりに文章書くから!」
「そんなのだめっ! 兄さんは小説家失格ねっ!」
「うぐぐぐぐぐ……」「ぎにににににに……」
至近距離でキバを剝く俺たち。
小説家とイラストレーターを対面させるとトラブりやすいという実例を、はからずも証明してしまった形である。こうならないよう、いつもは編集者が間に入って仕事を進めているのだ。
「「ふんっ」」
ぷいっ、とお互いそっぽを向く俺たち。
しばらくの沈黙があってから、俺はなるべく自然に切り出した。
「なぁ、おまえ、なんでこんなことをやってたんだ?」
「……どうしてイラストレーターをやっているかってこと? 別に珍しい話じゃない。中学生で、私よりもずっと上手なイラストを描く人だって、たくさんいるもん」
「そっちじゃないよ」
学生でプロデビューなんて、俺でさえしているしな。いまとなっちゃ、そこまで珍しい話でもない。
そうじゃなくて──
紗霧は、両親がいなくなってしまって、落ち込んでしまったせいで、引きこもりになってしまったのだと思っていた。
だから、こんなにもアクティブな活動をしていることに、違和感があったのだ。
「絵を描いて、動画配信して、ファンと楽しそうに話してたろ?」
「え……そっち?」
「ああ。なんで、ああいうことを始めたんだ?」
「わ、悪いの?」
「悪くないよ」
すぐにそう答えた。なるべく優しく聞こえるように。
「俺のっていうか、仕事相手をブログでディスるのは、よくないと思うけどな。ネットで活動するのって、なにも悪いことなんてないと思うぜ」
「…………」
紗霧は、無言のまま、ゆっくりと俺を見た。
「? どうした?」
どきりと心臓が強く撥ねた。
それからさらに、十秒ほども経ってから、ようやく紗霧は、ぼそりと口を動かす。
「…………楽しかったの。絵を描くのも、動画を配信して、みんなとお喋りするのも」
マイクを使わず、自分の声で、そう言った。
「……………………」
「……………………」