紗霧、魂の絶叫であった。
きぃ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ん、というもの凄い耳鳴り。
そりゃそうだ、マイク使ってんだもん。下手すりゃ鼓膜が破れるとこだ。
「…………が……は」
くらりと視界が揺れ──俺は、前のめりにぶっ倒れた。
「ちょ! お、おにーさんっ!? だいじょぶですかっ!?」
「い、いや……大丈夫……問題ない」
俺は、耳鳴りでふらつくのを必死で堪え、なんとか起き上がる。
「というか、いまの声? って……」
「ん? こ、声? なんのことだ?」
慌ててトボけてはみたものの……ごまかすのは無理そうだな。
思いっきり音漏れしてたし。
「……じぃ」
ホラ、めぐみのやつ、俺の耳を半目で見てやがるもん。
「なるほどー……和泉ちゃん……聞いておるね?」
『……兄さん、ごまかして』
無茶言うなよ。
「あー、バレちまったら……しょうがねぇわな」
俺は、自分の耳にはまっているワイヤレスイヤホンを指差した。
『兄さん!』
怒りの声を上げる紗霧。こりゃ、すぐに通話を切られるかな、と思いきや。
「ちょぉ~っと待った! 和泉ちゃん、切るのすとーっぷ!」
めぐみが片腕を伸ばして、声を張り上げた。
「いま通話を切っちゃうとぉ~~~……後悔するかもよ?」
『……なに言ってるの、この女』
さあ。俺に聞かれても。
「ふふーん」
にやぁ、と悪戯っぽい笑みを浮かべるめぐみ。
ぞくっ、と妙な感触が、俺の背筋を駆け上る。
「な、なんだよ……」
『…………』
紗霧も異様な雰囲気を感じ取ったのか、通話を切るのを一時取りやめたようだ。
俺とめぐみは、二人がけソファに座っているのだが。
端っこに身を寄せて座っている俺に向かって、めぐみは座ったままの体勢で、ぴょん、ぴょん、と近付いてきやがった。ほぼ密着に近い位置にだ。……逃げられない。妹とは違う、柑橘系の香水の薫りが、俺の鼻腔をくすぐった。
「えっへっへぇ~……おにーさん、やぁ~っとあたしにドキドキしましたねぇ~」
「くっ……!」
不覚にも動揺してしまった俺に、めぐみは妖しく微笑みかけ、こちらの胸に、身体をこすりつけてくる。さながら猫が甘えるようにだ。
「お、おい……! やめ……! ど、どういうつもりだ!」
「すりすり♪ すりすり♪ えへへ~、おにーさん、いいにおい~♡」
「…………!」
い、いったいどういう状況なんだコレ……! な、なな、なんでこの女は、いきなり俺にくっついてきているんだ? てかヤバ……!
恋愛感情なんぞカケラもないが、コレはさすがに……!
めぐみは、細い腕を俺の首にまき付け、耳元に、ふぅ、と熱い吐息をかけてくる。
「おにーさん……」
次いで彼女は、俺の胸ポケットあたりに口を近づけ、艶めかしい声で囁いた。
「おにーさん……ちゅーしたこと、あります?」
ドン! ドンドンドンドンドン!
瞬間、天井がぶち抜けそうなくらいの、床ドンが轟いた。
「………………」
「………………」
俺とめぐみは、無言で天井を振り仰いだ。
「──ぷぷっ」
めぐみが堪えきれないとばかりに噴き出す。
ドゴン! ドゴドゴドゴンッ! ガッシャーン!
紗霧さん、大暴れである。ちょ、スゲー音したぞ、いま……!
めぐみといい、紗霧といい──なんだってんだ、いったい。
俺が事態の急展開にまったくついて行けずに硬直していると、
「えいっ」
めぐみが俺の胸ポケットから、紗霧との通話がつながったままのスマホを奪い取った。
「あっ、オマ……」
「いっただきぃ♪」
兎のように飛び跳ねて、軽やかに俺から距離を取るめぐみ。
スマホを耳に当てて、
「和泉ちゃん、初めまして! めぐみんでぇ~っす!」
「おい、返せ!」
俺は慌ててめぐみに手を伸ばす──も、簡単に避けられてしまう。
「おっとと、アブナイアブナイ」
めぐみは、たたっと小走りで、俺からさらに距離を取った。壁際で俺に背を向け、なにやら怪しい動きをしている。
「おい! なにやってんだ!」
立ち上がってめぐみを追うと、彼女はやおらこちらに振り返った。
「いえいえ、べっつにぃ~」
めぐみは、スマホを俺に向かって放り投げてきた。
「はいっ、お返ししますね。切れちゃってますけど」
ぱしんと俺はキャッチして、
「……なんだったんだよ、いったい」
「さーて、なんだったんでしょうねぇ~、ふひひひひ」
嫌らしい笑い方しやがって。
めぐみは、両手を背中に隠すような体勢で、ニヤニヤしている。
こいつ……絶対なにか悪いこと企んでいるだろ。
けど、いまはそれどころじゃねぇ。
「心配だから、ちょっと上見てくる」
「あ、和泉ちゃんなら大丈夫ですよ。怪我ひとつないっぽいです。それよりも──」
そこで、めぐみの口調ががらりと真剣なものへと変わった。
「おにーさんに、質問させてもらっていいでしょうか? 和泉ちゃんの、ことで」
知るか! 俺は妹が心配だから様子を見に行く──と、言うつもりだったのに。
俺の口は、別の台詞を紡ぐ。
「…………なんだよ」
「和泉ちゃんって、どんな娘なんですか? あたし、写真も見たことないんです」
「悪いな、俺も紗霧の写真は持ってない」
たぶん、母さんの遺品の中にあるのだろうが……。
アレは俺が触っていいものじゃないからな。
「紗霧がどんな娘なのか、か。そうだな──」
俺はごくごく素直にこう答えた。
「まず、見た目は、むちゃくちゃ綺麗で可愛いよな」
ガタッ!
「……………………」
俺とめぐみは、天井を振り仰ぐ。紗霧のやつ……また上で音立ててやがる。
いつもの『ごはんの催促』とは違う、初めて聞くタイプの物音だった。
「ほうほう、むちゃくちゃ綺麗で可愛い……ですかぁ」
「おう、ぱっと見、無表情で大人しそうで、触るのが怖いくらいに華奢で、まさに可憐な乙女って感じなんだが──話してみると、ころころ表情が変わって愛嬌あるんだ。あいつの笑顔を見るために、俺は生まれてきたのかもしれないな」
ガタッ! ガタタッ!
上から物音が連続する。めぐみは、あっけにとられた顔でちょっと固まる。
いかん、つい気持ち悪いポエムを披露してしまったぜ。……シスコンとでも思われてしまったか。ま、まあいい、紗霧に聞かれているわけでもないしな。
「にゃるほど~、ふふふふ……」
「なに笑ってんの?」
「や! なんでもないです! ぷふっ……え、えっとぉ──それでそれで?」
「そうだなぁ……あとは、むちゃくちゃ絵が上手い」
なにしろプロだもんな。めぐみにそうは言えないけども。
「へーっ、和泉ちゃんて、絵を描くんだぁ。ちなみに、どんな絵を?」
「えっちな絵が上手いな」
ガタンッ!
「……………………」
俺とめぐみは、天井を振り仰ぐ。またか……なにやってんだ、あいつ。
「え、えっちな絵ですか?」
「ああ、非常に素晴らしい、えっちな絵を描く」
どんどんどんどん!
「もしかして、和泉ちゃんて……えっちな娘、だったり」
俺は重々しく頷いた。
「えろい」
どんっ! ……さっきからうるせえな。ゴキでも出たか。
「なにしろあいつ、中一のくせになかなか凄いぱんつを──」
「はいてるんですかっ!?」
「描いてるんだ!」
なんで俺が、妹のぱんつの種類をクラスメイトにばらさなくちゃならんのだ。
めぐみは、ドキドキと胸を押さえて、
「な、なんだぁ。もー、びっくりしちゃいましたよー……て、てっきり和泉ちゃんと、おにーさんが、変な関係なのかなって」
「ありえない誤解はやめろ。一緒に暮らしてるからって、兄と妹が恋愛関係になどなるか」
「………………」
「なぜ黙り込む?」
「い、いえ、別に。ちょっと、その、アレかなと」
なんだそりゃ。意味がわからん。
「じゃ、次、最後の質問……いいですか?」