めぐみは、先と同じく、真剣な口調になる。俺も彼女に合わせて、真面目に言った。
「おう、どうぞ」
「おにーさんは、妹さんに、どうなって欲しいんですか?」
「どういう意味だ?」
「……本当に、学校に行かせる気があるのか? って意味です」
「────」
「だって今日、おにーさん、まるであたしから、妹さんを守ってるみたいでした」
本当に、紗霧を学校に行かせる気があるのか──か。ふむ……
「ないといえば、ないな」
「あ、やっぱりですか」
「ああ。俺は、紗霧に部屋から出てきて欲しいんだ。学校に行かせたいわけじゃない」
この二つ……俺とめぐみの目的は、似ているようで違う。
「学校には……行かなくていいってことですか?」
「そりゃ、行った方がいいに決まってるだろ。でも、むりやり行かせても意味ないし──もうちょっとゆっくりでもいいんじゃないかとは思う」
「……義務教育なんですよ? 家にいたら永遠に友達いないままなんですよ?」
「そうかもな。でも、俺はそう思うんだ」
これは、エロマンガ先生の正体を知ったからこそ言える台詞ではあった。
ちょっと前の俺だったら、ここまで言い切れなかったろう。
当たり前の話だが、基本的にゃあ、学校ってのは行った方がいい。行くべきだ。
「なんつーかさぁ、うまくいえねーけど。学校って、行った方が、将来のためになったり、楽しかったりするから行くわけだろ? あと、みんな行ってるしな。おまえのいうとおり、義務教育でもあるし」
俺なんかは、小説書いたりすんのに、むちゃくちゃ役立つから行ってる部分もあるし。行かないと、学費払ってくれてる人に、失礼かなとも思うし。だから行ってるんだと思うんだけど。
「『学校に行かなきゃいけない理由』なんて、あたりまえすぎて、考える機会はなかなかねーよな。あんまり上手く伝えられん」
ただ、こう思うのだ。
「学校行っても楽しくなかったり、将来のためにならなかったり……そいつにとっての幸せにつながらないやつだって、いるだろ」
世界には、色んなやつがいて、色んな価値観があるんだから。
俺の書いた本読んで、面白いって言うやつもいれば、つまんねーってキレるやつもいるように。
「………………」
「学校行ってなくたって、将来のために頑張ってて、色んなことを学んで、毎日楽しくやってて、幸せに生きようとしてるやつだって、いるだろ」
「和泉さんが、そうだと?」
「ああ」
俺は頷いた。……こいつになら、少しだけ言っても構わないだろう。
「あいつは、紗霧は……部屋に引きこもってなにやってんのかと思ってたら……俺に内緒で、すげーことやってたんだ」
「すごいこと?」
「ああ、もしかしたら、学校で勉強するよりも、すごいこと」
「詳しい内容は……」
「すまん、教えられない。……ただ」
「ただ?」
「……これから話すのは、紗霧には知られたくないことなんだけど……秘密にしてくれるか?」
「わかりました。誓います。絶対に、誰にも言いません」
めぐみは、真剣な顔で言った。ウソを吐いている顔ではなかった。
俺は頷いて、本心を語り始めた。
「俺さあ、ちょっと前まで、早く金を稼げるようになって、自立して……『引きこもりの妹をやしなってやろう』なんて、考えてたんだ」
「ご立派です」
俺は首を振った。
「とんだ思い上がりだったよ。だってあいつは、俺なんかよりも、ずっと凄いやつだったんだから」
下手したら俺、妹に年収でも負けているかもしれない。
「……さっき、おまえ『家にいたら永遠に友達ができない』『友達がいないなら、ネットもパソコンも意味がない』って、言ったな」
「はい、言いました。それが?」
「これは当然、たとえばの話だけど……もしもおまえが死んだら……何人が泣くかな」
「うーん、そうですねぇ」
めぐみは、顎に指を当てて、しばし考え込んだ。
「五百人くらい? ですかね?」
ぱねぇ。めぐみさん、ハンパねぇ。これがリア充か……恐ろしい……。
「そ、そうか。ご、五百人ね……ゴホン」
俺は咳払いをしてからこう言った。
「紗霧の勝ちだな」
「…………」
めぐみは目を丸くしている。
「え、それって」
「言葉どおりの意味だ。あいつには、そのくらいたくさんの友達──と呼べるかどうかはわからないけれど、大切に思ってくれている人たちがいる。俺だっている」
「あたしもいますよ」
「じゃあ、おまえもいる。どーだ、俺の妹は、すげえだろ?」
俺は胸を張って、自慢した。
「たとえ学校に行ってなくても、部屋から出てこなくても、あいつは自慢の妹だ。すごいやつだ。兄として、誇らしいよ。負けちゃいらんねえって、思う。今度はあいつに、認められたいって、思う。……だから、いつかは学校に行って欲しいけど──むりやり行かせようとは、思わない」
俺の話は、以上だ。
めぐみは、ゆっくりと頷いた。
「そですか。おにーさんは、和泉ちゃんのこと、そーゆーふうに思ってるんだ」
気のせいかもしれないが、誰かに言い聞かせるような言い方だった。
「おう、約束どおり、秘密にしてくれよ」
「わかってますって、誰にも言いません。もし約束を破ったら、あたしにえっちなおしおきをしてもいいですよ?」
「言ってろ」
にやりと笑っためぐみに、俺は苦笑で返事をする。
こいつとも、少しだけ通じ合えたような気がした。
「じゃ、帰ります」
「おう、今日はありがとな。紗霧のために」
「いえいえ──また来ますよ。あたし、諦めたわけじゃありませんから。和泉ちゃんが、すすんで学校に来たくなるような……そんなプランを考えてきます」
「……期待しないで待ってるよ」
げんなりと言うと、めぐみは「あはは」と明るく笑った。
彼女は、背中の後ろから携帯を取り出した。
「アドレス交換しましょうよ。同盟の、証に♪」
一緒に、和泉ちゃんを引き摺り出しましょう──
めぐみは、ストラップに指を突っ込んで、くるくると回す。
「はいよ。よろしくな、めぐみ」
「えへへー。よろしくお願いします、おにーさん」
どん! と、天井が、揺れた気がした。
めぐみが帰ったあと、俺は妹の部屋に様子を見に行ったのだが、まったく返事をしてくれなかった。知ったばかりの妹の電話番号にかけてみても、つながらない。
「……くそう……」
……あのとき、めぐみに何か言われたのか、とか。なんでドンドンやってたんだ、とか。
すげー音したけど怪我してないか? とか……色々話したいことがあったし、心配でもあったのだけど。
「……応えてくれない、か」
慣れたものではあるが、やはり辛い。
「仕方ねえ」
俺は当初の予定どおり、風呂に入ってから出かけることにした。
小説のネタ出しは、作家さんごとに色々やり方があるのだろうが、俺にとっては風呂に入りながらが一番だ。熱い湯船に肩まで浸かり、ひたすらに考え込む。
そうすると、不思議といいアイデアが閃くのだ。
予算が許すなら、一日に何度だって、湯船に浸かりたいくらいである。
さすがにお湯がもったいないし、一日一回しか入らないけれど。
俺が出かけたら紗霧も入るだろうから、今日は昼間から、贅沢にも湯を張った。
仕事以外にも、考えるべき大事なことがあったからだ。
「俺の妹は、俺の担当イラストレーターだった」
熱い湯に肩まで浸かり、呟く。
「部屋に引きこもっている妹とは、いままでずっと接点がなかった。部屋から出てきて欲しいと願っても、もっと仲良くならなくちゃと焦っても、そのきっかけすら摑めないでいた。……けど」
そう。けど、だ。
「いまは……そうじゃない」
妹の引きこもり克服のための、そして紗霧と仲良くなるための、とっかかりを見つけたのだ。
俺の妹は、一緒に本を作る、仕事仲間なのだから。
「……やることは、決まってるよな」
簡単すぎて、口に出すまでもない。
──面白い小説を、書くこと。
実のところ、作家の悩みの九割は、これで解決することができる。