怒りをたたえた書店員に、俺はこう言った。
「いや……作者自ら、販促活動をだな」
「はいはい、営業妨害営業妨害。自分でもとの場所に戻してねー」
ぱふっ、ぱふっ、ぱふっ、ぱふっ。
ハタキで俺の頭を叩きまくる智恵。
「わかった、わかったから、やめて。……でもさー、せめて友達のよしみでオススメ棚に置いてくれてもいいじゃんか」
俺の本、平積み期間(一ヶ月弱)が終わって棚に移動したあとは、ちっとも売れなくなっちゃうんですよ。この現象、どーにかならんのかね。
「だめだめ。いまあそこは、山田エルフ先生のサイン本を面陳してるとこなんだから。キミの本を置くスペースはなーい」
「さ、サインくらい俺も書いてやるよ!」
へたくそだけどね。
俺の提案に対し、書店員は目を細めて、
「やめてよね。返本できなくなるから」
恐ろしく冷たい声だった。
「………………………………」
……こいつはキツいぜ。
智恵は俺に、ハタキを突きつける。
「へっへー、ボクのオススメ棚に並べて欲しかったら、読者の琴線に触れるよーなちょー面白い小説を書くことだねっ!」
「ちくしょー! 覚えてろよ! そのうち、和泉先生のサインくださいって言わせてやるからな!」
俺は威勢よく啖呵をきって、
「それはそれとして、店員さん! 山田エルフ先生のサイン本ください!」
「毎度ー」
帰宅してさっそく読んでみたところ……
売れっ子作家・山田エルフ先生の書いた異世界ラブコメ小説は、めちゃくちゃ面白かった。
ネットゲームそっくりの異世界に召喚された、最強プレイヤーの主人公が、俺TUEEEEEEE! しながら、たくさんのヒロインと仲良くなっていくという筋で、いま現在もっとも勢いのあるライトノベルといっても過言ではない。
悔しいが、俺とこの人とでは、あまりにもレベルが違いすぎて、ライバルと呼ぶことさえおこがましい。この小説は家宝として、本棚に永久保存するとしよう。
ネタ出しも捗ったよ、くそ!
同日、たかさご書店から帰宅した俺を待っていたのは、
『ぜんぶボツね』
という、担当編集からの非情な電話だった。
「ちょッ、ぜんぶ!? ぜんぶすか!?」
『うん、ぜんぶ』
「……う……ぐ……」
そのケースも想定しちゃいたけど、さすがにショックがでかい。
ボツの衝撃についてわかりやすく会社員でたとえると──
『おまえ今月給料なしね』に近いだろうか。もうちょっと書くのが遅い人だと、『ボツ』という編集者の台詞が意味するのは、『あと三ヶ月給料なしね』であったり、『あと半年給料なしね』であったり、ときには『ばいばい、もう来ないでね』だったりする。
大人の世界って怖い。
作家という職業は、ようは個人事業主なので、何度もボツになったり干されるなどして本が出せない時期が続くと、週休0日、残業時間∞、月収0円、なんて状況にたやすく陥る。
マジで、たやすく陥る。
ソースは一昨年の俺。
収入がなくなっても死にゃしねぇ実家暮らしの学生のぶんざいで、背伸びしすぎだと思われてしまうかもしれない。けど、なんとか保護者から自立したい俺にとって『お金』というファクターは、決して無視できないものだった。
『どれもうんこだったよ。いま土曜日だから、週明けまでに新しいの持って来てねー』
ガチャ。
「…………」
担当編集からの厳しいお言葉も、この三年で聞き慣れたもんなのだが、これがまあ痛い。
「……ぐすっ……うぐぐ……」
冗談抜きに、お金云々抜きでも、泣くほど痛い。
心臓を大根おろしでゴリゴリやられているかのようだ。
俺には、ボツという台詞が『おまえの子供はデキが悪いから殺すわ』と聞こえる。
わかってくれないかもしれないが。
……よし、あと六回ボツにされたら、こいつを殺そう。必ずや殺そう。
そのくらい黒く思い詰めることもある。
聞いているか? 蒙昧なる編集者どもよ。ボツとか軽く言ってんじゃねーぞ。
「あー、くそっ! ちくしょう! 飯田橋に巨大隕石が飛来して、出版社のビルを粉々にしてくんねえかな! そうしたらあのムカつくニヤけ面をおがむこともなくなって、さぞかしスッキリするだろうよ!」
メテオ! バルス! と呪詛の言葉を叫びながら、スマホをベッドに投げつける。
「やってやる! 次こそは、絶対面白いって言わせてやるからな!」
俺は泣きながら、机へと向かう。A4大学ノートを広げ、HBの鉛筆で、新たな物語のネタを殴り書く。いまの電話は、週明けまでに企画書なりプロットなりを持ってこいという意味だったのだろうが、また完成原稿を持って行ってやるつもりだった。
そして二日後。
「お、わ、ったぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~」
ノーパソの前で、思いっきり伸びをする俺の姿があった。
あれからほぼぶっ続けて書き続け、ようやく新作の初稿を書き上げたところであった。
達成感は、実のところない。週末はいつもこんな感じだし、必死こいて書き上げたばかりの『この子』が、ちゃんと生きられるかどうか、まだわからないからだ。それに、いまはひたすら頭が痛くて、達成感どころではない。こめかみを指で揉みながら、窓を見る。
「……もう、月曜の……朝か」
カーテンの隙間から、朝日が差し込んでいる。目が痛い。ちゅんちゅんという爽やかな鳥のさえずりが、いまだけはうっとおしかった。
メールに原稿データを添付し、担当編集へと送る。
すぐに返信があった──『お疲れ様です。十八時から、編集部で打ち合わせをしましょう』。
「……自動返信メールかよ」
返事だけは本当に早い。メールを出してから一分もかかってねえ。
「えーっと、ってことは……朝飯作って……学校行って……そんで、編集部行って打ち合わせ……か」
スマホのToDoアプリを起動して、今日の予定を打ち込んでいく。
「うしッ!」
俺は、気合を入れて椅子から立ち上がった。
今日も、一日が始まる。
いつもどおりに朝飯を作り、
どんどん!
「はいはい」
いつもどおりに朝飯を、妹の部屋へと持って行く。
いままでと違うのは俺が『妹の正体』を知っている、ということ。紗霧はいま、固く閉ざされた『開かずの間』の向こう側で、一生懸命イラストを描いているのかもしれない。
それはもしかしたら、可愛い女の子のイラストかもしれない。えろいやつかもしれない。
たとえるならば、いとうのいぢ先生と同棲しているようなものだ。
どうだ、すっげーわくわくするだろう? ドキドキするだろう?
オタクなら、きっと俺の気持ちをわかってくれるはず。
と。
「おっ、これは……」
妹の部屋の前に、メモが置かれていた。
紗霧からのメッセージだ。
引きこもりの妹が、俺に何かを伝えるときは、床ドンの他、メモという形を取ることが多かった。大抵の場合このメモには『買って来て欲しいもの』が書かれていて。
今日のメモも同じく、綺麗な字で『お菓子。そろそろ補充』と書かれていた。
「はいよ、了解」
俺はそのメモを拾い上げて、ポケットに入れる。
先まであった頭痛と眠気は、いつの間にか、すっかり吹き飛んでいた。