第二章 ⑩

 初めて聞くくらいやさしい声だったので、俺はすぐに返事ができなかった。


「い、いやっ」


 さっきさけんだのは、あくまで一方的なせんげんだったからこその台詞せりふで、だな……。

 本人を目の前にして、『あいつにおまえをわたさない!』なんて言えるわけないだろうが!

 ずかしいっ!


「な、なんでもねーよ! 忘れてくれ!」


 おれは、そででなみだのあとをぬぐって言った。


「そ、それよりっ! おまえこそ……どうしたんだ?」

「え? ……どうしたって……なにが?」

「なんでいま、とびらを開けてくれたんだ?」


 いままでだったら、どんなにさわいだって決して開けてはくれなかっただろうに──


「……あ」


 ぎりは、ぽかんと口を開けた。『言われて初めて気付いた』とばかりに。

 ほんのりとほおが、赤くなっているようにも見える。

 俺はもう一度う。


「なんでだ?」

「…………え、えっと」


 紗霧は俺から目をそらす。くしゃりとパジャマのむねぶんつかむ。どうやらこれは、きんちようしたときのくせらしい。


「えっと……その……えっと」

「………………」


 しばし、ごんのときがあって、


「し、しらない……」

「おい、そこじゆうようなとこだぞ」


 いままでは開けてくれなかったのに、いまは開けてくれたのだから。

 じつさい、ほんの数日前。めぐみが来たときは『かずの』が開くことはなかった。

『いままで』と『今』。ほんの少しの短い期間で、いったい何がちがったんだろう。

 俺たちの関係は、変わっていないはずなのに。


「しらないったら……しらない」

「? もう少し大きな声でたのむ」

「な、なんでもないって言ってる。じ、じ、自分だって……」


 自分だって言わなかったんだから、おたがさま

 と言いたいらしい。あせってるわ、しやべれていないわで、み嚙みになっていた。


「それを言われるとつらいな。……じゃあ、俺が言ったら、言うか?」

「……い、言わない。だって、しらないし」


 これはダメだな。いくら話してもらちがあかないパターンだ。


「……わかったよ。おたがさまだもんな」


 理由はわからないが『かずの』のとびらを、もう一度開けることができたんだ。

 その事実だけで、じゅうぶんとしておくさ。『開いた理由』は気になるが。

 おれが引き下がると、ぎりはもごもごと口ごもり始める。


「……ね、ねぇ……」

「ん? どうした?」

「…………兄さん……その…………あの女から……なにか、聞いた?」

「あの女って……めぐみのことか?」


 どうしていきなりその話が出てくるのだろう。


「なにかって?」

「……な、なんでもない」


 そう言いつつ、紗霧は明らかにホッとしたようだった。

 俺がい返そうとするのをさえぎるように、紗霧がはやくちで言う。


「そ、そうだ! それより! たのんでおいたおは買ってきてくれたっ?」

「お菓子って……メモで頼まれてたアレのこと?」

「……う、うん……いま開けたのは、それを受け取るためだから……ほかに、ないから……」

「……そう、だったのか……?」


 紗霧は『開かずの間』をうっかり開けてしまうくらいに、俺の買ってくるお菓子をねつぼうしていたってことか? なんかそれもしっくりこないが。

 もちろん俺が、妹とのやくそくやぶるわけがない。


「ほら、買って来たぞ」


 俺はビニールぶくろを、妹に向かって差し出した。

 今回俺が買って来たお菓子は、にっきあめらくがんだ。ほんじようちよあふれる、和泉いずみまさむねこんしんのセレクションである。自分で食べてしまいたいくらい、どちらもきなお菓子だった。

 兄のあいがたっぷりこもったお菓子を受け取った紗霧は、ビニールの中をのぞきこんで──……


「…………はぁ」


 まゆをかすかにひそめ、実にみような顔になった。


「どうした、紗霧?」

「……いいかいだから言っておくけど……兄さんの買ってくるお菓子って、どれもぶつだんのおそなえ物みたいでいまいちおいしくないの。がっかりお菓子はもう買ってこないで」

「そんなら自分で買いに行きなさいよ!」


 つい、オカンみたいなツッコミをしてしまった。


 この後、紗霧は『開かずの間』の扉を、ときおり開けてくれるようになった。

 といっても。本当に、たまに、だけどな。


「そ、それと……これからは、自分の下着は自分で洗うから。兄さんは絶対にさわらないで」


 そんな……いったい何があったというんだ。

刊行シリーズ

エロマンガ先生(13) エロマンガフェスティバルの書影
エロマンガ先生(12) 山田エルフちゃん逆転勝利の巻の書影
エロマンガ先生(11) 妹たちのパジャマパーティの書影
エロマンガ先生(10) 千寿ムラマサと恋の文化祭の書影
エロマンガ先生(9) 紗霧の新婚生活の書影
エロマンガ先生(8) 和泉マサムネの休日の書影
エロマンガ先生(7) アニメで始まる同棲生活の書影
エロマンガ先生(6) 山田エルフちゃんと結婚すべき十の理由の書影
エロマンガ先生(5) 和泉紗霧の初登校の書影
エロマンガ先生(4) エロマンガ先生VSエロマンガ先生Gの書影
エロマンガ先生(3) 妹と妖精の島の書影
エロマンガ先生(2) 妹と世界で一番面白い小説の書影
エロマンガ先生 妹と開かずの間の書影