めぐみは、興味なさそうに言った。続けて彼女は、幽霊屋敷の二階の窓を指差す。
「って、アレのことでしょうか?」
「やめろよそういうの!」
バッ! 俺は勢いよく後ろを向いた。
めぐみが指差していたあたりをせわしなく見回す──が。
「いねぇじゃねーかビックリさせやがって!」
「ちょうどいま、カーテンに隠れちゃいました」
「あのな、めぐみ。冗談でも言っていいことと悪いことが……」
「いやいや!」
めぐみは両掌を前で振って否定を示す。
「さすがのあたしも、このシチュで冗談なんか言いませんて! それにあたし、ウソは滅多に吐かない女ですから!」
たまには吐くってことじゃねぇか──しかし。
ウソを吐いている様子ではない、か。俺の見立てなんざ、節穴もいいところだが。
なんだかんだいって俺は、こいつを『いいやつ』だと認識しているのだ。
疑えるわけもない。
「おまえがウソを吐いてないってんなら……見間違いだよ」
「…………そうだといいですね、ほんとに」
同情的な声色だった。
めぐみが帰っていったあと、俺は『学校来て来て和泉ちゃんコール』による紗霧の精神ダメージを確認するため『開かずの間』に向かう階段をのぼっていた。
俺が引きこもりだったなら、めぐみたちの『プランB』はオーバーキルにもほどがある所業だったので、兄貴として一声くらい掛けてやるべきだろう。
「まったく、めぐみのやつ……変なこと言いやがって」
こちとら幽霊なんて信じてないが、めぐみの証言は信じているのだ。
隣の家に、白いドレスの女がいた──少なくともめぐみにはそう見えた──
「ちょっと怖くなってきちゃったじゃないか!」
とか言ってる間に『開かずの間』に到着。俺はノックをしてから声を掛ける。
「おーい、紗霧~。大丈夫かー」
………………。
返事はない。……こりゃ、クラスメイトへの恐怖で、布団を被って震えてんのかな。
トラウマにならなけれりゃいいけど。……うーん、どうしたもんかな。
「あったかいココアをいれてやるから、ちょっと待ってな」
くるりと踵を返そうとしたところで、
ばんっ! ごすっ!
またしても急に扉が開き、今度は俺の側頭部を強打した。
「!!!! ……お、おま……おまえってやつは……おまえってやつは……!」
俺も俺だよ! いったい何度同じ攻撃を喰らい続けるつもりなんだ!
いい加減キャッチしたいのだが──なかなか先人のようにはいかないな。
「……どうした、紗霧。急に開けたりして」
俺は側頭部をおさえつつ、何事もなかったかのようなカッコいい声を出した。
そうしたら、驚くべきことが起こった。
「──────」
紗霧が、俺の手を引き、部屋の中に引き摺り込んだのだ。さらに、俺の腰に手を回して、抱きついてくる。
「~~~~~~~~ッ!」
「な、な、な……」
かすかな胸の感触が……! 比喩ではなく、目の前が真っ赤になった。あまりのことに、急速に頭に血が上り、くらくらしてしまう。なんとか声を絞り出した。
「ど、どど、どうしたんだ?」
「……!」
紗霧は答えず、さらにギュッと腕の力を強める。当然俺はさらに混乱し──
「…………お兄ちゃんに惚れたの?」
ゴスッ! ジョイパッドが俺の顎をアッパー気味に撃ち抜いた。
「ど、どっから出しやがったそんなもん!」
「ちが……! ……れい……が」
「な、なんだって?」
「……幽霊……」
幽霊? なんで、紗霧がいまその話題を? 俺とめぐみの会話を聞いていた?
だとしても……ど、どうやって? ここは二階で──大声で話していたわけでもない玄関先の会話が、聞こえるわけがない。俺は、ひとまず問題を棚上げにした。
「幽霊が──どうした?」
「………………」
「大丈夫だ。兄ちゃんがついてる」
俺は頼りにならない兄貴だが、なるべく安心させようと優しい声で言い聞かせる。
すると紗霧は、俺の腕の中で、ぽつぽつと呟き始めた。
「その……布団を被ってフテ寝しようとしてたら…………ピアノの音がするの」
「ぴ、ピアノの音? いまも?」
俺の問いに、紗霧はこくんと頷く。
「……隣の……家……から」
「いや、だってあそこは……」
誰も住んでいないはず。それに、まだ夜にもなっていないってのに、幽霊なんか……。
「……わかった、信じる。ちょっと待てよ」
俺は目をつむって耳を澄ます。
……まず、聞こえてきたのは、ドキドキと拍動する自分の心臓の音だ。そして……ゲッ!
「聞こえる! ピアノの音だ!」
「で、でしょ?」
紗霧は、震える指で、ベランダを指差した。そこにはパステルカラーのカーテンがかかっている。カーテンの隙間から、薄暗い室内に、夕方の朱が差し込んでいた。
「……ベランダから……何が見えた?」
ぶるぶる、と、首を横に振る紗霧。……言うのも怖いって感じだな、こりゃ。
し、仕方ねえ! 俺は紗霧の手を引いて、ゆっくりとベランダへと近付いて行く。
依然として、ピアノの音が聞こえてくる。
「い、行くぞ……?」
ちらりと紗霧の顔を見ると、泣きそうな顔でこくこくと頷く。
「よ、よし……」
俺はカーテンに手を掛け、ざぁっ! 一気に開いた。
幽霊屋敷のベランダが、すぐ近くに見える。さっき、めぐみが指差した場所だ。
幽霊らしき人影はない。が、ピアノの音が大きくなった。
……やはり、隣の家から聞こえてくる。
「……隣の家の……どこから聞こえてくるんだ?」
ぱっと見、異常(幽霊とは言いたくない)は見あたらないが……。
「……に、兄さん、あ、あそこ……」
「えっ?」
紗霧の指先を目で追って──見てしまった。
斜め下、一階……カーテンの隙間から覗く、白い人影を。
「きゃああああああああああああああああああああああ!」(←俺の声)
「ッッッッ!」
俺たち兄妹は、たまらず抱き合い震え上がった。あんまり慌てていたものだから、妹と抱き合っていたというのに、まったくこのときのことを思い出せない。
「……ゆ、幽霊……よね?」
「い、いやっ……そんなわけが……」
「…………見てきて」
「えっ?」
「……見てきて、兄さん」
「……冗談だろ?」
おっかないんですけど?
「見てきて。なんだかわからないと、怖くて絵が描けない」
……怖くて絵が描けないのか。じゃあ、仕方ないな。
「わかった、待ってろ」
俺は、妹を部屋に残し、一人『幽霊屋敷』へと向かった。
玄関を出て、回覧板を手に、一歩ずつ隣家の門へと近付いて行く。黒い鉄製の門を開けると、きぃぃ……という悲鳴のような金属音が鳴った。
「……ごくっ」
隣家の敷地へと足を踏み入れた俺は、邸宅を見上げる。綺麗に清掃されているのに、妙な迫力があった。
回覧板を持って来たのは、もしかしたら誰かが引っ越してきたという可能性があるからだ。それと、誰かに不法侵入を見とがめられたときの言い訳用でもある。
「……幽霊じゃありませんように。幽霊じゃありませんように」
ぶつぶつと唱えながら、問題の窓へと近付いて行く。
「ここ……だったよな。さ、さて……行くぜ!」
俺は気合を入れて、カーテンの隙間を覗き込んだ。
「──────────────なっ」
俺は息を吞んで硬直した。
幽霊の……正体見たり枯れ尾花。
山田エルフ先生が、全裸でピアノを弾いていた。
ピンポーン。
俺は、幽霊屋敷の正面へと回り込んで、インターホンを押す。
ピンポーン。もう一度、ピンポーン。
まぁ、服を着る時間もあるだろうから、三回も押せばいいだろう。
しばし待つと、やがてインターホンのスピーカーから偉そうな声が聞こえてきた。