「しかも、ワ●ピースの発行部数は、これからまだまだ増える。……この意味がわかるな?」
改めて数字にしてみると、マジでやべーな。
創作じゃない現実の数字なのに、どんなマンガのラスボス演出よりもずっと恐ろしいもの。
「……あれっていま何巻くらい出てたっけ?」
「七十巻くらいじゃね?」
「…………」
エルフは、折り曲げた人差し指を下唇に当て、しばし考え込み……
ぱっと表情を輝かせた。
「なーんだ! たいしたことないじゃない!」
ちょ! コイツ!
「ワンピ●スも意外にショボいわね! 七十巻近く出ててその程度なんでしょ? わたしがそのくらいの巻数出すときは、余裕で抜いているに違いないわ!」
「……正気で言ってるのか?」
三〇〇〇〇〇〇〇〇がショボいわけねーだろ。
そもそも小説媒体では、どんなにヒットしても、マンガの大ヒット作に敵うわけがない──というのが常識なのだが……。そんな常識など知るかとばかりに、エルフは胸を張った。
「正気も正気よ。というか──せっかく〝職業〟を〝選択〟したんだから、そのくらいの気概がなくちゃ、面白くないでしょう?」
わたしは、究極のラノベを創るのだから──
「〝小説王〟に、わたしは、なる!」
堂々と言い放つ。
「…………っ」
俺は、自然と口に笑みを浮かべていた。
彼女のスケールの大きさに、壮大な夢物語に。アホらしくてかっこいいルビの振り方に。
つい『頑張れよ』──と、口にしてしまいそうになった。
いかんいかん! そうじゃない、そうじゃないだろ……!
こいつとの、編集部でのやり取りを忘れたのか?
「俺は──おまえの目標なんて、どうでもいいんだけど、さ」
膝に手を置いて、ゆっくりと立ち上がる。
「どうでもいいんだけど……なにかしら?」
俺はライバルに向かって、目を合わせて、告げる。
「おまえには負けない。エロマンガ先生を譲ってなんてやらない」
強く拳を握り込んだ。
エルフが高慢な眼差しで俺を見据える。
「へえ……雑魚作家のあんたが、そう遠くない未来、累計六〇〇〇〇〇〇〇〇部を売り上げる〝小説王〟……否、〝超作家〟となるこのわたしに挑もうっていうの?」
「けっ、部数なんてつまらん指標で戦うつもりはないけどな──」
代わりに、俺が『いちばん大切にしている評価基準』でやってやるよ。
「勝負だ! 俺の相棒を、おまえには渡さん! 超面白い新作で、アニメ化作家なんざ、楽勝でぶっとばしてやるぜ!」
「上等、じゃあわたしは、アンタより面白い小説を書いて、エロマンガ先生を心変わりさせてやるわ。そして、究極の挿絵を描いてもらうのよ!」
どちらが面白い小説を書くかの勝負。
ジャッジするのは、エロマンガ先生。
勝った方が──エロマンガ先生に選ばれた方が──新作のイラストを描いてもらえる。
そういうことだった。
自宅に戻った俺は、いま『開かずの間』の中で正座していた。
目の前では、パジャマ姿の妹が、顔を真っ赤にして俺を睨んでいる。怒っているのだろう──口元を硬く引き結び、顎に〝梅干し〟を作っている。
彼女は、口を開くや、
「おそいっ!」
と叫んだ。ヘッドセットのマイク越しだったので、二重に聞こえたが、肉声だけでもじゅうぶんな、感情のこもった一声だった。
「なんで! すぐ!」そこで一旦、息切れし、「……戻って! こないの!」
……なんで俺は、妹に怒られているのだろう。
ええと……
「幽霊屋敷の様子を見に行った俺が、なかなか帰ってこなかったから、ずっとひとりで怖かったのか?」
「ちが……! じゃなくて!」
「『そうじゃなくて』? なんだ?」
「なんでもない。もういい」
ふい、と紗霧はふて腐れたようにそっぽを向いて、唇を尖らせた。
「……その……なかったの? 問題」
ネット配信なら流暢に喋るやつなのだが、こうして面と向かって話すとき、紗霧は本当に口べたになってしまう。俺は妹の台詞の意味を、いちいち吟味して答えなければならなかった。
「ああ、大丈夫だ。幽霊じゃなかったよ」
「そ、そう」
「あのピアノの音は──…………えーと」
ゼンラーガールの勇姿を思い出し、一瞬、言葉に詰まってしまう。
「お隣さんが、ピアノ弾いてただけだった。最近、引っ越してきたって」
「…………お隣さんって……そんなのいたんだ」
紗霧が不機嫌な声で呟いたとき。
ばんっ! という音がカーテンの向こう側から聞こえた。
「ひゃ」
紗霧が、びくりっ、と飛び上がる。俺も「な、なんだ?」と目を丸くした。
「……あ、うう……あの……窓って……」
紗霧は、ぎゅ、と俺の服の裾を摑む。
そう、窓の向こう側には、幽霊屋敷がある。もちろん幽霊などいなかったわけだが、二階にある『開かずの間』の窓が叩かれているのは、事実。
「大丈夫だ、任せとけ」
俺はゆっくりと窓に近寄って、解錠し、
「窓、開けるぞ」
ガラッとカーテンごと開ける。
「にいさ、あぶな……!」
瞬間。
しゅぱっ──びたん!
俺のデコに、ヘッドショットが炸裂した。
「のわっ! な、なんだぁ!」
強い衝撃があったものの、幸い即死するようなものではなかったらしい。
俺は、デコにくっついている何かの、棒状部分を摑んでひっぱった。
きゅぽん、という快音とともに抜けたそれは──
「……おもちゃの……矢か?」
なんだって、こんなもんが?
「やっと出てきた!」
聞き覚えのある高慢な声が、幽霊屋敷の方から聞こえた。
「そ、その声は!」
俺が矢から視線を上げると、
「わたしよ!」
向こう側のベランダに、弓を構えたエルフが立っていた。エルフに弓矢、恐ろしくぴったりな組み合わせだった。というか、こいつの作品に登場するヒロインそっくりだ。
「ちょっとあんた! いきなり猛ダッシュで帰るなんて、どういうつもりよ! 我が居城の紹介はまだまだ続くというのに、失礼だとは思わないの!」
ぎゃんぎゃんぎゃんぎゃん! 狂犬のように吠えかかってくる。
俺はベランダの柵を摑んで、身を乗り出した。
「なにかと思えばまたてめえの仕業か! 妹を泣かしやがって! 悪霊に取り殺されて死ね! いまやってるシリーズ最終巻まで書き上げてから死ね!」
「あんたのキレるポイントがわからない! そこまで怒らなくたっていいでしょ!」
「な、ないてないっ」
ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー。この場にいる全員が、正気を失っていた。
「さっき敵対したばっかだろうが! 幽霊屋敷でピアノなんか弾きやがって、失礼なのはお互い様だっつうの!」
「お互い様じゃありません~~~! はだかを見られたぶん、こっちの方が迷惑をこうむってますぅ~~~~~」
「んなもん見たくて見たわけじゃね──ッつってんだろ! そこまで言うなら、いますぐ俺も脱いでやるよ! ホラ! ホラホラホラホラ! これでお望みどおりなんだろ!」
「ぎゃ──ッ! な、なんてモン見せようとしてんのよ!」
ビシュビシュビシュビシュ!
エルフが涙目で、矢を乱れ撃ちしてくる。
「いて! イテ! このっ!」
俺はズボン半脱ぎで後退する。と、同時に紗霧が窓を勢いよく閉めた。
ガラガラガラ、ぴしゃん!