エルフはこちらを、意味ありげにチラ見して、
「これから、そのための作業をするところなのよ。このわたし、大作家山田エルフの仕事場でね」
「ほぉ、そうなのか。そりゃ凄い」
じゃあ、なんとしても邪魔してやらなくちゃな。さて……そのためには……。
エルフはさらに、チラッ、チラッ、とこちらを見て、
「ふぅ~ん、興味がありそうね?」
「おう。おおいにあるな」
「そ、そう? そんなに興味ある?」
「ああ、ある。おまえみたいな売れっ子作家の仕事場を、ぜひとも見てみたい。色々勉強になるかもだしな」
これは、エルフの仕事場に入るための口実なのだが、別にウソを言ったわけじゃない。
「ふ、ふーん。いい心がけね!」
エルフは嬉しそうに腕を組んだ。
「いいわ、特別よ? わたしの仕事場を、あんたに見せてあげる!」
なんともちょろい女だった。
「わかった。ありがたく見せてもらうぜ」
「そうと決まったら! さ! ついてきなさい!」
クリスタルパレスに入るや、俺はエルフのあとに続いて階段を上っていった。
「んー、ふんふんふーん♪」
俺を先導するエルフは、足取りも軽く、妙にうきうきしている。
怪しいな。なにか、俺を陥れる罠でもあるんじゃなかろうか。
クリスタルパレスの二階は、我が家の鏡写しのような間取りをしていた。細部は違うが、和泉家でいう『開かずの間』の位置に、エルフの仕事場がある。
金色ノブの木製扉に『Office MOON SIDE』と書かれたプレートが貼ってあった。
エルフはもったいぶった仕草で扉を開けて、俺を見る。
「ふふっ……ようこそ、まれびとよ。ここが我が社の入口よ」
「お、おう」
どうにもこのノリについて行けない。
「我が社ってことは、おまえ、法人化してんの?」
「当然でしょう? アニメ化作家なんだから。税金対策に法人化するなんて、アニメ化作家ならみんなやっていることよ」
「へー、そうなんだ。なんか、めんどくせーんだな」
「めんどうだけれど仕方ないのよ。アニメ化作家だから。超収入多いし。アニメ化作家だからね。ま、あんた程度の年収なら、暗黒魔導器〝弥生会計〟を使えばそれで事足りるでしょう」
「青色申告の味方、弥生会計さんを邪悪っぽく言うんじゃねえ。あと俺の年収を計算すんのやめろ」
これだから同業者は……。
「ちなみにこれがわたしの名刺よ」
「そりゃどうも。ありがたく頂戴いたしますよ」
エルフは名刺を、気障ったらしく指にはさんで渡してきた。
白地に濃い緑で文字が書かれている。まずは『Office MOON SIDE』と会社名があり、その下に肩書きとペンネーム──『Greater Novelist Elf Yamada』……だと?
「なにコレ?」
真顔で聞いてしまった。一方、エルフはきょとんとしている。
「なにが?」
「小説家、はわかる……作家の名刺にゃ、よく書かれているからな。でも、グレーターってなによ? もしかして……もしかすると……大小説家って意味?」
「もちろんそうよ?」
ば、バカな……自分の名刺に『大小説家』って書いちゃうやつがいるだと……?
あまりの事実に戦慄を禁じ得ない。
エルフは胸に片手を添えたカッコいいポーズで語る。
「わたし、小説家にも、ランク付けの肩書きが必要だと思うのよね。偉大なるわたしと雑魚作家とで、同じ肩書きを名乗っているなんて、おかしいでしょう?」
俺、こいつのファンやめようかな。
「ちなみに……どういう基準で肩書きがランクアップすんの?」
「累計発行部数よ。百万部突破で選ばれし存在である『大小説家』となり、各作家固有の特殊能力を獲得することができるの。一千万部を超えると核融合魔法を操る『偉大なる小説家』に〝進化〟するわ。一億部を超えると業界を統べる『小説王』に──この位階へ至ると人類にほぼ敵はいなくなるわね。そして五億部を超えると、ついに……我等が天敵〝税務署〟さえ克服した存在である究極完全体『超小説家』へと〝最終進化〟するッ!」
なに言ってんのかわかんねーよ。勘弁してくれ。
俺は、苦しみながらもこう言うことしかできなかった。
「……わりと細かく設定を詰めているんだな」
「フ、なにせアニメ化作家ですからね」
堂々としたものである。さすがは『大小説家』……。
「あんたの名刺は?」
「ねえよ」
そんな会話をしながら、エルフの仕事場へと入っていく。
部屋のすみには業務用のプリンターにシュレッダー。洒落たデザインの白い机が真ん中にデンとあり、その上にはノートパソコンが載っている。すぐわきには、アーロンチェアが、魔王の玉座のごとく鎮座していた。部屋の配色は淡い緑が主で、かすかに梅に似た香りがする。
こいつらしい、偉そうな仕事環境だと思ったよ。
エルフは、ベランダを指差した。
「ベランダからの眺めも素敵なのよ! 不動産屋の受け売りだけれどね!」
「……じゃあ、見せてもらうか」
どうせ俺んちと大差ねえだろ、隣なんだから。
あいにく道路と荒川土手くらいしか見えねーよ。
とは思うものの、俺にだって、本心を口にしないくらいの気遣いはできる。
俺は窓を開けてベランダに出てみた。
「……お」
クリスタルパレスのベランダからまず見えたのは、紗霧の部屋だった。
……紗霧のヤツ、カーテン閉め忘れてやがる。
珍しいこともあるもんだ──引きこもりという呼び名のとおり、紗霧は窓とカーテンを常に閉め切っているはずなのに。
……閉め忘れる、ねぇ。……そもそも『閉め忘れる』ためには、いったんカーテンを開けなくちゃいけないわけで……。どうにも不自然な気がするな。
紗霧に、カーテンを開けるような理由があるとは思えない。
あの部屋のカーテンを開けて見えるものなんて、それこそ──クリスタルパレスくらいしかないってのに。
考えても結論が出ないので、俺はひとまずこの謎を棚上げにしておくことにした。
改めて、紗霧の部屋に意識を向ける。
ヘッドセットをつけて、ペンタブで絵を描いている紗霧の姿が見えた。
……楽しそうにしちゃってまぁ。
また例の動画配信でもやっているのだろう。
初めて見たよ。あいつのあんな、はしゃいだ顔。
一人で部屋にいるとき、紗霧はあんな風に過ごしているのだ。
「…………ふっ」
俺の口からは、自然と優しい笑みが漏れた。
エルフが「どう、クリスタルパレスからの眺めは? 素敵だったでしょう?」と問うてくる。
こいつの探しているエロマンガ先生が、まさか目と鼻の先で絵を描いてるなんて、思いもしてねぇだろうな……。俺は「そうだな」と本心で返して、ベランダをあとにする。
改めてエルフの仕事場を見回した。かなり広い……が。
「なんか、ダンボールばっかだな」
「引っ越したばかりだと言ったでしょう。中身はほぼフィギュアやらのグッズよ。それと、見本誌ね」
「グッズ? 見本誌? ……こんなに?」
うちにはそんなの、手で持てるくらいしか送られてきたことねーぞ。
「フッ、アニメ化作家ともなれば、当然のことよ」