得意げに唇をゆがめるエルフ。
こいつ、今日だけで『アニメ』って何回言ったかな。
「ふふん、正直、こんなにたくさんいらないんだけどねえ──キャラクターグッズが売れちゃって売れちゃって、どんどん新しいのが出るし、小説が重版するたびに見本誌が送られてくるのよ。あー困ったわ、捨てるわけにもいかないし……。やれやれ、アニメ化作家ならではの悩みよね~♪」
凄まじい勢いで自慢話をしてきやがる。エルフはこの前装備していた弓を掲げて、
「もしよかったら、好きなのを持って行って頂戴。このエルヴン・ボウなんかおすすめよ」
「マジで!? じゃあ新刊くれよ、サイン入りで!」
これは嬉しい。テンション上がる。
この前買ったサイン本の続きが気になっていたのだ。
「あら? あんたってわたしの下僕?」
「ファンという響きに妙なニュアンスが含まれていた気がするが、まあ、そうだ」
「早く言って頂戴よ、そういうことは」
エルフはそれはもう嬉しそうな顔になった。パンパンと馴れ馴れしく背中を叩いてくる。
気持ちはわかる。サイン会のときの俺も、こんな感じだったし。
「待ってなさい、いま、全著作のサイン本をあげるから」
おしりふりふり、ダンボールをごそごそし始めるエルフ。
ほんとにもの凄い冊数の見本誌が入ってるな……。恥ずかしい話を明かしてしまうと、このバカみたいな売上への嫉妬のせいで、俺はエルフの新刊を発売日に買えないのだった。
細かい説明は省くが、初動売上、つまり『新刊が発売直後に売れた冊数』というのは、俺たちにとってもの凄く大きな意味を持つ。それこそ、某週刊漫画のアンケートと同じくらいに。
だから、ライバルの本を発売直後に買うことに、抵抗があったりするのだった。
もちろんダッセー考えで、こんなのは俺だけだと思うんだけどさ。
「はいっ! どーぞ!」
エルフが無邪気にサイン本を差し出してくる。ファンの前だと、いつもの偉そうな態度はなりをひそめ、年相応の子供みたいだ。……ほんと、自分が恥ずかしくなってくるな。
「サンキュー」
……おお、俺、けっこう感激してるかも。
『憧れの作家先生と、やろうと思えば会えてしまう』というのは、この仕事のいいところかもしれない。羨ましいと思うやつも多いだろう。
いざ会ってみたら、思ってたのと違っていて、幻滅してしまうこともあり得るので、好きな作家と会うのはおすすめしないが。
俺は、もらったサインを覗き込む。
「サインうめーなおまえ」
「フフフ、アニメ化決まってから練習したのよー。これからサイン会がいっぱいあるからね!」
「アニメはじまったら値上がりするよなぁー、友達に売る用のサイン書いてもらっていい?」
「喧嘩売ってんの!」
好きな作家の仕事場に入って、サインをもらって、口喧嘩までして──
幸せなシチュエーションだった。いまさらそれに気付いてしまった。
……待て待て俺よ……喜んでる場合じゃないぜ?
ここになにしに来たと思ってんだ。山田先生のサインもらうためじゃねーぞ。
「と、ところで……さっきの話だけど」
「ん?」
「ほら、エロマンガ先生の正体を探る──とかなんとか」
「ああ、あれね」
「具体的にどうやって探るつもりなんだ? 実のところ、俺もエロマンガ先生の正体は気になるからさ。教えてくれよ」
もちろんウソだが、エルフはあっさりと信じた。
彼女はパカンとノーパソのフタを開ける。
「ネットを使うわ」
「インターネットを使っているユーザーは、WEB上にさまざまな痕跡を残しているわ。掲示板の書き込みであったり、ブログの記事であったり、アップロードしたイラストであったり……まあ色々ね。そういったかすかな痕跡から、ときに個人情報を特定することができるのよ」
エルフはノートパソコンでブラウザを起動し、エロマンガ先生のブログを表示させた。
「エロマンガ先生って、ネット上で色々活動しているでしょう。──たぶん、個人特定できると思うのよね」
しれっとおっかねぇこと言いやがる。
「……おまえ、エロマンガ先生を特定して、そのあとどうするつもりなんだ?」
「直接会って話をするわ。で、わたしの素晴らしい原稿を読んでもらって、その上で説得するの。わたしの作品のイラストを描いて頂戴ってね。ただ座して向こうからの連絡を待つだけなんて、わたしには耐えられないから」
やり口が強引だが、その積極的な姿勢は、もしかしたら俺に欠けているものなのかもしれん。
「すでにブログの精査は終わっているわ」
「ほう。んで、わかったことは?」
「んー、いまのところ、たいしたものはないわね。好きな漫画とか、アニメとか、そういうのと──ブログにイラストはアップするのに、写真はまったくアップしない。天気の話題がいっさいない。オタクなのにイベントにはいかない。リアルの友達の話題もなし。ああ、家族が一人いるみたい。でも両親とは……同居していない? どういうことかしら、これ。……エトセトラ、エトセトラ──引きこもりか、ほとんど外に出ない人かも。住所はたぶんこのあたり、わたしたちの家と同じ区内よ」
「待て! なにが『たいしたものはないわね』だよ! めっちゃ特定進んでるじゃねーか!」
「いまのは、かなりわたしの想像が混じっているし、住所も本名もわからないのよ」
それはそうかもしれないが……それでも十分におっかない。
そのうち本当に特定されてしまいそうだ。
「で……次はどうする?」
「エロマンガ先生のツイッターを調べてみるわ」
エロマンガ先生のツイートを閲覧し続けるエルフ。俺は彼女の後ろから、流石兄弟の弟者みたいな体勢でハラハラと見守っていた。やがて、エルフが、フーと息を吐く。
「だめね。ろくなツイートしてないわ、こいつ」
幸いにもエロマンガ先生は、自分が配信している動画や、ブログなどで描いたイラストの紹介くらいしかツイートしていなかった。
「そ、そうだな」
俺はこっそりと胸をなで下ろした。紗霧の正体を、よりにもよってエルフに知られてしまうのだけは避けなければならない。勝負云々を抜きにしてもだ。
間違いなく、ろくなことにならん。
「さ、さて、もう諦めるか?」
「まさか。次は──そうね、エロマンガ先生が配信している動画を見てみましょうか。ちょうどいま、生配信中みたいだし」
「……えっ」
いかん。
「なに?」
「い、いや……動画を見るの、今日はやめておかないか?」
「なんで?」
「そ、それは……」
ドキドキと心臓が鳴る。俺は、無意識のうちに窓の向こう側──紗霧の部屋を見ていた。
そこには依然として、無邪気に動画配信をする紗霧の姿がある。
しかも、なに喋ってるのかしらねーが、ペンタブを構えたまま、ぴょんぴょんベッドの上で飛び跳ねていやがる。まったく知能が感じられない。完全にアホな幼稚園児。
なんだよあの可愛い生き物、見ているだけで笑っちまうだろ。
俺に見られていると知ったら、どんな顔をするかな……。
頰が緩みそうな光景だったが、いまだけはそれどころじゃない。
「ぐ……うう……」
俺は自然とうなり声を漏らしていた。
エロマンガ先生本人が、すぐそこで動画配信をしているというのに。
いまここで、エルフと一緒に、妹の動画を視聴する?
どう考えてもマズい。激しくマズい。と──俺も動揺していたものだから、判断力が鈍っていたのだろう。すぐとなりにいるエルフに、こう聞かれてしまった。
「あんた、さっきからどこ見てるの?」
「はっ!」
びくん! 激しく全身を震わせて、
「ど、どこも!?」
俺の苦しい発言を、エルフは当然のようにスルーして、俺の視線を辿っていった。