第三章 ⑨

となりの──あんたの家? あっ、ああ────あの


 エルフが、ぎり姿すがたを見てしまった。

 一秒、二秒、三秒…………何かを言わねばならんのに、なにひとつことが浮かんでこない。

 その間もエルフは、アホ丸出しではしゃぐ俺の妹の姿を、じぃ……と意味ありげにぎようしている。ひたいからあせれた。すでにノーパソのめんには、エロマンガ先生によるお絵かきなまはいしんどううつっている。このままでは、なにかのひように、妹のしようたいがバレてしまいかねない。

 かつて、俺が妹の正体に気付いた、あのときのように。

 ヤバイ……ヤバイ……ヤバイヤバイヤバイ────


「ぷっ」


 えっ? と、音の方を見る。

 こうちよくする俺の目の前で、エルフがおもしろそうにき出していた。


「ぷふっ……アハハ、なにあれ。あんたの妹、おっかし……くくく」

「…………」


 あれ? なんか、予想したてんかいちがうな。俺はちらりとノーパソを見る。

 画面では、エロマンガ先生が、『うひょー』だの『きょあー』だのせいを張り上げながら、えっちなイラストをいている。本人の姿こそ映っていないが、ペン型のカーソルが、感情をはんえいしたかのように、じゆうおうじんね回っていた。

 一方で、げんじつの紗霧はといえば、ペンタブをダイナミックに振り回し、れいぎんぱつみだしておおあばれしている。絵を描いているとは思えぬだが、他にたとえようがない。

 画面のありさまに気付かぬまま、エルフが、紗霧を、震える指でさして言う。


「妹、絵、描いてんの?」

「おう」


 そう答えた。妹がイラストレーターだということを、かくしたいはずなのに。

 どうしてか、俺にもわからん。


「いつも、あんななの?」

「俺も、初めて見た」

「絵、くの、きなんだ?」

「らしい」

「もんのスゴク、はしゃいでる」

「ああ」

「楽しそう」

「ああ」


 まったく。なにがそんなに、おもしろいんだかな。おれにはわからないけれど。

 しあわせなこうけいだった。それだけは、たしかなことだった。

 エルフはぜんとして、くくく、とのどを鳴らしている。

 表情は、いままでとは種類のちがう、やさしいがお


「いいわね、アレ」

「だろう?」

「なんか、わかる」

「そうなのか?」


 俺にはちっともわからないのに。おまえには、わかるのか?


「わかるわ」


 自信たっぷりに口を広げて、彼女は言った。


「ああじゃなきゃね」


 いまいちめいりようなやりとりだった。彼女はわかっていて、俺はわかっていなかった。

 俺がもんを口にする前に、エルフは、かくしんを持った調ちようだんげんした。


「すてきな絵ができるってことよ」

「…………」

「エロマンガ先生がいなかったら、いつしよごとしたいくらい」

「そうか」


 本人なんだけどな。ぎりの絵を、見てもいないくせに、そこまで言うか。

 いつしゆんだけ、明かしてしまおうか、とさえ思った。

 かぶりを振って、すぐにみとどまったけれど。代わりにこう言った。


「ええと、やま先生?」

「はあ? なによその気持ち悪い呼び方──エルフでいいわ」

「じゃあ、エルフ」


 俺は初めて、彼女の名前をんだ。


「はい、なに?」

「サンキューな」

「……なにについて?」

「いまの話。うれしかった」

「ちょっと。あんた、ほんとにしようせつ? しやべるのヘタクソすぎじゃないかしら」

「小説を書くのと、喋るのはちがう」


 きわめてじつかんのこもったひとことだった。

 エルフもおぼえがあったのか「……そうかもねぇ」とちようつぶやく。


「思ったより、おまえはいいやつかもしれない」

「なにそれ。ぎやくに、さっきまではどう思ってたってのよ」


 ゴミ。

 とは、言わない。代わりに、違う話を切り出す。


「エロマンガ先生のけんおれたち二人のしんさくを読んで決めてもらうってのはどうだ」

「えっ?」

「俺がなんとかして、おまえのげん稿こうも読んでもらえるようたのんでみるから。だから、じんとくていとかもうしなくていいぞ」

「ほんとに? いいの?」

まかせろ。やくそくする」


 断言した。

 エルフは、立ち上がって、俺の目の前にどうする。

 びをして顔を近づけ……こちらの顔をぢかのぞき込むようにして、


「あんたに勝ち目ないよ? エロマンガ先生、わたしが取っちゃうよ?」

「やってみなくちゃわからない。そうはさせない」


 あいの目を見て、低い声でせんげんする。


しようだ、って、言ったろ?」

「…………あっそ」


 エルフは、俺のせんから目をそらし、うつむいた。

 俺たちの間に、しばしちんもくの時間が流れた。

 どのくらいそうしていただろう……


「……あの、さ」


 やがてエルフは、ぼそりとこう切り出した。


「……あんた、なんでわたしのファンになったの」

「なんだ、いきなり。言わなくちゃだめか?」

「ダメ。言って」


 顔を上げ、背伸びをして、すぐ間近で、いどむように見つめてくる。


「…………」


 きなさつのサイン会でこんなこと聞かれたら、こまっちゃうよなぁ。

 どうしたもんかな。流せるふんでもねぇし。……ううむ。

 うんざりするほど長く考えてから、口を開いた。


「……はじめておまえの本を読んだとき、な」

「う、うん」

「ちっともかなしくない、めちゃくちゃ笑えるシーンなのに、なみだが出たんだ」


 まんでも、しようせつでも、アニメでも、本当におもしろいラブコメって、そういうものかもしれない。


「それで、ファンになった」

「そ、そう」


 エルフはほおを赤らめて、うつむく。

 おたがいに、ごんの時間がぎていく。

 ……なんだこりゃ。まるでこくはくシーンだ。なんか、すげーずかしくなってきたぞ。

 それでも、一度口にしたことは、ゆっくりと最後までき出される。


「そのころおれ、すっげー……きついことが、あってさ。どうしたらいいかわかんなくて、毎日落ち込んでたんだわ。もう人生でこれ以上つらいことないって思ったのに、そのすぐあとにまた、ひどいことがあって、打ちのめされてた。……でも、おまえのバカみたいな話読んで、笑って、泣いたら、ちょっとらくになったんだ」

「そっか……ってオイ、めてるのそれ!」

「褒めてる褒めてる。毎回毎回、ろくに話すすまねーくせに、よくまぁあんな面白いぶんしよう書けるもんだ」

「褒めてねぇー! 絶対バカにしてるでしょ!」

「してねーっての」


 ぽかぽかなぐりかかってくるチビ女を、かたうでだけを伸ばして止める。


「どーしてつたわんねーかなぁ。信じてもらえねーかもしんねーけどさ。あんとき俺、小説って人をすくえるんだなって思ったよ。このタイミングで言うのもなんだけど、ありがとう」

「そりゃ、どーも。どういたしまして」


 エルフはかくしのように、腕を組んでそっぽを向く。


「でも、わたしだって、いまはまだ、どくしやぜんいんを感動させられるわけじゃないのよ」


 そりゃそうだ。『いまはまだ』が付いているのがこいつらしいけど。


「ま、てんさいだからねー。わたしは本を出すたびに、十万人くらい泣かせてると思うけれど」


 いつぱくをあけて、こうまんな彼女の口から飛び出した言葉は、とてもしんなものだった。


「あんただって、一回くらい、ひとりくらいは救っているんじゃない?」


 俺は目を丸くして、それから笑ってこう答える。


「そうだといいな」


 そのときのうに浮かんだのは、初めておれかんそうをくれた、顔も知らないあの人のこと。

 妹の笑い声が、ノートパソコンのスピーカーから、高らかにひびいていた。

刊行シリーズ

エロマンガ先生(13) エロマンガフェスティバルの書影
エロマンガ先生(12) 山田エルフちゃん逆転勝利の巻の書影
エロマンガ先生(11) 妹たちのパジャマパーティの書影
エロマンガ先生(10) 千寿ムラマサと恋の文化祭の書影
エロマンガ先生(9) 紗霧の新婚生活の書影
エロマンガ先生(8) 和泉マサムネの休日の書影
エロマンガ先生(7) アニメで始まる同棲生活の書影
エロマンガ先生(6) 山田エルフちゃんと結婚すべき十の理由の書影
エロマンガ先生(5) 和泉紗霧の初登校の書影
エロマンガ先生(4) エロマンガ先生VSエロマンガ先生Gの書影
エロマンガ先生(3) 妹と妖精の島の書影
エロマンガ先生(2) 妹と世界で一番面白い小説の書影
エロマンガ先生 妹と開かずの間の書影