学校行く行かないはともかく……ちゃんと勉強しておかないと、売れっ子作家でも許されないということを、自分自身で証明してしまったエルフであった。
「よ、ようするに、わたしが驚いていたのは、アンタは年に文庫九十六冊分の物語を産み出す超速筆作家だってこと!」
「言っとくけど、さすがに、ずっとその速度を維持し続けられるわけじゃないぞ。土日休むと半分になるし、無理しすぎると病気になることだってあるしな」
いずれにせよ、九十六冊なんてのは、あくまで仮定の話でしかない。
実際の俺は、去年、一年に七冊出したのが最高記録(イラストレーターに超きついスケジュールを強いた)だし、一昨年は、ボツの無間地獄にハマり、他の作家に出版枠を奪われ、一冊も本を出せてない。
「それでもじゅうぶん規格外のチートスキルよ。累計発行部数百万以下の雑魚作家の分際で、すでにA級スキル持ちだなんて……はじめて見たわ、そんなやつ」
一瞬なんの話だと思ったが、そういえばコイツこの前『累計発行部数が百万を超えると「大小説家」にランクアップしてスキルを獲得できる』とかいう妄想を垂れ流していたな。
……ううむ……ライバルに、初めて作家として認められた気がしてまんざらでもなかったのに、素直に喜べない。
「そういえば、『大小説家』さまであるおまえも、何か、そういうスキル? 持ってんの?」
妄想にノッてやると、エルフはニヤリと笑った。
「わたしのユニークスキルも、けっこう凄いわよ。使い勝手の悪い玄人向けの能力だけれど、そのぶん決まったときの爆発力は、あんたの〝超速筆〟を凌駕するわ」
「そ、そうなんだ」
エルフがあまりにもガチすぎて、俺は妄想に付き合ってしまったことを、ちょっと後悔した。
「いずれ見せてあげるわよ。あんたがわたしに、負けるときにね」
あとから思い返してみれば、俺は、この時点で気付いておくべきだったのだろう。
エルフの恐るべきの能力の正体に……ヒントはじゅうぶんに揃っていたのだから。
──なんて、俺が能力バトルものの主人公だったなら、そんなモノローグを入れておく場面だったかもしれないな。やれやれ、アホらしい。
さて、そんなやり取りがあった後。俺たちは一階へと戻っていった。
エルフはキッチンで料理をはじめ、俺はリビングで、書き上がった原稿を読み直す作業を行う(A4用紙がないので、結局違うサイズの用紙で、原稿を印刷した)。
どのくらい経った頃だろうか……リビングで座布団に座っていた俺のところに、エルフが皿を持ってきた。
「ちょっとスープの味見をしてくれる?」
「ん、お、おう」
俺は、赤ペンと原稿をローテーブルに置いて、スープの味見に取りかかった。
味見というわりには、やや深めの皿に、具材が綺麗に盛りつけられている。
たまねぎ、えんどうまめ……皿の中心、メインヒロインのように存在を主張するのは、ぷるんと震える半熟たまご。
香ばしそうな焼き色の付いたキャベツは、乙女が纏う衣のよう。
漂う薫りは、コンソメとベーコン、バターの三重奏。
ごくりと喉が鳴った。
見た目と薫りの両面から、ガンガン食欲を刺激してくる。
「………………」
皿を直接手に持ち、ず……とすする。
ずず……無言でもう一口。ずず……さらにもう一口。
何かに急かされるようにスプーンを動かし、乙女の衣を一枚ずつはがしにかかる。キャベツを口に含んで嚙みしめると、口内にじゅわっと旨みが染みてきた。
「………………」
言葉にもならない。代わりにせわしなく次の獲物に狙いを定める。スプーンの先端をつぷりと半熟たまごに刺し入れる。とろりと流れ出た黄身を、キャベツにからめ、他の具材と一緒に口に入れる。
とろり……バク……じゅわっ、ずず……。
……ううむ……こ、コレは……。
「どう? お味は」
「すげえ美味い」
出てきたのはシンプルな賞賛の言葉。
一年前から自炊をはじめたような俺なんかとは、格が違う、エルフの料理の腕前だった。
「でしょ? これぞ名付けて『春妖精の全裸スープ』! まだまだ序の口だから、他の料理にも期待していて頂戴」
「おう!」
正直なところ、この『なんたら全裸スープ』とかいう、超美味くて卑猥な名前の汁を飲ませてもらった時点で『仕事を見せてもらうはずだったのに、なぜ手料理を喰わされているのか?』という疑問は、すでにどうでもよくなりつつあった。
なりつつあったのだが、俺の口からは別の質問が飛びだした。
「掃除といい料理といい……おまえって、なんか初対面のイメージと違って……むちゃくちゃ女子力高くねーか?」
料理も掃除も超うまく、楽器を嗜み、オタク趣味にも明るい、見てくれ抜群の女の子。
そんでもって、人格面には難がある。まるでライトノベルのヒロインみたいなやつだ。
俺の疑問に、エルフは素でこう答えた。
「プロのラブコメ作家なんだから、当たり前でしょう?」
「な、なに? どういうことだ?」
「どういうこともなにも。料理ができないラブコメ作家なんて、いるわけないじゃない。掃除のやり方をしらないラブコメ作家なんて、ひとりもいないわよ。だって掃除のうまい女の子も、料理のうまい女の子も、自分の書く小説に出てくるんだから。読者をヒロインに惚れさせるために、女の子をかわいく描くために、毎日毎日ひたすらそればかり考え続けているのよ。女子力高いに決まっているでしょうが」
「……そういうもんか?」
そういえば、あの先輩も、あの先輩も、人格はともかく料理はうまいらしいしなあ。
「そういうものよ。推理小説を書くのに人を殺すのはダメだけど、ラブコメ書くのに料理するのは別に犯罪にならないからね。そりゃ、やるわよ。人を殺すときの気分は、想像するしかないけれど、気になるヤツに手料理を作ってあげるときの気分くらいなら、合法的に体験できるわ。美味しい料理を作れたときの感動も、上達する嬉しさも、失敗したときの悔しさだって、体験できるものなら、体験してから書くでしょう。プロなんだから」
『ラブコメ作家全員が女子力高い』なんてのは、さすがに決めつけだと思うが。
……なんだ、こいつ。
学校行ってねーけど、ちゃんと勉強してるんじゃねーか。
「……おまえ、遊びで小説を書いているんじゃなかったのか?」
「本気でやらない遊びなんかつまらないわ。──美味しく食べてもらうのは当然の大前提だけれど、そのためにも、料理は楽しく作らなくちゃね」
俺の対面に座っているエルフは、テーブルに両肘をついて、両の掌に顎をのせる。
エルフは、にっこりと、ヒロインみたいに微笑んで、
「ねぇ、美味しかった?」
どきり、と、心臓が撥ねた。辛うじて、顔には出さずに返事をする。
「すっげー美味かったよ。さっき言ったろ」
「そう。すっげー嬉しいわ。あんたのおかげで……料理、いままでより好きになったかも。────ありがとう、いい取材になるわ」
「──────」
確かに、かわいい女の子にそんなふうに言われたら、惚れてしまうかもしれない。
『取材』という無粋な言葉がくっいていてなお、俺は動揺してしまっているのだから。