「もうっ!」
紗霧は、ぎん! と一際強く俺を睨むと、パソコンデスクのあたりから、ペンタブを手に取った。前屈みになって、しゃしゃしゃしゃーっ、と、高速でペンを走らせる。
十秒もしないうちに、イラストを完成させて俺に突き付けてきた。
「これっ!」
「速! なんだ、これ? ……もしかして、俺か?」
紗霧が俺に突き付けてきたのは、デフォルメされた『俺』のイラストだった。
口からはフキダシが出ていて、その中に『お隣さん? ぜんぜん仲良くないよ』と書かれている。
「なんか、この『俺』……腹立つ顔してんな。……これがどうしたんだ?」
「……!」
紗霧は再び、しゃしゃしゃしゃーっと、新たなイラストを描いて、俺に突き付ける。
普通に喋った方が絶対に早いだろと思ってしまうが、こいつに限っては、例外なんだろうな。
紗霧は、パンパン! と、タブレットの画面を叩いて、
「……これ」
紗霧が見せてきたのは、全裸の金髪美少女のイラストだ。
「どう?」
「どうって……」
このイラストを見た感想? そりゃあ……。
「むちゃくちゃエロ痛って! タブレットの角で殴んのやめろよ!」
「ば、ばかっ! そうじゃなくて! 他に……他に……!」
他に、何か言うことあるでしょう? と、言いたいのだろうか。
「他に、ねぇ」
この超エロい金髪美少女のはだかを見て、他に、何か言うこと……か……。
「……うーん……ないでもないけど、これは関係ないだろうし……」
「………………言ってみて」
いや、ほんとに関係ないと思うぞ? と、言える雰囲気ではなかったので、俺は仕方なく、思ったことをそのまま口に出してみた。
「ずっと気になってたんだけど、おまえって、なんで貧乳の女の子しか描かないの?」
「……!」
紗霧は、ボッと赤面しつつ仰け反った。
俺に対してキレていた紗霧の勢いが、目に見えて弱まる。
「そ、それは……!」
「ヒロインのおっぱいを大きくしてくださいって要望出しても、無視するよね?」
「そ、そんなことない。……がんばって大きくしてあげた。ちょっと」
「よく見ないと気づかないレベルでな」
デビュー当時、全力で要望を出してその結果だったので、俺は諦めて、作中に巨乳キャラを出すのをやめた。
描いてくれないから。
「……から」
紗霧が、ぼそっと何事かを呟いた。顔は依然として赤く、目が据わっている。
エルフに『ヒロインの初登場シーンがクソ』って言ってやったときも、こんな顔をしていやがったな。……これは、あれだ……紗霧のやつ……完全に、ムキになっている。
いまのやり取り、どうやらエロマンガ先生にとって譲れないポイントだったらしい。
「えっちな絵には! こだわりがある……から……!」
紗霧は、自分の声で、はっきりとこう言った。
「生で見たことないものは描きたくない!」
…………………………。
しん、と、沈黙が満ちる。
「ええと……」
えっちな絵には、こだわりがあるから、自分の目で見たものしか描きたくない。
エルフがさっき言っていた『取材』の話と、似たようなものだろうか。俺にもそういう『こだわり』がないわけじゃないから、その理屈は、なんとなくわかる気がするが……。
紗霧の発言には、大きな問題がある。
「……いままでおまえは、ぜんぶ……実際に、自分が生で見たことあるものを……描いてたってこと?」
「そんなわけない。資料が手に入らないものとか……『銀狼』に出てくる異世界の種族とか、精霊とか、想像でしか描けないものもたくさんあるし。でも、下着とか、人の身体とか、みんなが見たことあるようなものは、一度見てから描かないとやだ」
「いや、俺が問題にしているのは、そういうことじゃなくてだな」
「……え?」
うまく伝わらなかったようなので、俺はもう一度言い直した。
「おまえはその……えっちな絵を描くとき……」
「あっ」
言われている意味に気付いたのだろう──紗霧は、ぼしゅ! と、さらに急速に赤くなる。
俺は、決定的な質問をするべく、さらに口を開く。
「生ってなにを」
「言わないで!」
バンッ! 紗霧はタブレットを全力で俺の脳天に叩き付けた。
「ばか! ばか! ばか! えっち! へんたい! 兄さんはまた……!」
バンッ! バンッ! バンッ! バンッ! 罵倒とともに、顔面を滅多打ちにされる。
「やめ……! 悪……! 痛……! 頑丈な鈍器だなオイ!」
ペンタブってのは、液晶とプラスティックでできてるんじゃねーの!?
なんで鉄板で殴ったみたいな音すんだよ! 特別製か!?
「……はー、はー、はー」
引きこもりの体力のなさで、すぐに紗霧は息切れした。
……めぐみが初めてうちに来る前くらいに、エロマンガ先生が配信で描いてたえっちなイラストも、突き出したオシリにヒモみたいなぱんつが食い込んだすごいポーズをしていて、みんな大興奮していたものだが。
「…………まさか、あのケツ出しイラストは……」
俺は、顔をガードしていた腕の隙間から、部屋の片隅に置かれた姿見をみやる。
……紗霧のやつ……あの鏡を見て……
「ちゃ! ちがぁーッ!」
バンッ! バンバンバンバンバンバンッ!
「まだなんも言ってねーだろ! 落ち着け!」
「ぜったい想像した! いま私で、すごいえっちなことっ……!」
限界を突破した怒りと恥じらいで、紗霧は、顔から火が出そうなくらい興奮している。
「考えてねーよ!」
「うそだあ!」
紗霧は、息を荒げて俺をブッ叩きながら、まくし立てる。
「ぜ、ぜったい! 私が四つん這いになって、自分のオシリを見ながら、あのえっちなイラストを描いたって想像したもん! そのためにヒモのぱんつを買ったんだなって、えっちなやつだなって思ってるもん!」
「マジでそこまでは考えてなかったよ!」
本人が自白したせいで、いまはえっちな妹だなって思っているが。
「う~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ」
紗霧は、歯を食いしばって、潤んだ瞳で俺を睨み付けるばかり。
いかん……泣かれる!
「紗霧! 聞け!」
俺はとっさに、大声を張り上げていた。
「兄貴ってのは! 妹で! えっちなことを考えたりはしねえ!」
「!」
俺の剣幕に驚いたのか、ビクッと紗霧の肩がはねる。
妹は、こちらの様子をうかがうように呟く。
「……ほんとに?」
「おう、ほんとだ」
「……ひもぱんを洗濯させても、えっちな子だなって……けいべつしない?」
「するわけあるかよ」
断言した。
というか、この前洗濯したアレ、ひもぱんだったのか。
パッと見てもわかんねーよ! そもそも引きこもりの妹が、ひもぱん持ってるってのが、すでに想像の埒外だよ!
「そんなに心配なら、はっきり言ってやる。俺は、おまえの兄貴になるって決めた。おまえに認めてもらうって、決めたんだ。だから、おまえがどんなにえろいやつでも、えっちな気分になったりしないし、妙な気を起こしたりもしないし、なにより絶対にバカにしたりはしない」
俺は胸を張って、信念を口にする。
「それが兄貴ってものだからだ」
だから安心しろ、紗霧。
妹を守るのが、兄貴の役目だ。
「……………………」
紗霧は、俺の話を、複雑な表情で、黙って聞いていた。感情が顔によく出るわかりやすいやつなのに、このときは何故か……まったく判別できなかった。
強いていえば『楽』を除いた『喜怒哀』が入り交じっているような──
「ばかみたい」
──そんな顔で、紗霧は吐き捨てる。
「えっちでうそつきの兄さんなんて、しらない。信じない」
ああ……そうだった。
「……俺が噓つきだって話だったな」