俺は、改めて紗霧が手に持つ凶器──否、ペンタブの画面に描かれている、全裸の金髪少女のイラストを見る。
「そのイラスト……もしかして、エル──お隣の山田さんか?」
「…………」
紗霧は答えず、そっぽを向いた。
「そうなんだな? このえろい全裸女が、俺がうそつきって話とどう関係してるんだ?」
「……!」
バッ! しゃしゃしゃしゃーっ!
紗霧は再び、タブレットにペンを走らせる。
すぐにイラストを完成させ、むすっ、と、俺に画面を突き付けてきた。
「………これ」
「……ううむ……」
紗霧が見せてきた画面には、さっきと同じくデフォルメされた『俺』のイラスト。
ムカつく顔で『お隣さん? ぜんぜん仲良くないよ』と喋っている。
「次はこれ」
紗霧は、タブレットを俺に突き付けたまま、片手の指を画面に滑らせる。
すると表示されているイラストが切り替わり──
超えろい全裸のエルフと、それを見て『ひゃっほー』とスケベに笑う『俺』のイラストが表われた。
「……こ、これは……」
ひくひく。俺の口元が引きつる。
「……次はこれ」
紗霧はさらに画面をスライド。
エルフの仕事部屋で、楽しそうにお喋りする、俺とエルフの姿が描かれている。
「……ぬ……ぐ……」
俺は、紗霧の部屋の、閉め忘れているカーテンに視線をやった。
おかしいと思ってはいたんだ……引きこもりが何の理由もなく、カーテン開けるわけねぇって……。そーゆーコトかよ。
「……紗霧、おまえな」
「次」
紗霧はさらに画面をスライド。
お土産を持った『俺』が、でれでれとニヤけ顔でこう言っている──
『美味しいお土産もらってきたよ。おなかすいてるだろ?』
紗霧はさらに画面をスライド。
『お隣さん? ぜんぜん仲良くないよ』
しゃっ、しゃっ、しゃっ──
以上四枚のイラストを、何度も順番に切り替えて、見せつけてくる。
────『お隣さん? ぜんぜん仲良くないよ』────────
紗霧は、改めて言った。
「うそつき」
「仲良くねぇええええええええええええええええええよ!」
なんっつー……まどろっこしい糾弾だこりゃあ!
紗霧は、低い声で繰り返した。
「うそつき」
「だから! 噓じゃねーって! 確かに俺は、最近よくお隣に出かけていくけれども! それには事情があるんだ!」
そもそもこれって釈明するようなことか? 今回、俺は断じて噓を吐いちゃいないけれども、もしも本当に噓を吐いていて、お隣さんとイチャコラ仲良くやっていたとして。
なんで紗霧がぶすくれて、口利いてくれなくなったり、一方的に糾弾してきたりするんだよ。
意味がわからん。
紗霧は、さらに問い詰めてくる。
「事情ってなに」
「それは────…………」
俺はいま、件の〝お隣さん〟と『公平な勝負のため、エロマンガ先生に、エルフの原稿を読んでもらえるようにする』という約束をしているわけで。
ここで紗霧に、山田エルフ先生の正体を明かしてしまうという手もある。
……でも、言いたくない。
もちろん約束は守るし、エルフの原稿はなんとかして読んでもらうけれども。
隣に住んでいるのが、売れっ子作家の山田エルフ先生だということを、妹に教えたくない。
いや、いや、ごまかすのはやめよう。
公平な勝負をすると約束したにも関わらず、俺にはいまだ迷いがあるのだ。
俺よりもずっと人気があって売れている同業者が、すぐ隣に住んでいて、エロマンガ先生の力を俺と同じくらい強く欲していて、学校にも行かず紗霧と似たような生活をしている──だなんて、言いたくないのだ。大切な相棒を取られてしまうような気がして、イヤなんだよ。
なんて情けない、恥ずかしいやつだって自分でもそう思う。
「……いまは、まだ、言えない」
来月になったら、言うさ。
二人の原稿が仕上がって、おまえに読んでもらって、決着がついたら。
そのときに。
「そう」
紗霧は俺の返答に、失望したようだった。瞳に暗いものを宿したまま、ぼそぼそと呟く。
「……うそつき。ずっと、ずっと、なにもかもうそばかり。兄さんなんて…………」
紗霧は、はっきりと断言する。
「兄さんなんて、大嫌い」
その言葉はもう『エルフと仲良くしていたこと』を糾弾するものではなくなっていた。
一年間、かりそめながらも兄妹として同じ屋根の下で暮らしてきた俺に対する、妹からの評価だった。
「──大嫌い、か」
「大嫌い。顔も見たくない」
上等じゃないか。ショックを受けている場合でも、落ち込んでいる場合でもねえ。
わかっているな、和泉正宗──ここで決めなくちゃ、兄貴じゃない。
「なら、うそつきじゃないって、証明する」
「……どうやって?」
いまこそ俺の決意を、伝えるときだった。
「決まってる。俺にできることなんて、ひとつっきゃないんだ」
「………………なんの話?」
「俺は、この一年間、ずーっと同じことばかり考えてた。妹に、俺のことを信じてもらうにはどうすりゃいいのか。紗霧の兄貴に、少しでも近づくためにはどうすりゃいいのか。おまえに認めてもらうには、どうすりゃあいいのか、ってさ」
「………………」
「でもって先月……俺は、おまえの秘密を知った。ずっと一緒に仕事をしてきた人の、正体を知った」
『フハハハハハハハ! テンション上がって来たあ──!』
妹に近付くきっかけを摑んだ、と、張り切ったあのときの気持ち。
『勝負だ! 俺の相棒を、おまえには渡さん!』
アニメ化作家なんぞブッ飛ばしてやると息巻いた、あのときの気持ち。
「色々考えたよ。色々行動もした」
燃え上がるようなモチベーションの高まりは、デビュー以来、初めて感じるほどのものだった──初めて作品の感想をもらったときと同じくらい、初めて自分が書いた本が本屋に並んだときと同じくらい────────『すっげえ面白い!』って、思ったのだ。
『……楽しかったの。絵を描くのも、動画を配信して、みんなとお喋りするのも』
『ばか! ばか! ばか! えっち! へんたい!』
妹と、話せるようになって、嬉しかった。これからどうしようって、心躍った。
最近の俺は、きっと──
楽しさのあまりバカ丸出しでイラストを描いていたエロマンガ先生と、同じ気持ちで行動していた。妹と、エロマンガ先生のことで頭がいっぱいになったまま、寝食を忘れる勢いで新作小説を書いていた。
「そんで、ようやく気付いたんだ」
必死に楽しく仕事をしようという無理難題を、俺はすでに突破しつつあったのだと。
「やっと──俺がやるべきことが、わかった」
聞いて驚け!
常時やる気MAXファイヤーで、超楽しく仕事をして、めちゃくちゃ面白い小説を書き上げる秘策。
ボツボツうるせえ担当編集をぎゃふんと言わせ、クソうぜえアニメ化作家さまをブッ飛ばし、これからもエロマンガ先生にすげーイラストを描いてもらい、かわいい妹の信頼を得て、日本一の兄貴になる──一発逆転の必殺技。
生涯でたった一度きり、世界で唯一、この俺だけが使用できる、S級のユニークスキル。
そいつは──
「紗霧! 俺は!」
「妹をヒロインにする!」
俺は紗霧に──妹に向かって、大声で言ってやった。
「…………………………………………………………………………は?」
紗霧は、完全に意表を突かれたようで、目が点になっている。
「な、な、な……なにを……言ってるの」