こいつの性格的に、狙ってやっているわけじゃないのだろうし、万が一狙ってこれを書いたのだとしたら、なおさらすごい。
カリッカリの特化型チューニング。
まさしく、エロマンガ先生のために書かれたライトノベルだった。
「おまえ……これ……すっげえな」
気付けば、心からの賞賛を敵に送っていた。顔を上げ、相手の反応を確かめる──と、エルフは俺の言葉なんか聞いちゃいなかった。
一心不乱に俺の原稿を読んでいた──────ただし、ブチギレた表情で。
「…………」
ぎりっ、と、歯軋りの音が聞こえてきそうな形相で、めちゃくちゃ原稿に顔を近づけて、俺の原稿を、睨み殺さんばかりだった。
俺が、山田エルフの原稿を読んで楽しんでいるすぐわきで──
エルフは、和泉マサムネの原稿を読んで、怒っていた。
「……お、おい」
おずおずと声をかけると、エルフは微動だにせず、口だけを動かして呟いた。
「この原稿………マジで? ほんとうに? ウソじゃなく?」
ぱらり。エルフはページをめくって読み進める。低い声で、問い詰めてくる。
「どうなの? とても重要なことよ──答えなさい」
きわめてはっきりしない問いだった。
……な、なんでこいつ……こんなに怒ってるんだ?
俺……読者がそんなになっちゃうようなシーン、書いたっけ?
「も、もちろん大マジだが……」
俺の原稿に、大マジで書かれていないシーンなんかない。
「あっそう!」
エルフは声を荒げて吐き捨てた。指を原稿に食い込ませ、下唇を嚙みしめる。
「……………………」
ぱらり……ぱらり……ぱらり……エルフは無言で俺の原稿を読み進める。
熱中している読み方ではあった。表情は依然としてブチギレていたが……
「……っ……ぐ……く……ぅ………………ぅ……」
段々とそれが変わっていく──何かを堪えるような形へと。
そして、
「う~~~~~~~が~~~~~~~~~~~~っ!」
突如としてエルフが咆哮した。バンッ! バンバンッ! ガラスが割れてしまいそうな威力で、原稿をローテーブルに叩き付ける。
エルフはさらにガンッと前蹴りを入れてテーブルをどかすや、高そうな絨毯にダイビング。
寝っ転がった体勢でゴロゴロと暴れ始める──原稿を持ったまま。
「ううううううううう! うぐうううううううううぅぅ~~~~~~~~~」
完全に駄々っ子状態。マウントを取られたティガレックスみたいな大暴れっぷりだ。
俺の書いた小説を読んだせいで、こいつはこうなっているのだ……と、そう考えると恐ろしかった。俺は読者の、こんな反応を想定してはいなかった。
なんなんだいったい!
ページをめくる。悶え苦しむ。ページをめくる。悶え苦しむ。
床に何度もヘッドバットしたり、「キョエエエエ!」だの「ギエピー!」だのと獣めいた奇声を張り上げたり……エルフのそんな有様は、しばらく続いた。
俺は何もできず、重病人を見るまなざしで眺めていることしかできなかった。
やがて彼女は、力尽きたように、ぱたりと仰向けに倒れ……
「……ない」
ぽつり、と呟く。エルフの青い瞳に、じわりと涙が浮かんだ。
「うぁぁ……勝てない……こんなの勝てない……ずるい……こんな──」
ぼろぼろ涙をこぼしながら、勝てない勝てないと繰り返すエルフ。
……ど、どういうことだ? 確かに俺の書いた小説は、自分では超面白い傑作だと思っているし、手ごたえも自信もばっちりだ。
それでも、エルフの書いた超面白いライトノベルに、ここまで圧勝できるほどだろうか?
俺はかなり迷った末、こう声をかけた。
「……俺の原稿……そんなに面白かったのか?」
「違う! そんな話してない!」
「え……?」
意味がわからない。いま、俺たちは小説勝負をしていて……勝てないって台詞は、エルフが俺に負けを認めたってことじゃないのか? 俺じゃないなら、誰に勝てないんだ?
「いっつも説教じみたことばっか言ってたくせに! あんたの方が、わたしよりずっと非常識じゃない! 最初から言いなさいよ! こんな……こんな……どんな拷問よ! あんた、わたしを殺すつもり!?」
「……そんなに怒るほど、つまらなかったのか?」
「だから! そんな話はしてねーっつってんでしょ!」
エルフは立ち上がり、両の拳を握りしめ、涙のかわききっていない真っ赤な顔で叫ぶ。
「この鈍感野郎! 露出趣味の変態め! よくもわたしに、こんなものを読ませたな! わたしの書いたラノベの方が、百億倍売れるわよ! でも! こんなの……勝負になるわけないでしょうが! 対戦ゲームで戦おうとしていたのに、いきなり金属バットでぶん殴られたような気分よ!」
かなり直接的な比喩を使っているが、依然として俺にはエルフの言いたいことが伝わらない。
「おい……てめえ……何を言いたいのかわからねえぞ! それは、俺が全力で、魂を込めて書き上げたもんだ! 〝究極のラノベ〟を創るつもりでな!」
俺が怒鳴ると、エルフは顔を至近距離まで近づけてきた。そうして吐き捨てる。
「あーそうでしょうよ! 読めばわかるわ! 腹が立って腹が立ってしょうがないけれど、このわたしが太鼓判を押してあげる。確かにあんたの書いたコレは、和泉マサムネの魂そのもの! S級スキルで創造された〝究極のラノベ〟だってね!」
「なら!」
「でもこの原稿は『たくさんの読者を楽しませるために書いた本』じゃない! わたしが思うに小説ってのはキホン的に、ターゲットを限定すればするほど、狙う読者層を狭めれば狭めるほど、面白くなんのよ。そりゃあ究極のラノベにもなるでしょうね──あんたはコレを、魂込めて、たったひとりのためだけに書いたんだから」
「────」
俺は言い合いに押し負けた。図星だったからだ。
「そんなのはもうライトノベルじゃない。あんたの書いたこれは……これは……こんなの」
エルフはその先を口にしなかった。かわりに、
「やぁってられるかあ──!」
と、大声でうやむやにした。そのままリビングを飛び出し、激しい音を立てて階段を上っていく。
「お、おい!」
俺は慌ててエルフのあとを追って、階段を上っていく。二階の仕事部屋に入ったところで追いつき、小さな背中に声を掛けた。
「なんなんだよいったい!」
「あーもぉ、さいってぇ~、やってらんないやってらんないやってらんないわよもう!」
エルフは地団駄を踏んで床に八つ当たりをしてから、振り返り、俺の顔を指差した。
「と・に・か・く! この商品としては問題外のクソ原稿を読んで感情を揺さぶられるのは、世界中で、わたしと、あんたの妹──エロマンガ先生だけよ!」
「!」
怒りとともにエルフが吐き出した台詞は、雷のように俺を打ちのめした。
意表を突かれた俺は、呆然とこう口にする。
「……な……なんで………………わかったんだ?」
「あんたの妹が、エロマンガ先生だってこと?」
「それだけじゃない。この小説が、現実の……俺の妹をモチーフにした小説だってこともだ。設定はかなり変えていたはずだ。俺以外の誰にもわからせないつもりで書いた。そもそも俺の小説に引きこもりの妹なんて出てこない。おまえに妹の──紗霧の事情を話した覚えもない。なのに──」
なんで、いまみたいな台詞が出てくる?
「いや、そりゃ、わかるでしょ。読んだら」
『なんだ、そんなことか』とばかりの態度だった。
「えっ?」
「ん?」
俺とエルフは、一瞬顔を見合わせ、そしてエルフが俺の顔を指差した。
「あっ……もしかしてあんた、ほんとにこれで隠しているつもりだったの? 読んだ人に、元ネタがばれないとでも思ったわけ?」