一目瞭然だと言わんばかりのエルフだったが、そこで何かに気づいたようにハッとした。
「む。あぁ……まぁ……そっか。そりゃ、あんたのことなんも知らない読者とか、知っててもあんたに興味ないようなやつなら、いくら深読みしたってわかんないかもね。うん、いまの発言はちょっぴり訂正。たしかに、モチーフは、うまいこと隠されてる。──でも、わたしが読んだら一発よ、コレ。バレバレ」
「……ば、バレバレ?」
「うん、バレバレ。エロマンガ先生の正体があんたの妹だって、書いてあるようなもんだから。まぁ、このまま本にするのは、やめた方がいいよね」
……マジかよ……。自分では、大丈夫だと思っていたのに……。
おいおい、これが〝神眼〟とやらの力か……! あれ、マジだったのかよ……!
本人にそう言ってみたところ、「……別に。わたしがわかったのはスキルのせいじゃないけれどね……」と、微妙な返答。一方で、俺は、エルフの台詞を吟味する余裕なんてなく、ひたすら焦っていた。
「なぁ……お、俺……この小説が書き上がったら、妹に読んでもらおうと思ってたんだけど……」
「あー……いいんじゃない、あんたの思いやり、超伝わると思うわよ」
辟易した声でエルフは言った。俺は泣きそうな顔で問う。
「元ネタ……バレるかな?」
「……ノーヒント?」
「『俺の心を〝素材〟にして』『妹をヒロインにしたライトノベルを書くぞ』って大見得きった」
「………………あのさぁ……それで、なんでバレないと思ったわけ?」
「………………………………なんで……だろう、ね……」
俺は両手で顔を鷲摑みにして俯いた。
俺のバカ! バカバカバカ! なんで調子こいて、紗霧にあんな大ヒントを……!
これじゃ、せっかくエルフを負かしてやったってのに、紗霧に読ませられねぇじゃん!
俺の書いた物語は、ごく普通の高校生である主人公が──
血のつながらない妹に一目惚れするところから始まるのだ。
なんでこれでバレないなんて思ったんだろうな。
いや、わからないよう隠したはずなんだ。けど、いくら設定をいじっても、大本が同じなら、伝わるやつには伝わってしまうらしい。
そうかもしれない、と思う。だって、俺は、魂を込めて書いたんだから。
「ぷっ、ちょっとスッとした……ねぇ、ショックを受けてるところ悪いんだけれど。で? どうするの?」
「どうする……って」
「そのラブレター、妹に読ませるんじゃないの?」
「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!」
俺は頭を抱えて絶叫した。
「らぶっ! らぶっ……! おまえ……!」
「え? だってそーでしょ。これ、ラブレターよね? しかも、三百ページもある……超超超超超~~~~~~~熱烈なヤツ」
「●×■⊿……ッ!」
殺すつもりか。他に言葉がない……殺すつもりか!
燃え上がった脳味噌はぐちゃぐちゃで、まともに思考してくれない。
俺の顔面は、さぞかしひどい有様になっていたことだろうよ。
「どんな露出趣味よと思ったけれど──まさか、無自覚でやっていたなんてね。これはこれで、やってられないわ。まったくもって、やってらんない。最初から言えってのよ──ったく」
エルフは、綺麗な金髪を乱暴にかきむしる。
「妹に、読ませるんでしょう? あんたは、そのために書いたんだから」
「…………そう、だが」
「だったら──」
エルフは、俺の原稿を返してきた。まだ、すべてを読み終わっていないのに。
代わりに、俺の手から、自分の原稿を奪い取った。そして──
「さっさとやることやってこい! エロマンガ先生に会ってこい!」
自らの手で、山田エルフの新作原稿を、シュレッダーに突っ込んだ。
「あー、負けた負けた! 今回はわたしの負けっ!」
「お、おまえっ!」
俺は咄嗟に走り寄ったが、そのときにはすでに、エルフの原稿の大半が細切れになっていた。
元データを消してしまって、この世にたったひとつしかない、オリジナル原稿。
あの超面白い新作小説は、エロマンガ先生のために書かれたような、えろくて楽しい物語は──永遠に、失われてしまった。
「なんつーことを! なんつーことを……!」
「なんであんたが泣いてんのよ」
「まだ最後まで読んでなかったんだぞ!」
「あは、そりゃどーも。でもね、残しておいても意味ないのよ。わかるでしょう? 読んだんだから」
「……………………」
エルフが書いたのは、エロマンガ先生と一緒に仕事をする前提で書かれたライトノベルだった。だから、別の人にイラストを描いてもらっても意味がない。
エルフが言っているのは、そういうことだ。
それはわかる。わかるが……もったいない。あんなに面白かったのに。
「言っとくけど、わたしが負けただけで、あんたがわたしに勝ったわけじゃないから。そこんところ、間違えないでよね」
「……どう違うんだ?」
「だから鈍感だっつーのよ──」
エルフは涙のあとをそでで拭う。
「次は勝つわ」
今回は負けたけれど、エロマンガ先生のことを諦めたわけじゃない……ってことか。
二階の仕事部屋で、俺とエルフは向かい合っている。
数秒の沈黙の後、エルフが言った。
「それで? どーすんの? まさか見せない、なーんて言わないわよね」
エルフの低い声が、サディスティックに響いた。
「このわたしを、叩きのめしたくせに」
「……こんにゃろ」
なんともムカつく激励だった──しかし、大先生のおっしゃるとおりだ。
この人に負けを認めさせておいて、あの素晴らしい原稿を破かせておいて、
無駄にすることなんて許されない。
俺は、男を見せなくては。
「……わかった」
「ん? なぁに? 聞こえないわ──もっと大きな声で言って頂戴」
「やってやるさ! もとよりのそのつもりだったんだからなあ!」
俺はこの小説を、妹に、エロマンガ先生に読ませるつもりで書いたのだ。
それで、俺の気持ちがバレてしまうのだとしても、予定を変えるつもりはない。
俺の一年間が、無駄になってしまうかもしれない。
もう二度と、会ってもらえなくなるかもしれない。
大切な仕事相手を、失ってしまう暴挙かもしれない。
それでも、俺は、できることをやるって、そう決めた。
「そのためには、あの『開かずの間』の扉を、どうにかして、開けなくちゃいかんよな──」
実のところ、この部分に関しては、真っ向勝負しか考えていなかった。
たとえば……原稿ができたと扉越しに伝える。扉の前に、メッセージと共に置いておく、といったものだ。それで、紗霧が俺の原稿を読んでくれるかどうか。
……この半月、紗霧とは会えていない。あいつはろくに飯も食わなくなって……部屋に閉じこもってしまった──きっかけは、妹をヒロインにすると宣言した、俺の新作だ。
『ちっとも嬉しくない! 嬉しくない嬉しくない嬉しくない! そんなので心を開いたりなんてしないし気持ち悪いだけっ! うそつきの兄さんなんて大っ嫌い! 信じない! 早く出て行って! 私のことは放っておいて!』
……あの様子からすっと、書きあがったとしても、読んでもらうのは至難の業だな、と、考えていた。
けど、たったいま、思いついた。いや、前々から思いついてはいたのだ──めぐみが俺にはない発想で、色々と(すべて論外だったが)ヒントになるようなネタ出しをしてくれていたし。
実に都合のいい位置に、エルフが越してきてくれた。
「? ……あんた、なにを始めるつもり?」
そう。俺の小説の主人公だったなら、迷わず行くシーンだと……思いついちゃあいたのだ。
自分でやってやろうとは、思わなかっただけで。
けど……自分の書いた主人公に、負けるわけにはいかない。
「ちょ、あんた、人の話を────」
「決まってるだろ。『開かず間』の中にいる、エロマンガ先生に会いに行くんだ」
「は? それって……まさか!」
エルフが、俺のやろうとしていることを、察したらしい。まあ、それこそ〝神の眼〟なんてなくたって、わかるだろう。あからさまだもんな。
俺は──
おもむろにベランダの窓を開けた。
「あんた本気!? 落ちたら怪我じゃすまないわよ! それに! そのままじゃ──」