俺の動揺を察したのか、そう釘を刺してくれる。
「戦って……好きなキャラがいなくなっちゃうのは、哀しい」
「そうだな」
エロマンガ先生も、動画で、死んだキャラを悼んで、怒っていたっけ。
優しいやつなのだ。
「いままでは、描くの、抵抗あった。でも……初めてあなたと顔を合わせて作品作りの話をして……いままでの私じゃ、だめだって思った。好きなものを上手く描けるだけじゃ、だめだって思ったの」
紗霧……エロマンガ先生は、『同類』であるエルフと、まったく逆のことを言った。
「……すごく……悔しかった、から」
紗霧は、そこで、ぎりり、と下唇を嚙んだ。
よっぽどムカつく出来事を思い出しているのだろう──かわいい顔して、おっかないプレッシャーを放っていやがる。
「……その、悔しかったことって……」
「ん」
紗霧は、恨みのこもった眼差しで、俺の顔を指さした。
「……やっぱ、俺か。……あんとき、へたくそって言った……アレだな」
紗霧は「むむむ~」と眼光を鋭くした。
うわ。あれ、そんなに悔しかったんだ……。
でも、そうだよな。俺だって『あのシーンがクソ』とか『あのキャラが嫌い』とか、そういうことを言われたら、なにくそって発奮してしまう。
それで、一生懸命練習して──書きたくなかった嫌いなシーンを、うまく書けるようになった、なんてエピソードは、俺にだって何度もある。
「私も、戦わなくちゃって思ったの。そうしたら、すんなり描けるようになった」
「戦う……?」
「そう」
「誰とだ?」
文句を言われて悔しくて、奮起したのだから……戦う相手は、俺?
「………………」
紗霧は首を振り、しかし答えを言わなかった。
俺の妹の『敵』は、俺じゃなくて──他の誰かであるようだ。
紗霧はさらにタブレットを俺の眼前に突き付けてくる。
「まだある。これも、見て」
「こ、今度はなんだ」
次いで現れたのは、女の子のイラストだ。俺の作品のキャラじゃない、初めて見るデザインだった。
「色をつけると、こんな感じ」
「…………」
「こっちは髪型違うバージョン」
「………………」
「どう?」
なにが『どう?』なのか──これはもう、一目でわかった。
「おまえ……巨乳キャラ、描けるようになったのか」
「……かろうじて、見せられるレベルにはなった」
つん、と顎をしゃくる紗霧。
完全に納得のいくデキではない、という言い方だった。
練習したのだろう。……巨乳キャラを描けないって、そんな話もしたっけな。
「ほら、脱がすとこんな感じ」
紗霧が指をスライドさせると、画面が切り替わり、女の子の服が脱げた。
上半身はだかの、すさまじくえろいイラストだ。
「………………」
「なに?」
「や、なんでも……」
好きな女の子に、自作のえっちなイラストを見せられるって、考えてみればとんでもないシチュエーションだよな。やましい考えだとわかっちゃいても、ドキドキしてしまう。
「感想は?」
「……すげーえろくて、いいと思います」
敬語になってしまった。
「……ん」
紗霧は、再びあの微笑を浮かべる。
……いかんな。エルフが余計なことを教えてくれたせいで──意識してしまう。
俺たちは、兄妹なのに。
そうか……紗霧は、半月の間、ずっとこれを描いていたのか。
考えていると、急にペンネームを呼ばれた。
「和泉先生」
「! お、おう……なんだ?」
紗霧は、俺の目をじっと見ながら言った。
「これでわかった? あなたの新作から私をおろすなんて、ありえないって」
「ん?」
俺は、一瞬、言われた意味がわからず硬直し──
「ハァ!? おまえをおろすって……なんだそりゃ! 誰が言ったんだ! そんな話!」
理解した瞬間爆発した。こればかりは妹の発言でも、ありえないものだったから。
そしたら、紗霧も感情的になって言い返してきた。
「だって……隠し事してた。変な女の子と、こそこそ会ってた。一緒にパソコンを覗き込んで……」
エルフが、エロマンガ先生の正体を探ろうとしていたときのアレか。
「兄さんが、仕事以外であんな綺麗な子と知り合えるわけない」
慧眼だけど、もうちょっと言いようあんだろ。
「それに……あの女の子と会うようになってからでしょ……兄さんが、すごくやる気になったの」
ああ──それは、そうだったな。
「だから……あの人が……新しいイラストレーターさんなんだろうな、って……私に言えない理由って、それでしょ?」
しゅん、と、全身で落ち込む紗霧。その姿を見て、つくづく思った──俺はアホだ。
紗霧は、再び顔を上げ──ヘッドセットがいらないくらいの大声を上げる。
「それで、ず~っと部屋にこもって練習してたの! 前に文句言われたところを直して……私の実力を兄さんに認めさせるためのイラストを描いてたの!」
「!」
それは、核心を衝く発言だった。この半月……紗霧が『開かずの間』に引きこもって、ろくに食事も取らず、俺からの声を無視し続けた真の理由は──
「和泉先生が、妹をヒロインにするって、〝究極のラノベ〟を創ってみせるって……うれしかったから! 絶対私がイラスト描きたいって、思ったから……!」
最後に会ったときと、まったく逆の台詞だった。
紗霧は、ヘッドセットを投げ捨てて叫んだ。
「ぜったい、ぜったい負けるもんかっ! 和泉先生を、あんなやつに渡さないっ!」
──勝負だ! 俺の相棒を、おまえには渡さん!
本当にアホだ。俺は、俺たちは……。とんでもないすれ違いをしていた。
──ったく、最初から言えってのよ──
エルフの台詞がリフレインする。まったくもってそのとおりだ。返す言葉もない。
紗霧のことを責められない。
『理想の兄貴』の振りをして、バレバレの噓をついたのは、俺が先なんだから。
──兄貴ってのは、妹に恋なんてしない──
自分の心に蓋をして、恋心をひた隠しにして、一目惚れした相手が欲しがっていた──『家族』になろうとした。それがいいって、そうしようって、思ったんだ。
「それは、俺の台詞だ」
「えっ?」
「ぜんぶ勘違いだ! 俺が会ってたあいつは……お隣の山田さんの正体は──売れっ子小説家の山田エルフ先生なんだよ!」
「えっ……」紗霧は目を丸くして驚く。「山田エルフ先生って……あの?」
「そう、あの山田エルフ先生だ。あいつは……」なに言いよどんでんだ。言え!「あいつは、エロマンガ先生の大ファンで、一緒に仕事がしたいんだとさ! それで、俺に喧嘩をふっかけてきてたんだ。エロマンガ先生を賭けて、小説勝負をすることになってた」
「な、なにそれ……そんなの、聞いてない」
「当たり前だ。言ってねーし。言いたくなかったんだよ──俺より売れっ子作家と一緒に仕事したいって、言われるかもって、びびったから。言えなかった」
口に出してみると、マジでダッセーな。
「は、はあぁっ!? ありえないっ! 兄さんって、ほんとばか!」
「自分でもそう思うよ。結局言わなくちゃならねーんだから、最初から言っとけよってな」
「そうじゃなくて! ……そういうところが……!」
「あんだよ」
「もういい! 小説勝負って、どうやって勝ち負けを決めるつもりだったの?」
「完成した原稿を、エロマンガ先生に読み比べてもらって決めるつもりだった」
「じゃあ……さっき兄さんが言ってた原稿っていうのが、それ?」
「そうだ」
「山田エルフ先生の原稿も……あるの?」
「ない」
「……な、なんで?」
「もう、やっつけた」
得意げに、言う。……読ませたらあっちが勝手に発狂して負けを認めただけで、どうも勝ったわけじゃないらしい──というのが本当のところなのだが。
妹の前なんだ。ちょっとくらいかっこ付けさせてくれよ。
「やっつけた……って…………」
俺の自慢を聞いた紗霧は、まず目を見開いて驚き、
「……すごい」
そう言って、くったくなく笑ってくれた。