第五章 ⑧

和泉いずみ先生……あの人に勝つなんて、ほんとうにすごい」

「お、おう」


 ドキドキした。他のだれめられるより、うれしかった。


「悪かったな。ほんとは、おまえに読んでもらって……決めてもらうつもりだったのに」


 紗霧は、目をつむって、ゆっくりと首を横に振った。


ひつよう、ない」


 紗霧は、すっとタブレットにかれたイラストを指さす。

 それは、なによりも強いしようめいだった。


「最初から、そのつもり」


 彼女はそこで、右手を差し出してきた。

 ふんがガラリと変わり、まるで大人びた男性エロマンガ先生のような調ちようで──


「──これからもよろしく、和泉先生」

「こちらこそ、よろしくな──エロマンガ先生」


 その手をにぎり返して言ってやると、エロマンガ先生は、女の子みたいに赤くなる。


「そ、そんな名前の人はしらないっ」


 ひさしぶりに聞いたそのフレーズで、ちょっと笑ってしまった。


 ──めでたしめでたし。

 と──そう言ってめくくりたいところだが、この話には続きがある。

 そりゃ、そうだよな……。俺がこのにやってきた『ほんだい』は……エロマンガ先生となかなおりをすること、じゃあなかったんだから。


「紗霧……はら、減ってるだろ?」

「……へってるかも」


 紗霧がおはらを押さえると、くぅ、と可愛かわいい音が鳴った。


「………………」


 紗霧はごんせきめんする。俺は気付かなかったふりをして、立ち上がった。


ってな。すぐ、なにか作ってくるよ」

「だめ」


 もちろん紗霧も『本題』のことを忘れちゃいなかった。俺のそでをつかんで言った。


「まだ……話の……ちゆう。今度は……和泉いずみ先生の番」


 ぎりおれに向かって、てのひらを差し出した。


「それ、読ませて」

「えっ?」

しんさくしようせつ──読ませて」

「あ、ああ! そ、そそそ、そう──だな!」

「? なにをあせっているの?」

「いや、焦ってないよ? ぜんぜんちっとも焦ってないよ?」

「? よくわからないけど……早くちょうだい」

「わ、わかった」


 ごくん、と、なまつばを飲み込んで──あらためて、けつかくを決める。

 俺はじんほうじるぐさで、紗霧に、げん稿こうを差し出した。

 エルフに『妹へのラブレター』とひようされた、俺の小説を。


「じゃあ……読んでくれ」

「? ?? ……へんなの」


 もちろん、そうとは知らない紗霧は、原稿をあっさりと受け取り──ごくごく自然にページをめくった。


「いまから、読む」

「お、おう……な、なぁ……紗霧……それ、読んでもらっているうちに、メシ、作ってきてもいいか?」


 俺のこの発言は、もちろん、おなかをすかした妹への思いやりからだけ、出たものではない。

 返事をたずに立ち上がった俺のそでを、ふたたび紗霧がつかんで止める。


「だめ。ここにいて」

「な、なんで?」

「兄さんから、すごく逃げたそうな感じがする」


 するどいね、おまえ。


「それに、私のイラストは、私の前で見せてあげたのに……ずるい」

「……わーったよ」


 ここにいりゃ、いいんだろ! いいぜ、逃げもかくれもしねえ! 当たってくだけろだ!

 そうして俺は、目の前で、きな女の子に、三百ページもあるちようねつれつなラブレターを読まれるという、おそるべきシチュエーションに立ち向かうことになったのである。

 どんなれんだよ、これ! 『ぎんろう』のしゆじんこうだって、こんなきゆうには立たされなかったぞ!


「……………………」


 俺は、ひたいあぶらあせをかきながら、せいたいを見守った。

 げん稿こうに目を落とし、一ページ目を読みはじめたぎりは……ぴく、と、かたまゆねさせる。

 げっ! そこは! 一ページ目──つまり、しゆじんこうが初めてヒロインと出会い、ひとれをするシーンだ。……直接そうとは書いていないし……そもそも紗霧とはかなりせつていを変えているし……。おれは、エルフに言われるまでバレやしねえと思っていたのだが──。

 バレ……ちゃった?


「……………………」


 ぱらり。紗霧は、それ以上表情を変えることなくページをめくる。

 バレなかったの? バレなかったのか? よし……バレなかったな。そうだよな?

 一ページ目から、すでにこんなありさまである。

 はたして俺のしんぞうが、三百ページまで持つのかどうか。


「…………………………………………」


 ぱらり……ぱらり……ぱらり……ぱらり……。

 パジャマ姿すがたの妹が、たいいくすわりで、俺の原稿を読んでいる。

 しずかな時間が、長く続く。紗霧はせきめんしたりといった、わかりやすいはんのうこそしなかったが、ときおり原稿から顔を上げて、ちら、ちら、と、俺を見るということがあった。

 そのたびに俺の心臓は、ビッグバンを起こしそうになる。

 ばっくんばっくん、ドラムみたいにビートをきざむ。

 ちょっとそうぞうしてみてしい。

 きな人に、ラブレターをちよくせつわたして──その場で読んでもらうという青春のひとまくを。

 心をめて書いたのは、便びんせんすうまいのラブレターだ。思い人が読み終わるのをっている間……数分間が数時間にも感じられ……けいはんけつを待つしゆうじんのような気分になるはずだ。ごくと天国のはざで、生きた心地ここちがしないはずだ。そうだろう?

 だが、な。……聞いてくれよ。俺が手渡したラブレターは、なんと三百ページもありやがるのだ。あいが読み終わるまで、下手へたしたら二時間近くかかるのだ。

 死ぬ! マジで、死んじゃう!

 便せん数枚で数時間にも思えるのに……この地獄のごうもんは、いったいいつまで続くんだよ!

 いっそ殺してくれ!

 そんな気分だった。泣きたいくらいだったよ。

 もしかしたら、紗霧に、俺の好きな人がバレないかも……という希望があるのがまた……つらい。そんなふうに──いっぱいいっぱいだったものだから、気付けなかった。


「…………………………………………」


 いつの間にか、紗霧が……かぁぁ~~~~~~~~~~~~っ、と、耳先までになっている。もともとはだが白いから、肌の赤みがすごく目立つ。手も、足も、顔も、ぜんしんじらいにまっていた。

 気付かれた、と、思った。


「………………ぅ…………」


 げん稿こうを持つぎりの手はかちこちで、ひとみは〝りんがん〟みたいにぐるぐるしている。

 いきあらく、そくで、まるで風邪かぜで発熱しているみたいだ。


「……………………ぅぁ……」


 それをきんきよもくげきしたおれも、紗霧とたようなじようきようおちいった。

 ……終わった。こりゃ……完っ……全に……バレたわ。

 紗霧が俺のことをどう思っているのかはわからないが、もしも『ぎやくの立場』だったなら──


『……兄さん……き』


 俺はちがいなくショック死するだろう。

 あいまいな体感時間で一分……二分……三分ほどがすぎても、紗霧は固まったまま、ページをめくれずにいる。俺は、勇気を振りしぼって、妹に話しかける。


「さ、紗霧?」

「は、はいっ!」


 びんかんすぎるリアクションが返ってきた。マイクなしで、紗霧がこんなに大きな声を出したのは、初めてかもしれない。

 俺はまよったすえ、きわめてなんな聞き方をした。


「……ど、どうだった?」

「え、ええとっ」


 あせあせ、と、原稿を持ったまま紗霧はあせる。


「す、すっごく! おもしろいと思う!」

「ほ、ほんとか?」


 俺が聞いたのは、そっちじゃなかったのだが──そう言ってもらえて、もちろんうれしい。

 むちゃくちゃ嬉しくて、テンション上がる。

 自分のかわいい子供を、められたのと同じだから。


「うん。まだ、ぜんぶ読んでないけど──私は、好き」

「そっか……なら、よかった」

「ただ……」


 紗霧はぼそっとつぶやいた。


「ただ?」

「このまま本にするのは……ダメ。他の人にはぜったい読ませられない……ずかしい」


 ぱっ、とな顔を原稿でかくし、ふたたび読み始める。


「…………………………」


 たしかに、このままじゃ本にはできないな。どくしやにはバレなくても、俺たちが恥ずかしい。

 それに──

 たったひとりの人に読んでもらうために書いたこの物語は、目的をたして、もう終わってしまっている。続きを書くことは、できない。シリーズ化するためには、書き直さなくては。

 おだやかな時間が、続いていた。ぎりげん稿こうを読み、おれは妹が読み終わるのをっていた。

 紗霧の読むそくは、かなりゆっくりだったけれど、もうあせりはなくなっていた。

 そして、やがて……

 俺の書いた原稿ラブレターを最終ページまで読み終えた紗霧は、


「兄さん」


 あいをささやくように、こう言った。


「私、きな人がいるの」


「──────」


 俺は、目を見開いてこうちよくした。引きしぼられるような、むねいたみとともに。


「……そ……っか」


 うん……そうだよな。紗霧にだって、引きこもっていたって──好きな人くらい、いるよな。

 なにせ、こいつの世界は……すっげー広いんだから。

 いまのは『俺のこくはく』に対する、紗霧の返事だ。

 あなたの思いには応えられない。

 そう、受け取った。

 これでいい、って、そう思った。

 これでいいのだ。

 

 


「わかった」

刊行シリーズ

エロマンガ先生(13) エロマンガフェスティバルの書影
エロマンガ先生(12) 山田エルフちゃん逆転勝利の巻の書影
エロマンガ先生(11) 妹たちのパジャマパーティの書影
エロマンガ先生(10) 千寿ムラマサと恋の文化祭の書影
エロマンガ先生(9) 紗霧の新婚生活の書影
エロマンガ先生(8) 和泉マサムネの休日の書影
エロマンガ先生(7) アニメで始まる同棲生活の書影
エロマンガ先生(6) 山田エルフちゃんと結婚すべき十の理由の書影
エロマンガ先生(5) 和泉紗霧の初登校の書影
エロマンガ先生(4) エロマンガ先生VSエロマンガ先生Gの書影
エロマンガ先生(3) 妹と妖精の島の書影
エロマンガ先生(2) 妹と世界で一番面白い小説の書影
エロマンガ先生 妹と開かずの間の書影