制服ピンポン ②
「もう無理。あっつい」
シャツのボタンを一つ外して、安達が限界を宣言した。ラケットを台に置いてから、「無理ッス」と手を横に振る。わたしの方も汗で張りついたシャツの袖を引っ張り、台から離れた。ピンポン球はそのまま握って持ってきてしまう。投げて台に載せる自信がないので諦めた。
掃除が行き届いていなくて、積もった埃が蝋のように床に張りついている。その上に座るのは少し抵抗があって、落下防止用のネットの上に、ひっそりと二人で座る。
「風が欲しい」
顔が火照って紅潮した安達が呟く。まったく同感で、開けられない窓を恨めしく見上げた。
ここを開けてしまうと、色んな人にこの場所とわたしたちが見つかってしまいそうだった。
「外出る? 昼休みもうすぐだし」
安達はシャツの袖を捲り、裾もスカートの外に出している。わたしはそこまで制服を崩して着られない。放っておくとスカートまで捲ってしまうのも真似できない。誰も見ていないとしても、なんか恥ずかしい。なんて思っている間にやり始めた。スカートを摘んで振っている。
「まぁはしたない。うちの高校の、えーとなんて言うんだ、えーと」
「品位?」
「そうそれ。下がるザマス」
「で、昼休みかぁ。どうしよ」
なんて言いながらちらりとわたしを見てくる。話が繋がっていないのは気にしないとして。
上着を着れば普通の制服に戻るわたしの方が必然、買い物に出るのが楽である。安達はシャツをスカートに入れて、袖を戻し、ボタンをかけて、上着を着ないといけない。後は乱れた髪も直したがるだろうか。上にふんわり舞い上がっている。
「はいはい、わたしが行けばいいんでしょ」
「次は私が行くから」
「その次は、わたしの考える『次』と全然噛み合わないんだよね」
次の次の次の次の次ぐらいまでもう埋まっているはずなのだ。けど安達は笑うばかり。
「デニッシュパンと、水でいいや。お願いねー」
「分かった。売り切れていたらテキトーね」
安達はミネラルウォーターばかり飲む。そのせいで肌や顔つきに透明感があるのかな、と思うと少し羨ましい。安達の血管は血じゃなくて、水が流れているのかもしれない。
「昼からは授業出るの?」
「多分ね。安達は? 帰る?」
「うーん。ま、悩んでも授業は受けないけど」
組んだ腕もすぐに解いて、床に手をつく。安達の横顔はもう涼しく整っていた。
安達がどうして授業に出ないか、理由をマジメに聞いたことはない。逆も然り。わたしたちはなんとなくでここに集って、それでも少し退屈を感じてピンポンに興じてみたのだ。
手の中で転がしていたピンポン球を指で弾く。こつ、こっ、こっと軽い音を立てて転がっていったピンポン球が壁に当たって止まる。その音は、人の心を軽く叩くときの音に似ていた。
上履きを脱いで指先で摘みながら、安達が言う。その戯れに神経を遣っているため、表情がムダに険しかった。下唇を反らして突き出し、懸命な顔つきとなっている。
「卓球面白いじゃん」
「ほんと。やっぱり個人競技の方が性にあうかな」
バスケットボールも楽しいけれど、向いてはいないと中学三年のときに悟った。勝負事とかは一人の力でどこまでできるか試したくなる性分で、それが団体競技で足並みを乱す原因となってしまうことはよく理解していた。ボール一人で持ちすぎ、とよく注意されたし。
「でもアレだよね、体育で卓球やるって言っても、多分参加しないと思うんだ」
「あ、それ分かる。そのときは別の場所に逃げてる」
安達が腕を上へ伸ばしながら同意する。右腕がぷるぷる震えた後、べきょっと肘が鳴って「あふ」と息を漏らす。なんでも、肘をぐっと伸ばすとああやって鳴る体質らしい。なにそれ。
「いやー、しまむらとは変なとこで気があうね」
安達がわたしの名前を口にする。意識していないだろうけど、こっちはぐむっとなる。わたしの名字は島村で、それがどうにも苦手だった。島村といえば、しまむらなのである。どうもみんなからひらがなで呼ばれている気がしてならない。島崎とかの方がよかった。
足を伸ばしてぼーっとしていると、体育館にも授業終了のチャイムが響いた。
無人のはずの空間を微細に震わせる放送に、お腹の底がぴりぴりと便乗する。
「チャイム鳴ったね」
「鳴ったね」
「行ってらっしゃい」
手を振られてしまったので不承不承、立ち上がる。脱いでいた上着を着て、上履きを履き直す。財布があることを確認してから階段へ向かう。途中で振り向くと、安達が携帯電話を弄ろうとして手を伸ばしたけれど鞄に届かなくて、諦めて元の姿勢に戻るところだった。あるあると思いつつも、「怠け者ー、カメー」と言ってやった。踵で床を叩く抗議の音が聞こえてきたけど、肩を揺すりながら階段を下りた。
安達の携帯電話に誰が登録されているのかは、山ほど知らないことの一つ。学校ではわたし以外と話しているところを見たことがない。そりゃそうだ。ほとんど学校にいないのだから。
最近はよくここで会うから、もしかするとわたしに会いに来ているのかもしれない。
意識するとちょっとむず痒い。
そしてそれを明確に口にすると、安達は体育館の二階に来なくなりそうだった。