こんなもんを拾ったところで、ほんの数秒の時間稼ぎにしかならないってのに。
だけど、結果から言えばそうでもなかった。俺はこのブツのおかげで、しばらく勉強どころじゃなくなるんだから。
俺は、靴箱の裏から引っ張り出したそれを見た瞬間、
「……なんだこりゃ?」
と、素っ頓狂な声を上げてしまった。何故って、それが我が家にあまりにも似つかわしくない代物だったからだ。
これは……えーと……これは……なんだ?
ケースを指に挟んで、ためつすがめつしてみるが、正体が判然としない。
DVDのケースだ。それは分かる。レンタルビデオ屋なんかではよく見かけるケースだし……というかDVDってちゃんと書いてあるしな。だがその中身がよく分からねえ。
このとき俺の表情は、さぞやいぶかしげだったことだろうよ。
そのパッケージの表面には、やたらと目がでかい女の子のイラストが、でんと描かれていた。
小学校高学年くらいの、かわいらしい女の子だ。
「目と髪がピンクだな」
冷静に呟く俺。証拠品を検分する探偵の眼差し。
イメージカラーなのか、パッケージ全体を見ても、白とピンクの配色が多い。
まあそれはどうでもいい。問題は、
「なんつーカッコしてんだ、このガキ」
この小さな女の子が、やたらと扇情的な衣装に身を包んでいることだ。水着というか、包帯というか、ちゃんと服を着なさいと言ってあげたくなるような格好。その包帯のような衣服からはロケットブースター的な何かが発生しているらしく、女の子は、星屑の尾(☆←こういうの)を曳いて空を飛んでいた。
でもって、バカでかいメカニカルなデザインの杖(槍か?)を片手で軽々と構えている。
呂布奉先もかくやというゴツイやつだ。明らかに戦闘用。敵兵を薙ぎ払い、あるいは叩き潰す、世にもおぞましい用途がイヤでも連想された。
ぶっそうなものである。
そして──
パッケージ上部に、おそらくタイトルであろう文字が、丸っこいフォントで表記されていた。
「ほし──くず、うぃっち……める、る? 初回……限定版……? なんのこっちゃ?」
色々ともったいぶったが、つまりはアニメなのだろう。たぶん。俺はそういうのをサッパリ見なくなって久しいので、よくは分からないのだが。
「で……なんでこんなもんが、ここに?」
俺が疑問符を頭に浮かべたときだ。『星くず☆うぃっちメルル』とやらを両手に構え、玄関に佇んでいる俺の真正面で、ばんっと勢いよく扉が開いた。
「ただいま──って、どしたの京介? 玄関で胎児のように丸まっちゃって?」
「気にするなお袋。ちょっとした気分転換だ」
危ねえ──!? 社会的に死ぬかと思ったわ!
だが問題ない。扉が開いた瞬間、俺はその場に伏せてブツを隠していた。
ふぅ……ぎりぎりのタイミングだったぜ。
誰の仕業か知らねえが、俺を陥れるための罠だったんじゃなかろうな。俺がこんなもんを持っているところを目撃された日には、家族会議でつるし上げられかねん。
桐乃のゴミを見るような視線が、いまから想像できる。
買い物袋をぶら下げたお袋は、異様なポーズでいる俺を、哀れみの視線で見下ろした。
「……さっきおとなりの奥さんから聞いたんだけどね? 最近、学生専門の心理カウンセリングが流行っているそうなの」
「ま、待て……早まるな、俺は正気だ。ただ……そう、今日は、ちょっと勉強のしすぎでな?」
「ウソおっしゃい。あんたがそんなストレス溜めるほど勉強するわけないでしょ?」
ひでえ言い草だな親のくせに。もっと自分の子供を信用しろよ。
「んなことねえって。俺の成績が悪くないの、知ってるだろ?」
「だってそれは、麻奈実ちゃんのお蔭でしょう。優秀な幼馴染みに家庭教師してもらってて、何を自分の手柄のように威張ってるの? あんた、自分一人じゃ勉強なんてやりっこないでしょうが」
「くっ……」
まったくの図星なので、何も言い返せない。五分前まで漫画読んでたしな、俺。
俺は尺取り虫のように床を這いずり、『星くず☆うぃっちメルル』を服の下に隠しつつ、その場から待避した。そんな俺に、背中からお袋の声がかかる。
「京介ー? お母さんはそんなに気にしないけど、玄関でHな本広げるのはやめなさいねー?」
すごく惜しい。俺の奇行からそこまで洞察したお袋はさすがといえよう。俺の部屋を勝手に掃除して、秘蔵のコレクションをすべて暴き出したという経歴はダテじゃあない。
だがいま、俺が腹に隠しているコレは、ある意味それ以上に見付かってはならない代物だ。
慎重にお袋をやり過ごした俺は、ラガーマンがボールを堅固に抱きかかえているような体勢で、素早く階段を駆け上った。部屋に飛び込み、扉を閉めて、ようやく一息。
「ふぅ……」
ごそごそと腹からブツを取り出し、利き手で恭しく掲げる。左手の甲で冷や汗をぬぐう。
ミッションコンプリート。このへんの仕草は実に手慣れたものだ。理由はあえて言わないが、健全な中高生男子諸君ならば、必ずや察してくれるものと信じている。
「…………持ってきちまった、な」
『星くず☆うぃっちメルル』とやらをすがめ見つつ、呟く。
まぁ、あの状況では仕方なかったと思う。勉強をサボる口実捜しをしていた最中でもあったし、この〝ここに存在するわけがない代物〟に、強く興味を惹かれているのも事実だ。
俺は、本日の受験勉強をやむを得ない事情により切り上げて、さっそくブツの検証を始めることにした。
俺の部屋は六畳間。ベッドに机。参考書や漫画等を収納した本棚。そして、クローゼットなどがある。
カーペットは黄緑色で、カーテンは青。壁にはお袋が町内会でもらってきた和風っぽいカレンダーが貼られているくらいで、ポスターなんかはいっさいない。
その他にはミニコンポがあるくらいで、パソコンやらテレビやらゲームやらはない。
どうだ、無個性だろう? なるべく『普通』に生きるというのが、俺の主義で、性にも合っている。
ちなみにエロ本を隠すのはもう半分諦めているので、ダンボールに入れてベッドの下に収納してある。でもってお袋には『ベッドの下は掃除しないでください(←五体投地)』と、お願いしておいた。……お袋様がその不可侵条約をきちんと守ってくださる保証はないし、毎日コレクションの更新状況を確認されていたとしても、俺には知る術がないわけだが……
そこはあえて考えない! 自我を守るために!
なるべく無難なチョイスをして、もしも見られたとしても家族会議にならないよう予防線を張っておくくらいが、せいぜい俺が講じることのできる最大の防御策である。
……つーか、マジな話、自分の部屋がないやつは、どこに隠しているんだろうな?
俺には開き直って堂々とフルオープンにしておくくらいしか、有効な策が思いつかないんだが。自分の部屋に鍵がかからない程度で悩んでいる俺は、わりと贅沢者なのかもしれん。
そんなふうに、深遠な思考を巡らせていたのは現実時間にして数秒。
俺はベッドに腰掛け、足を組む。DVDケースを片手で持ち、「ふむ」とあごに手をやる。
「見れば見るほど、我が家にはそぐわんパッケージだな……」