第一章 ⑨

 さっさと立って逃げりゃあいいものを、あせってしまった俺は、きょろきょろを見回すばかり。そうやってモタモタしているうちに、さらに追い詰められてしまう。


「…………」


 そこで桐乃は、何かを決意したような、思い詰めたような表情になった。

 真剣なまなしが、俺のひとみぐ突き刺す。桐乃に見詰められた俺は、かなしばりにあったように動けなくなる。目をそらせない、張り詰めた空気が周囲に満ちていた。

 そうして桐乃は、四つん這いで俺におおかぶさるようにして──

 俺の鼻先に、『妹と恋しよっ♪』のパッケージを突き付けた。


「は?」


 予想外の展開に、面食らう俺。そんな俺の反応なんざ意にも介さず、桐乃はころっと態度を一変させて、ややうっとりとした調ちようでこう言った。


「このパッケージを見てるとさ……ちょっととか思っちゃうでしょ?」

「……な、なに言ってんのおまえ?」


 意味が分からねえ。この部屋に足を踏み入れてから、何度この台詞せりふを思い浮かべたかもう分からんが、中でもいまの桐乃の台詞は、とりわけ意味不明だ。


「だぁからぁ~」


 何で分からないかなぁとでも言いたげに、きりあきれた表情をおれに向けた。


「……すっごく、かわいいじゃない?」


 だから何が? おまえの台詞せりふには主語がねえよ。

 このときの俺の表情は、さぞかしいぶかしげだったことだろう。

 これ以上聞き返しても、ろくな答えが返ってきそうにないので、俺はなんとか妹の言わんとすることを察してやろうと頭を回転させた。


「……………………」


 手掛かりは二つ。いま、鼻先に突き付けられたパッケージ。そしてとうとつに告げられた、『すっごく、かわいいじゃない?』という台詞。

 普通に考えれば答えは一つしかないわけだが……でも、っておかしくねえか? ……おかしいよなあ? ……俺はどうにも納得いかないままに、おそるおそる聞いてみる。


「……すると、おまえ。なんだ、その……まさかとは思うけど……『妹』が、好きなのか? で、だから、そんなゲームとか、いっぱい持ってると」

「うんっ」


 だ、大正解……。元気いっぱいにうなずきやがった……。なんでそんなに誇らしげよ?

 ……普段ふだんもこのくらいあいそうがよけりゃいいのになあ。

 などと思っていると、桐乃は聞いてもねえのに語り始めた。


「ほんとかわいいんだよ。えっと、例えばね? たいていギャルゲーだとプレイヤーは男って設定だから、おにいちゃんとか、おにいとか、兄貴とか、兄くんとか──そのの性格やタイプに合った『特別な呼び方』でこっちのことを呼んで、したってくれるのね。それがもう……ぐっとくるんだあ」

「ふ、ふーん……すごいな」


 適当にあいづちを打って合わせる俺。……フ──ったく、楽しそうに語っちゃってまぁ……

 ところでおまえは俺のことを『おい』だの『ねえ』だの、やたらとそんな態度で呼びつけるよな。そのへんどうよ? 全然ぐっとこないし、常にイラっとくるんだがな。

 俺の無言の問いかけにはもちろん気付かず、桐乃は『妹と恋しよっ♪』のパッケージを俺に見せつけるようにして、とある女の子のイラストを指で示した。


「この中だと──あたしは、この娘が一番お気に入り」


 妹が示したのは、背の低い、気弱そうな女の子だ。黒髪をツインテールにわき、もじもじと恥じらっている。


「やっぱね、黒髪ツインテールじゃないとダメだと思うの。せい大人おとなしい娘って、こう、まもってあげたくなっちゃうっていうか、ぎゅってめてあげたくなっちゃうっていうか……へへ……いいよねえ」


 おまえ茶髪じゃん。くそ短いスカートはいて、脚組んで、太もも丸出しでゲラゲラ電話してるじゃん。いまの台詞せりふ、自分で自分にダメ出ししてねえ?

 ……まぁ……それはそれとして、だ。


「……な、なるほど」


 おれの妹は『妹』が好き──だからこいつは、アイテムをしゆうしゆうしている。

 それは理解した。だが俺の疑問は解消されちゃいない。むしろでかくなったくらいである。

 俺はむずかしい顔で聞いた。


「だ、だが……どうしてだ?」

「え?」

「だからおまえ、どうして妹が好きなんだ? 悪いとは言わないが……おまえが集めているゲームって、普通男が買うもんだろ? ……しかも、その、18歳未満は買っちゃいけないやつじゃないのか? あまりにも、おまえのイメージからはかけはなれてるだろ。どうしてそんな──そういうのを、好きになったんだ? 何かきっかけとか、理由とか……あるのか?」

「そ、それは……その……」


 俺の問いを受けたきりは、明らかにろうばいした。冷水ぶっかけられたみたいに目をぱちくりして、きょときょととせんをさまよわせている。言いにくい質問にまどっている……のとは、ちょっとようが違う気がした。しばらくそのまま待っていると、


「わ、分かんない!」


 目をきつくつむって、顔をに染めて、どこか子供っぽく桐乃は言った。

 俺が「は?」と問い返すと、妹は胸に両手を持っていって、もじもじと恥じらい始める。


「……あのね……あのね……じ、自分でも……分かんないの」


 ……うお、なんだコイツいきなり……あくりようにでもひようされたか?

 普段ふだんの憎たらしいおまえはどこにいったのよ?

 恥じらうぐさがあんまり桐乃らしくなくて、(つまりかわいらしくて)俺はとうわくしてしまう。


「分かんないっておまえ……自分のことだろ?」

「だ、だって! しょうがないじゃん……ホントに分からないんだから……。いつの間にか、好きになってたんだもん……」


 だもん、って……おいおい、おまえのキャラじゃねえだろ、それ。


「……たぶん店頭で見かけたアニメがきっかけだったとは思うんだけど……」


 桐乃は、それこそ自分が好きな妹キャラみたいに、気弱な態度になっている。

 不安そうに俺を見上げてきた。


「……あたしだって……こういうのが、普通の女の子のしゆじゃないって、分かってるよ。だからいままでだれにも言えなくて……隠してたんだもん。でもさ、分かっててもやっぱり好きだから……ネットやってると、ついつい、ググっちゃうの。……で、たいけんばんとかダウンロードして、やってるうちにさ……こう……ああんもー買うしかないっていう気になっちゃって……」


 で、挙げ句の果てにこのザマというわけか……。

 おれはうずたかくまれた妹ゲーを見やって、目をすがめる。

 ……めちゃくちゃメーカーの策略にハマってやがるな、こいつ。


「こ、このかわいいイラストが、あたしを狂わせたのよ……」


 イラストレーターのせいにすんじゃねえよ。

 ていうか俺はなんで、深夜に妹から、オタクになったいきさつとか聞いてるんだろうな?

 こんな奇妙なたいけんをする兄は、世界で俺だけじゃねえの?

 きりはさらに続ける。


「このままじゃいけないって……何度もやめようって、思った。でも、どうしてもやめられなくて……だってね、ブラウザ立ち上げると、はてなアンテナにとうろくしてあるニュースサイトが、毎日あたしに新たな情報を伝えて、いろいろ買わせようとしてくるんだよ? ……うう、かーずSPとアキバBlogめ……」

「いやおまえ……よく分かんねえけど……ニュースサイト? 見なきゃいいんじゃないか?」

「………………それができれば苦労しないんだって……」


 軽く突っ込んだら、桐乃は思いっきりしょんぼりしてしまった。

 おいおい……だからだれなんだこいつは。こんなかわいい妹に、心当たりはねえぞ?

 俺の前にぺたんと座り込んだ桐乃は、目に涙をめて、うわづかいで見上げてくる。


「……ねぇ、あたしさ、どうしたらいいと思う?」

「………………」


 どうしたらいいと思う……って、言われてもな……。

 んなもん知るかよ、というのが正直な意見だが、さすがに俺を頼ってきた妹にこの台詞せりふは言えねえ。こいつの腹ん中がどうであろうとだ。

刊行シリーズ

俺の妹がこんなに可愛いわけがない(17) 加奈子ifの書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(16) 黒猫if 下の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(15) 黒猫if 上の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(14) あやせif 下の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(13) あやせif 上の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(12)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(10)の書影
アニメ『俺の妹』がこんなに丸裸なわけがないの書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(9)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(8)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(7)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(6)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(5)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(4)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(3)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(2)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがないの書影