俺はもどかしさのあまり、唇を嚙む。……あ、桐乃のやつ、また逃げられた。ほんっと二言三言しか保たないのな。相手も最初は相槌うってくれるんだけど、すぐに別グループの話題に食い付いて、桐乃から離れていっちまう。
……というか、漏れ聞こえてくるこいつらの会話、俺にはなにが何だかサッパリ分からん。
外国に迷い込んじゃったみてーな気分だぜ……。
こめかみを押さえてため息をつくと、ふと桐乃が、助けを求めるように俺の方を向いた。
……そんな泣きそうなツラすんじゃねぇよ。そうじゃねーだろよ、いつものおまえはさ!
俺がぐっと拳を握り締めようとしたところに、
「お待たせいたしましたぁ~♪ いもうとの手作りカレーだよっ、おにーいちゃんっ♪」
「あ、ども」
ちょ、このクソメイド、すげえタイミングで持ってきやがって。メイドさんに『おにいちゃん』と呼ばせているところを妹に見られちゃったじゃねーか!? 台無しだよもう!
いっそ殺せ……! 俺は羞恥に打ち震えながらも妹を見つめた。桐乃はもうこっちを見ちゃいなかったが、構わない。俺はぐっと拳を握り締め、視線に力を込めた。
なぁ桐乃、俺はなんにもしてやれねえ。でも、ちゃんとここで見ててやっから──
頑張れ! 頑張れ桐乃……! 頑張れっ! ひたすら俺は意味のない念を送り続けた。
ちくしょう……!
なにが手作りだ……この味、明らかにレトルトじゃねえか……!
オフ会はそれから二時間ほど続き、最後にプレゼント交換みたいなことをやって終わった。
桐乃は終始ろくなコミュニケーションが取れず、もちろん一人の友達も作れなかった……。
さらに追い打ちをかけるように、桐乃に回ってきたプレゼントは、誰が持ってきたもんなんだか、見るからにショボイ、おもちゃのマジックハンド。
……ちょっ……こ、これはねえよ。いくらなんでも、あんまりだって。
ビンゴの外れでも、もっとマシな賞品用意すんだろ……。
一人ぽつんと俯いて、しゅこしゅこハンドを開閉させている妹が、ホント不憫で仕方ねえ。
……やべ、マジで涙出てきたわ……。
俺の十七年の人生において、これほどまでに涙を誘う光景がかつてあっただろうか……。
ちなみ俺はいま、店の外で、メンバーたちの集団から、ちょっと離れた位置にいる。
と、そこでコミュニティの管理人兼オフ会幹事の〝沙織〟が、締めの挨拶を述べ始めた。
「──皆様のご協力もありまして、記念すべき初めてのお茶会は、つつがなく終了したでござる! 拙者、心より感謝しておりますぞーっ!」
楽しげな歓声が上がる。さすがコミュニティの代表というべきか、あんな見てくれと喋り方なのに、妙にオタクっ娘たちから人気があるらしい。一人だけタッパがあるもんだから、中学生を引率する先生みてえだ。
「──お茶会はひとまず! これで解散となりますが──まだまだ時間はあるよという方、会で仲良くなった友達ともっと話したいよという方は、それぞれ各自で二次会、三次会へと向かってくだされ! なお次回の催しについては、またトピックを立てますゆえ、ぜひともふるってご参加くだされ! では──解散っ!」
わぁっと喧噪が広がった。別れの挨拶が飛び交い、「ねーこれからとらの穴に行こーよ」だの「二次会どこいくー?」だの「シードのカップリングについてみっちり語り合わない?」などと誘いの文句がやり取りされている。
が、しかし──そんな楽しげな輪の中に、我が妹・桐乃はいない。
オフ会のメンバーは、二、三人ずつ連れだって、ポツポツとその場から離れていく。
ちなみに〝沙織〟は、締めの言葉を発してからすぐ、猛ダッシュでどっかにいっちまった。
急用でもあったのかね?
……そんなふうにして、人気がほとんどなくなってからも、桐乃はその場にポツンと立ち尽くしていた。もしかしたら誰かが誘ってくれるんじゃないかと、諦めようにも諦め切れない様子。ぐったりと疲れた表情で、肩を落としている。ばりっばりに決めたかわいいファッションも、いまとなっては虚しいばかり。……むちゃくちゃ逆効果だったもんなあ、それ。
その姿はさながら、刀折れ矢尽きた敗残兵のようであった。しかも片手にはマジックハンド。
そんな寂しげな妹のところへ、俺は帽子を脱いで、ゆっくりと近寄っていった。
「…………何も言うな。……おまえはよく頑張ったよ」
ぽん、と頭に手を置いてやると、すぐさまバシッと払いのけられた。
……はいはい、情け無用な。
桐乃は俯いたまま、俺に顔を見せようとはしなかったが──
そんだけ強がれりゃ上等だ。今回は失敗しちまったけど、反省して、立ち直って──何度だって挑戦すりゃあいいのさ。そうだろう?
「よっしゃ、桐乃──せっかくアキバにきたんだ。ちょっくら観光していこうぜ」
ばんっと背を叩いてやると、ようやく憎まれ口が返ってきた。
「ったいな……バカ。……大体なんなのさっき、いきなり水噴き出したりして……」
「いやおまえ、アレはしょうがねえだろうよ──」
なんでもない会話をかわしていると、ふいに桐乃が「はぁっ」と大きなため息をついた。
「………………ぜんぜん話できなかった」
「……そうだな。ま、最初はこんなもんよ。気にするこたねーって」
「……そんなことない。……な、なんで……? あ、あたしっ、いつもどおりにやったつもりなのに……どうして避けられるわけっ? ……くぅぅ~……かつく。……むかつく。むかつくむかつくむかつく……っ……」
イライラと歯軋りしながら、見苦しく地団駄を踏む桐乃。
「…………」
咎める気にはなれなかった。俺にも覚えがあるからだ。悔しさとか哀しさを、怒りに変換することでしか紛らわすことができないときが、あるんだよな……。
だが妹よ……むかつくのはホンットよく分かるんだけどさ……八つ当たりに、兄を蹴っ飛ばすのはどうかと思うんだ。俺はそのへんの壁じゃないからね? 蹴られたら痛いんすよ。
怒らないけどさ! 痛ぇけど、おまえも痛いんだろうから、今日だけは我慢してやる。
「痛ってえ!? このガキャ……いくらなんでも踵はやり過ぎだろうが!? クソ、我慢できっかこんなもん! そこまで俺は寛容になれねえよ!」
そんなふうに、俺が必死で妹の八つ当たりに耐えていると。
意外なやつが現われた。
「おぉ~~い! きりりん氏! ……ふぅっ、よかった! まだいてくださって!」
「あ、アンタ……さ、沙織さん……?」
息せき切って走り込んできたのは、コミュニティの管理人・沙織だった。
「おやおや、沙織さんなどと! 拙者ときりりん氏の仲ではござらんか! 呼び捨てで結構! いやぁ~それにしてもよかったよかった。いま、ちょうど携帯にご連絡差し上げようと思っていたところでござってな──」
にかーっと笑う沙織。しっかしテンション高けえ女だな。変テコな口調しやがって、ちょっと遠くで聞いてるぶんにゃ慣れたかと思ったけど、いざ話しかけられっとどうにも対応に困る。
この相手にゃ桐乃も調子が狂ってしまうらしく、おずおずと、こう問うのが精一杯だったようだ。
「あ、あたしに何か──?」
「うむっ」
沙織は口元をωにして頷いた。こんな図体しくさって、妙にかわいい仕草をするやつである。ぐるぐる眼鏡で半分隠れてしまっているが、間近でよく見りゃかなり整った顔立ちをしている。誰かさんと違って、眼鏡外したら意外に美人なのかもしれない。
さておき、沙織は指を一本立てて、こう言った。
「実は、これから二次会にお誘いしようと思いましてな」
「えっ?」
意外な申し出に当惑する桐乃。返事をする間もなく、ぐるぐる眼鏡が俺の姿を捉えた。