グスッ……ついつい泣きが入ってしまう。うぐあー、顔がイテェよぉぉ~~ッ。
自分の情けなさと、ドアに挟まれた痛みを嚙みしめながら、俺は桐乃が走り去っていった先を見つめるのであった。
「くそっ!」
ぶんぶんとかぶりを振って、気を取り直す。立ち直りが早いのが、俺の数少ない長所の一つ。
──追っかけるべきか? いや……その前に……
俺は家の中へと戻った。正直自信はなかったが……親父から、事の顚末を聞き出せないかと考えたからだ。そうしねえと、桐乃がヤケクソになってた理由も分からないままだからな。
もちろん大体のところは予想できるけどよ。
それにアイツ、確か今日、友達とオフ会行くって言ってたもんなあ。
俺がついて行かなくても、自分一人で仲間と会って──きっと、とても楽しい時間を過ごしてきたんだろう。黒猫と喧嘩したり、沙織に毒舌吐いて平気な顔されたり……想像できるよ、なんとなくな。俺も、この前、そばで見てたからさ。
最近桐乃がイキイキしてる──この状況で、皮肉にもお袋の言葉を思い出した。
それってたぶん、ずっと隠してた趣味を分かち合える相手ができたから、なんだよな?
そんなに何もかもが上手くいっている状況でさ……すぐ前に落とし穴があるなんて、想像もしてなかったんだろうな、あいつ。
恐る恐るリビングに入ると、何故か、親父が掃除機をかけていた。フローリングの片隅に、クリスタルの灰皿が転がっている。どうやらコレを引っ繰り返してしまったらしいが……
まさか、親父がキレてぶん投げたのか……?
いったいここで、どんなやり取りが繰り広げられたのだろう。俺はごくりとつばを吞み込んだ。
「…………」
黙々と掃除機をかけている親父。静まりかえった室内に、掃除機の音だけが場違いに響く。
家庭内でトラブルが起こった直後の、あのいやーな沈黙が、リビングを支配していた。
やがて親父が掃除機をかけおわり、低く重い声で、こう呟いた。
「京介、ちょっとそこに座りなさい」
「あ、ああ……」
俺は言われるがままにテーブルに近付き、ソファに腰を下ろした。
たぶん桐乃の件について、俺も尋問されるんだろう。あるいは説教も、かもな。
桐乃はあれで頑固なところがあるから、俺の名前を出しちゃあいないんだろうが、親父ならそのくらい言質を取らずとも察する。トボけるだけ無駄ってもんだ。
ま、そうだとしてもだ。俺も、桐乃に相談を受けた件について、自分から口を割るつもりはねえ。それが相談を受けたもんの礼儀ってやつだろう。
俺はテーブルの上に目をやった。例の証拠品、開かれたDVDケースが置かれている。その脇に、一枚の紙切れを見付けた。
「……こりゃあ」
それはどうやら、アニメや漫画の専門店の広告らしかった。でかでかと『星くず☆うぃっちメルル』のイラストが載っており、そのすぐ下に、このような記述があった。
『星くず☆うぃっちメルル2(初回限定版)ついに入荷! 前作のパッケージを店頭までお持ちくださったお客様全員に、人気声優・星野くららのサイン入りポストカードをプレゼント!』
……な、なるほどな。こいつで、幾つかの謎が解けたぜ……。
俺が『星くず☆うぃっちメルル』のパッケージを拾った日、どうして非オタの友達に呼び出されたのであろう桐乃が、メルルのパッケージを外に持ち出そうとしていたのか。
そして、どうして今日、桐乃が部屋からメルルのパッケージを持ち出したのか。あいつはこれから専門店に出かけて、星野くららさんとやらのサイン入りポストカードを入手する腹積もりだったわけだ。
大した手間でもないんだし、さっさともらいに行っておきゃあいいものをよ……よりにもよって今日このときって……ほんとタイミング悪ぃな。
とりあえずこれで、親父がブツを発見したのが、夕方、桐乃がイベントから帰ってきたあとだということが分かった。まず間違いないだろうよ。桐乃は一旦帰ってきて、部屋に戻って、メルルをバッグに入れて、さぁポストカードもらいに行こうってときに、親父とぶつかって──そんな流れが想像できる。そのあとの展開はやはり分からないままだが、まぁとにかく中身を見られちまったと。で、家族会議勃発ってわけか……なんつーか、無惨な話だな。
と──
掃除機を片付けてきた親父が、俺の対面に座った。
俺は条件反射のように緊張し、姿勢を正す。親父の第一声は、次のようなものだった。
「京介、おまえ、知っていたのか?」
「……ああ」
そう答えるしかなかった。そもそも親父の眼光は、罪人の口を割らせるために、長年研ぎ澄まされてきたものなのだ。そんなもんを息子に使うなよ。ちびったらどうすんの?
「そうか。おまえがどうして知っていたのかは聞かん。喋るわけにはいかんのだろう」
親父の眼差しは恐ろしいだけでなく、心の奥底まで覗き込まれるような気分になる。
「…………」
俺と桐乃の共犯関係は、どこまで見抜かれているのだろう。俺は背筋が寒くなった。
「俺は、こういったものを、おまえたちに買い与えたことはない。何故か、分かるか?」
親父は、DVDケースを片手で取り上げ、パッケージに描かれたアニメも、その中身も一緒くたにして言った。18禁なのは中身だけなのだが、親父にはその区別は付けられまい。
俺は反論することもできず黙り込んだ。親父と視線を合わせないよう、俯く。
俺も桐乃も、親父から説教を喰らうときは、絶対いつもこうなる。
「こういうものは、おまえたちに悪影響を与えるからだ。ニュースなどでもよくやっているだろう、ゲームとやらをやっていると頭が悪くなる。犯罪者の家から、いかがわしい漫画やゲームが見付かったと──もちろんテレビの話を鵜吞みにしているわけではないがな……」
どうせ、ろくでもないものなのだろう? 親父の表情がそう語っていた。
親父のサブカルチャーへの理解度は、とんでもなく低いし、いわゆる『常識ある大人のレッテル』ってやつを貼って、桐乃の趣味をフィルター越しに眺めている。
……ちょっと前の俺だって、オタクへの認識は、親父と似たようなもんだった。
小遣いで買える漫画やCDはともかく、ゲームなんか絶対買ってくれない両親だったからな。
普通の高校生よりも、サブカルチャーへの偏見が強かったのさ。
ゲームなんざろくでもねー。やってんのはバカばっかだ。だから持ってなくたって、悔しくなんかないもんね──とまぁそういう論理だな。ゲームを買い与えられない子供は、そうなる。
桐乃の葛藤も、だからこそ大きかったはずだろう。
「真偽はともかくだ。悪影響を及ぼすと言われていて。しかも、そんなものばかりやっている者どもは……なんだ? オタクだのなんだのと……蔑視されているのだろう? であれば、持っていて良い影響などあるまい。そんなものを、おまえたちに買ってやるわけにはいかん」
「…………けどよ。あれは……」
辛うじて言い止した俺に、親父が声を被せてきた。
「『桐乃が、自分で稼いで買ったものだ』とでも言うつもりか。……それはそうだな。だから俺は、アレが自分の金で買った品物については、それほど口うるさく言うつもりはないのだ。化粧品だの、派手な服だの、バッグだの……本来ならば、ああいった子供らしからぬ諸々も、制限すべきだと思うのだがな。……母親と一緒になって、それが友達づきあいに必要なのだと言われれば、俺にはもう何もいえん。勝手にしろと諦めるしかない」
「化粧品やバッグはよくて、ゲームやアニメはダメだってのか?」