「当然だ。あんな世間でよくないと思われているようなものは、桐乃に持たせておくわけにはいかん。特にアレは、俺が言うのもなんだが、できた娘だ。くだらん趣味にうつつを抜かしているのなら、ダメになる前に道を正してやらねばならん」
オタク趣味は、桐乃をダメにする。だから、やめさせる。親父の論旨はこうだ。
実際、妹もののエロゲーにうつつを抜かしている桐乃は、すでに女子中学生としてかなりダメになっているので、ここで俺は何も言うことはできなかった。
と──
親父は俺への説教を切り上げるや、席を立ち、リビングから出て行こうとする。
ゾッと嫌な感触が背筋を駆け上った。
「お、親父っ? どこ行くんだよ……?」
俺は慌てて親父の後を追い、呼び止めた。親父が、階段を上ろうとしていたからだ。
その先には、俺の部屋と桐乃の部屋くらいしかない。まさか……!?
親父の台詞は、予想どおりのものだった。
「桐乃の部屋を調べる。他にも隠しているものがあるかもしれん」
「ま──待てって! ちょっと待ってくれよ!」
やべえっ、あそこには桐乃のコレクションが……!
俺は階段の下から親父を見上げ、でかい声で制止する。
「んなもんがあったら、お袋が見付けてるって! 毎日掃除してんだからさ! 俺が隠してたエロ本だって、全部見付かってんだぞ? 隠してるモンなんかあるわけねーじゃん! ハンドバッグに入ってたので全部だよ絶対──」
たぶん桐乃もそう主張したはずだ。何故なら、親父にエロゲーその他が見付かったら、間違いなく全部捨てられちまうからだ。親父と一対一で対決するハメになろうとも、あいつは自分のコレクションを死守しようとするに違いない。
「……だから、それを調べると言っている。俺が探して、見付からなければそれでいい」
いや、絶対見付けるだろアンタ。まさにそういうのが本職じゃん。
このまま親父を桐乃の部屋に入れたら、桐乃のコレクションが全部見付かっちまう。
そして絶対! 断言してもいいが、親父は桐乃の趣味を見くびってる!
悪いこと言わないからやめとけって! 見ない方がいいっすよ! アイツが持ってるエロゲーは、二本三本じゃねーんだってば!
この前見せてもらったのだけでも、二、三十本はあったから!
しかもあの桐乃がさ、恥ずかしがって見せらんねーとか言ってたのが、あの奥にさらに積まれてるわけだろ? そんなモンを親父が見たら、下手したら発狂すんじゃねえの?
ま、マズイ……現状がかわいく思えるほど、絶対、マズイ……。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 親父!」
親父はどんどん音を立てて階段を上っていく。俺はその後を急いで追っかけて、前に回り込み、両手を広げて立ち塞がった。
「どけ、京介」
「ど、どかねえ……」
なに言ってんだ俺は!? 正気か!? いま親父に逆らったりしたら──
「いでででででっ!?」
親父は俺の手首を軽々と捻り上げて、同じ台詞を繰り返す。
「どけ」
親父は、あくまで俺の意思で、道を譲らせようとしている。やろうと思えば、俺をぶん投げて強行突破するのは容易いはずだからだ。俺は手首の痛みに涙を流しながら、こう言った。
「どか……ねえっ」
ぎりぎりぎりっ……。
手首の激痛が、さらに強まった。効率よく痛みを与える術については、親父はプロだ。
「ぐっ……」
っ痛てぇ~~~~~~!? っあ──ホントにさあ! なにやってんだろうな、俺は!
自分で自分が分からねえよ!
「……どんな事情があろうと、本人の許可も取らずに部屋を家捜しすんのは、まずいだろ……。たとえ親でも、やっていいことと、悪いことがある。……だから、どかねえ」
痛みを堪えて、訴える。
どうやら俺は、妹のコレクションを護ろうとしているらしかった。
あんなヤツがどうなろうが知ったこっちゃねえのにな、俺。
それに──娘がいかがわしい品物もってたら、きっちり叱って取り上げるのが親の役目だ。
親父は、親として当然の責務を果たそうとしているわけで、その結果、桐乃が泣こうが喚こうが、本人の自業自得だろう。
じゃあ何で、俺は、こんな痛い思いして、得にもならねーことをやってんだ?
そりゃあ……そりゃあさ! まがりなりにも、相談を受けてたわけだし──それにコレクションを見せびらかして、得意げにしている妹の顔を、思い出しちまったからだ。
無理矢理俺にエロゲーやらせて、しきりに感想を聞いてくる妹を、なんとかしてやりてーと考えた自分を、思い出しちまったからだ。
でもってアキバのマックで、初対面だってのに盛大に喧嘩して、楽しそうに騒ぐオタクどもを、この目で見ちまったから。捨てたもんじゃねえって、思っちまったから。
だから、俺は、こんな、ガラでもなく──
「……親父。ここは俺に任せてくれ……俺が、あいつと話してみるから。せめて、それまでは待ってやってくれよ。自分がいないときに、大切にしてたもんが勝手に捨てられちまってるのなんて──かわいそうじゃねえか。な? 頼むよ……!」
必死になって訴えると、親父はいぶかるような目で俺を見た。
「おまえ……」
アンタが言いてえことは分かってるよ、親父。この俺が、こんな必死こいて不仲な妹をかばうのがおかしいってんだろ? ああ、ああ、そうだろうよ……おかしいよなあどう考えても。
でも、んなこた俺が一番よく分かってんだよ!
「…………」
俺たちは、しばし無言で睨み合った。親父は、厳しい顔で何事か考えていた様子だったが、やがて……摑んでいた俺の手首から、手をはなした。
「──いいだろう。待ってやる。俺は、桐乃の部屋には入らん」
親父は自分が一度口にしたことは、どんなことがあっても守る。二言はない。
「その代わり、京介、おまえが責任を持って捨てておけ。全部、一つ残らずだ。分かったな?」
「──分かった。桐乃と話して……必ず、そうする」
そう答えるしか、俺に選択肢は残されていなかった。先の台詞でも分かるとおり、親父は、部屋に入らなくたって、桐乃の部屋に〝あってはならない代物〟があるだろうって確信してる。
仕方ないこととはいえ、これだけ親父の捜索を強くこばんじまったんだから、逆に〝ある〟ってでかい声で叫んでるようなもんだしな……。
この約束をもしも違えたら、親父は俺を許さないだろう。まったく誇張せずに言うが、殺されたっておかしくない。男と男の約束だからな。
あのコレクションを全部、一つ残らず捨てろ──俺はそれを、妹に告げなくちゃならないってわけだ。
責任重大な上に、えらく困難で、しかも何の見返りもねーミッションだ。
こんなの、俺のガラじゃあねえ。やってられっかってんだ。
ったく。ホラよ、桐乃……とりあえず、時間は稼いでおいてやったから──
感謝……するわけねーよな。はぁ……。
親父を何とか止めた俺は、買い物から帰ってきたお袋に後を任せ、改めて桐乃を捜すべく外に出た。が、家を飛び出していったあいつがどこに行ったのかなんて、俺に分かるわけもない。心当たりさえない。
夕焼けの中、当て所もなく駆け出す。
携帯に電話かけりゃあいいだろうって思うか? 知らね──よ! あいつの電話番号なんかさ。お袋が言ってただろ? 俺たち兄妹は、仲が悪りぃんだ。桐乃は俺のことをゴミみてーに嫌っているし、俺は妹のことを、どうでもいいヤツだと無視している。
会話はない、目も合わせない──見知らぬ他人と同様の、冷えきった関係。
だから俺は、妹の携帯番号なんて知りゃあしねえし、知りたくもねえし、知る必要もねえ。
「くそっ……どこ行きやがったんだ、あいつ……」
なのに俺はいま、そんなどうでもいいヤツを捜して、町を闇雲に駆け回っている。
公園、商店街、ゲーセン、学校、駅前──美麗で目立つ妹の姿は、どこにもない。
ここにもいねえ……! くそっ! あとは、どこだよ……ちくしょう。