第四章 ⑨

「くだらんって言われたのっ!? あたしが好きなアニメも! ゲームも! 今日きよう行ってきたオフ会も! 全部全部全部全部っ!? ……がうのに! ……っ……んなんじゃないのに……っ……あたし……な、なに……も…………っ…………」


 その先はもう、ほとんどえつに変わっていて、ほとんど聞き取れなかった。

 桐乃は拳を叩き付けたままの体勢で、俯き、しゃくり上げている。


「なにも言い返せなかった──のか」

「……うん……」


 ぽつ、ぽつ、とテーブルに涙のしずくが落ちた。

 ここしばらく、妹の人生そうだんに付き合ってきた俺には分かる。

 桐乃は、今日、げきりんにふれられた。俺があのときかいた『大切なもの』を、踏みにじられた。

 だから桐乃は、いま、こんなにもキレている。死ぬほど悔しくて、涙を流している。



 比較するのはバカげているのかもしれないが、俺にだって『大切なもの』くらいある。

 そいつをくだらんと否定されたなら、俺だって同じようにブチキレるだろう。

 ぜってーだ。相手がおやだろうが必ずブッ飛ばす。そうしなきゃ気が済まねえからだ。

 きりも、同じ気持ちなんじゃねーかな?


「あたし、なにも言い返せなくて……さ……クリスタルの灰皿つかんで殴りかかったんだけど……取り押さえられちゃって……ハッ……くやしいなあ……」


 そこでとつどんを持つのが、こいつのおっかないところだな。ほとんど音は聞こえてこなかったけど、あのとき中でそんなバトルがり広げられていたとは……

 同じ気持ちっつったの取り消すわ!

 こいつの場合、ブッ飛ばすじゃなくて、あくまでブッ殺すなんだな!?


「ホラ、桐乃、ハンカチ使え」

「……ん。……やだ……化粧、ぐちゃぐちゃ……」


 おれがハンカチを貸してやると、桐乃は顔をいて、それからいつたん、席を中座した。

 化粧直し。感情を落ち着けて、仕切り直し──俺も、桐乃も。


「ふぅ……」


 おい、てめーら。なに見てんだ、あ? 周囲をぐるりとにらみ付けて、好奇のせんらす。

 時間帯がいまでよかったな。この時間なら、桐乃や俺の同級生に、いまのやり取りがもくげきされているということはないはずだ。

 すっかり冷めたコーヒーを全部飲み干したころ、すっぴんになった桐乃が戻ってきた。

 ちょこん、とおれの対面に座る。

 ……絶対言うつもりはないけどさ。こいつ、すっぴんの方がかわいいんじゃないか?

 そんなことを考えてたもんだから、


「……ねぇ?」

「ん、んっ? な、なんだ?」


 俺はいきなり話しかけられて、キョドっちまった。

 すっぴんになったきりは、弱々しい調ちようで、こう聞いてきた。


「……あたしさ……おかしいかな? ああいうの……好きでいちゃ、悪いのかな?」

「桐乃……」


 らした目で、そんなこと言われたら……俺はなんて答えりゃいいんだ?


「少なくとも、おやは、そう言うだろうな。親父が特別きびしいからってわけじゃない。普通の親なら、だれだってそう言うし、それが当たり前だ。自分でも分かってるはずだろう──けんていがあるから、バラすわけにゃいかなかったんだって」

「でも……だって……もう……バレちゃったじゃん……」

「ああ。だから、もう、遅い。バレちまったもんは、もう、なかったことにゃできねえ」


 俺はできる限りの誠意を込めて、言った。


「おまえは選ばなきゃならねーんだ」


 俺はそこで、いつたん言葉を止めた。妹の目を、しっかりと見据える。


「このしゆを、やめろって……こと?」

「それができんなら、全部丸くおさまるわな。おまえがオタクをやめりゃあ、何の問題もねえんだよ。親父の怒りは静まるし、おまえの世間体を常におびやかしているばくだんも、なくなるんだから。……俺は最近、おまえのうわさをたくさん聞いたよ。スゲーんだってな。スポーツ万能、学業ゆうしゆう、モデルやって、部活やって──たいしたもんだ。マジでそう思う。これで例の趣味がなくなりゃ、ホントかんぺきじゃねえか。……俺の言いたいこと、分かるよな?」

「……分かってるよ。あたしがすごいのは、あたしが一番よく知ってる。オタクやめれば、何もかも、全部くいく──そんなの最初から分かってる」


 桐乃は、今度は軽く、こぶしでテーブルをたたいた。落ち着いた声で、言う。


「でも、やめないよ。絶対やめない。だって……好きなんだもん……すっごい好きなんだもん! それなのにやめるなんて……やだよ。できないよ……」

「そうか。でも、親父にとっちゃ、おまえの感情なんて関係ないぜ。よくないものは正さなくちゃならん──耳が腐るほど言われただろ? おまえがどんなに好きだろうが、親父にとっちゃ『くだらない、感心しない趣味』なのさ。にでもやめさせられるだろうし、俺たちにゃあ何の抵抗もできないだろうよ」

「それでも!」


 桐乃は真剣なツラで叫んだ。いつかおれが感心した、あの表情だ。


「あたしは、やめない。好きなのを、やめない。前にアンタに言ったじゃん。両方があたしなんだって。どっちか一つがなくなっちゃったら……やめちゃったら、あたしがあたしじゃなくなるの。たしかに、あたしは子供だし、おとうさんの言うことは聞かなくちゃいけないと思う。それが当たり前だし、抵抗なんてできないと思う。……でも、もしも、全部捨てられて……なくなっちゃっても。いままでのあたしが、なかったことになるわけじゃ、ないから。……だから、好きでいることだけは、絶対、やめない」


 ……だとさ。

 コレクションが全部捨てられても。

 ケータイやらパソコンを捨てられて、インターネットにつなげなくなっても。

 オタクはやめない。絶対やめない。だって好きなんだもん。

 どっちか一つがなくなったら、あたしがあたしじゃなくなるの──。


「……そっか」


 バッカだなあ──おまえ。本当、バカだよ。信じらんねーほどのバカ。アホ。

 アニメやエロゲーがそこまで大事か? そこまでかたくなにして、まもらなくちゃならないもんなのか? 俺にゃあ分からん。さっぱり、分からん。それは絶対、だれかに誇れるようなしゆじゃないってのに、どうしてそんなに大切にして、楽しんで、集まって、さわいでさあ。

 ああ──ったく……オタクってのは、みんな、こんなんなんかねえ……。

 だとしたら、やっぱり、俺が思ったとおりじゃねーか。


「悪くねえ」

「え?」


 きょとんとした妹に、俺は不敵なみで言ってやった。


「悪くねえって、言った。おまえがしたさっきの質問への、それが、俺の答えだ」


 どうしちまったんだろうな? おかしいぜ、今日きようの──いや、最近の俺は。普段ふだんの俺……つい先月くらいまでの俺なら、さっき、おやを止めようなんてほども思わなかったはずだ。

 大キレーでどうでもいい妹なんて、捜そうとも思わなかったはずだ。

 そして、こいつの痛々しい宣言聞いて、こんな気持ちになることもなかったはずだ──。

 チッ。舌打ちひとつ、俺は妙に吹っ切れた気分で、おもむろに立ち上がった。


「桐乃──」


 妹のツラ見て、親指で自分のツラをぐっと指差す。


「俺に任せろ」


 十七年の人生で、俺は、もっとも自分らしくない台詞せりふを吐いた。

 まるでこいつの、兄貴みてえに。


 ──なに言ってんだろうな、おれ。バッカじゃねーの?

 俺は帰途を急ぎながら、猛烈なけんと戦っていた。

 きりは店に置いてきた。一時間ったら帰ってくるよう、言い含めてある。一方的にしやべって、返事も聞かずに出てきたから、アイツが言うことを聞くかどうかは分からんが。

 どちらにせよ、家に帰る決心がつくまで、戻ってくるこたあないだろう。

 だから俺はその前に、おやと話をつけるつもりだ。


「へっ……」


 笑ってくれて構わないぜ。自分でもバカだと思うよ。本当にバカだと思うよ。

 何が『俺に任せろ』だ。あつくなっちゃってまー、恥ずかしいったらねえぜ。

 顔から火が出そうだよ。カッコつけてんじゃねーっての、地味ヅラのくせによ……

 これから俺は、分不相応にも、あの親父と対決しようってわけだ。

刊行シリーズ

俺の妹がこんなに可愛いわけがない(17) 加奈子ifの書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(16) 黒猫if 下の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(15) 黒猫if 上の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(14) あやせif 下の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(13) あやせif 上の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(12)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(11)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(10)の書影
アニメ『俺の妹』がこんなに丸裸なわけがないの書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(9)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(8)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(7)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(6)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(5)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(4)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(3)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがない(2)の書影
俺の妹がこんなに可愛いわけがないの書影