当たって砕けて、丸坊主にされる未来しか見えねえよ。
でもさあ! しょうがねえじゃんか!
『部屋にあるもん、全部捨てろ』『もうオタクなんてやめちまえ』
んなことアイツに言えるか! アイツの気持ちを知っちまった以上、そんなことを言うヤツは、この俺が許さねえよ! たとえそれが親父でもだ!
──確かに俺は、あのクソ生意気な妹のことが大っキレーだ。
あんなに非凡な登場人物は、俺の人生にゃあ必要ない。あっちも俺のことが嫌いみたいだし、折り合い付けて、お互いに無視していりゃあいい。
それらの点に関しちゃあ、最初っから、まったく意見は変わらないんだな。
あんなヤツはどうでもいい。本当に、心底、どうでもいい。
おかしいと思うか? ウソをついていると、矛盾してると思うか?
……どうだろうなあ。自分でも、今日の自分のこたあ、ちょっと分かんねえ。
全部が全部、本音ではあるんだが……もしかしたら、自分でも意識できてない何かが、あるのかもしれん。胸の内から湧き上がってくる妙な気持ちの正体だって、まだ判然としねえよ。
ああ、だから、いま分かってんのは一つだけだ。
桐乃は、一度だって、そんなふうに呼んでくれたことはないけどな……
俺は、あいつの兄貴なんだ。
大キレーだろうが、どうでもよかろうが、クソ生意気でかわいくなかろうが。
妹は、助けてやんなくちゃならんだろうよ。
そうだろう?
三十分後、俺はリビングの扉の前に立っていた。
片手に提げたバッグには、ちょっとした秘策が入れてある。帰途を走りながら、足りない脳味噌振り絞って、必死こいて考えたもんだ。
お袋にも手伝ってもらって、何とか思うとおりのものを揃えることができた。仕上げに、お袋には部屋に入って来ないよう言い含めておいて、準備完了。
が……正直なところ、これで上手くいく保証はなにもない。にべもなく跳ねつけられる可能性の方が、よっぽど高いだろうよ。
「へっ……」
だが、あえてやる。妹のためなんかじゃなく、そうしようと決めた俺自身のためにだ。
ちっくしょう! やるだけやってやるぜ!!
俺は気合も新たに、リビングへの扉を開けた。
つん、と薫る酒精の芳香。酒吞童子の屋敷にたどり着いた、源頼光の気分。
親父はソファに腰掛けて、おちょこで酒を吞んでいた。入ってきた俺に気付くや、ジロリとこちらを睨め付けてくる。
「京介、挨拶はどうした」
「た、ただいま」
無理無理無理無理! 洒落にならんて!? なんだよこのド迫力……。
ただでさえ極道ヅラだってのに、怒りが熟成されてきたせいか、さっきよりさらにとんでもない極悪ヅラになってやがる。
せっかく気合入れてきたってのに、んなもん一気に吹っ飛んじまったよ……。
俺は、肌がびりびりと粟立つのを止められなかった。ごくりと生つばを吞み込み、そーっとそーっと足を進める。とても親父の正面にゃ立てなかったね。
こっち向いてくれんなよ~と祈りながら、三メートルくらい離れた側面に立つ。
情けないと思ったか? フッ、これだから素人は困る……。実際にここに立ってみりゃ分かるって。空腹の猛獣が、すぐそばでグルグル唸ってるようなもんなんだ。これ以上、一歩たりとも近づきたくねえ。……もう、なんかね、バラしちゃうけど、スデに涙目なんすよ。
「お、親父……話がある」
声の震えを必死になって抑えながら、俺は切り出した。
親父は返事をせず、くい、と酒を口にした。
「桐乃は見付かったのか?」
「……ああ……話、してきたよ、アイツと」
「それで?」
俺に一瞥もくれずに、促してくる親父。正直、ありがたい。最終的にはきっちり目を見て訴えなきゃならんのだろうが、いまこの時点で目を合わせるのは避けたかったからだ。
恐いから。
「………………」
周囲の空気が、ずしりと重くなった。妙に暑く、息苦しい。なのに震えが止まらない。
嫌な汗が、顔面からだらだらと溢れ、顎の先からこぼれ落ちる。
「それで?」
もう一度、同じ言葉で促された。俺は、断崖絶壁から飛び降りるような気分で口を開く。
「桐乃の趣味を……認めてやって欲しい」
言った瞬間。錯覚なんだろうが、部屋の中が、しんと静まりかえった。
聞こえるのは自分の心臓の音と、荒い呼吸音のみ。
「京介」
低く、無感情な声で返事が来た。
「俺はさっき、『おまえが責任を持って捨てておけ。全部、一つ残らずだ』と言った。そして、おまえは、こう答えた。『分かった。桐乃と話して、必ず、そうする』。そうだな?」
「ああ」
「自分が口にしたことは守れ」
短く告げて、再び親父は黙り込んだ。……そうだな。親父の言うことは、正しいよ。間違ってんのは、どう考えたって俺の方さ。分かってる。
けどよ……ここで引くわけにゃあいかねーんだ。
「あれはなしだ」
「おまえは、一度口にした約束を破るのか? 俺が、いつ、そんなことを教えた?」
親父の言葉が、一つ、一つ、重く響く。俺は下唇に歯を立ててから、でかい声を張り上げる。
「知ったことかよ。アイツの趣味はやめさせねえし、隠してるブツも捨てさせねえ。たとえ道理を蹴っ飛ばしてでもだ。聞いてくれ、親父。俺が、そうしようと思った理由を」
「……言ってみろ。しつけるのは、それからにしてやる」
ひいっ。威勢のいい口叩いたけど、言ってる本人はマジ泣き入ってるぜ!
自分で自分の顔は見えねーけどさ、こんな情けないツラ晒してたら、たぶん話聞いてもらう前にブッ飛ばされてたわ。親父の正面に立たなくて、ホントによかった!
ヘッ、見たか素人ども、これが玄人の作戦よ!
……ふん。情けなさを増幅するのはこの辺にしておいて、だ。俺はTシャツで顔面を拭く。
「確かに……桐乃は、普通の女の子とは違う趣味を持っている。でも、いつも一緒にいるやつらの中にゃ、趣味が合うやつなんているわけがない」
一呼吸を置いて、先を続ける。
「……だからあいつはさ、自分と同じ趣味の友達を、見付けようとしてたんだ。……で、色々と探して、どうにか上手いこと見付けられて……初めて会うところまでこぎつけた」
「…………」
親父はかなりのペースで酒を吞みながら、俺の話を黙って聞いている。いまの俺は、自分の保身をまったく考えずに喋っているので、親父の中で死刑が確定していてもおかしくない。
無言の圧力が、ただただ恐ろしい。考えてみれば、親父にとっても今日は散々だ。
大切に育ててきた愛娘にゃあ『実はエロゲー大好きです』ってカミングアウトされるわ。
きっちり叱ってしつけ直そうとしたら、灰皿で撲殺されそうになるわ。
その上さらに、出来の悪い長男がしゃしゃり出てきて、べらべらと、けしからん趣味を擁護するようなことをくっ喋り始めるわ──。
そりゃあ、酒もぐいぐい吞むわな。本当に申し訳ない。心からそう思うよ。
いますぐ俺を殴りたいだろうが、もう少しだけ付き合ってくれ。
「……それが、ついこの間のことだ。今日、そんときにできた友達と、一緒にオフ会……趣味の会合に行ってきたんだ、アイツは。……親父も聞いただろ?」
「……ああ」
「で、くだらんって言ったんだってな。……頑張って友達見付けた桐乃に向かって……ふざけんなよ! よく知りもしねーのに、勝手に決めつけてんじゃねーよ!」