「悪影響しかねえ、くだらない趣味か?」
騒がしいお喋りがいまにも聞こえてきそうな……しかめっ面の中に本心が見え隠れしているような……そんな微笑ましい写真だった。少なくとも、俺にはそう見えた。
「親父は認めたくないのかもしれないがな──これがあいつが得たもんなんだよ!」
それは──
「このアルバムで家族と一緒に笑ってる桐乃も……モデルの仕事で、流行の服着て、格好良くポーズを決めてる桐乃も。オフ会でオタク友達と並んで、しかめっ面で騒いでる桐乃も──この全部が桐乃なんだよ! 全部があって、初めてアイツなんだよ! 一つでもかけたら、アイツじゃなくなっちまうんだよっ!」
いま俺が叫んだのは、いつか聞いた桐乃の言葉だ。
だけど俺は、あいつの代わりに言ってやったわけじゃない。
いま親父にぶつけたこれは、腹の底から湧き上がってきた、俺自身の言葉と感情だ。
胸ぐらを摑みあげて訴えた。
「いいか……! これを見て、まだアイツの趣味を認めねえってほざくんなら……! 桐乃の代わりに俺が親父をぶっ飛ばすぜ!? なんも知らねぇくせに、テキトー言ってんじゃねえよ!」
親父は厳然と俺を見据えたまま、ほんのわずかに……目を見張ったようだった。
やがて感情をまじえない声で、こう返事が来た。
「……おまえの話は分かった」
極道ヅラに血管が浮かび上がって、凄まじい形相になっている。
マジ鬼そのもの。胸ぐらを摑みあげている俺の方がひるんじまう。
「くだらんと言ったのは、ひとまず取り消してやる。確かに俺は、何も知らん。偏見でものを言ったことは、認める。いいだろう。おまえに免じて桐乃の趣味を許してやってもいい」
「……ほ、本当か!?」
俺はいま、親父に向かって自分の気持ちを全部ぶちまけた。
勢いまかせに叫ぶばかりで、筋道だった論旨なんざカケラもない、ぐちゃめちゃの嘆願。
それでも、必死に訴えかけりゃあ、伝わるもんはあったんだろう。
桐乃の趣味を許してやってもいい──この台詞を引き出せた時点で、この勝負は俺の勝ちだ。
しかし親父は、こう続けた。
「同じことを言わせるな。ただし一部だけだ。あのケースに入っていたような、いかがわしい代物は許すわけにはいかん。これは良い悪いの問題ではない。俺がそういったものに無知なのも、偏見を持っているのも関係ない。18禁という表記の意味を考えろ」
ついにこの台詞が来たか……。俺は親父の胸ぐらから手を離し、苦い顔で沈黙した。
親父の台詞は超正論ではある。18禁なんだから、そりゃあ18歳未満のヤツが持ってちゃまずいだろうよ。
だが仮にここで親父の言うとおりにしたなら……桐乃のコレクションの大半を捨てることになっちまう。それじゃ意味がねーんだ。
どう考えても、これは親父が正しい。正しいが……反論の余地はある。たぶんこの台詞が来るであろうことは、俺にも分かってたからな。一応……対応策くらい考えてあったさ。
「…………」
考えてあるんだけど……な。正直言って、これだけはやりたくなかった。
かつてない葛藤が、俺の中で荒れ狂っている。
本当に、いいのか? あんな妹のために、俺がそこまでしてやることがあるのか──と。
だが、今日の俺は、どこまでもおかしかった。ありえないほどいかれていた。
なもんだから……俺の脳味噌は、この方向性で突き進むことについて、是と承認したんだよ。
俺は言った。
「…………き、桐乃は年齢制限のあるモノなんて、持ってないぜ?」
以上の台詞を聞いた親父は、心を落ち着けようとしているかのように両目をつむり、目蓋を震わせている。そして突然、くわっと目を見開いた。
「ぐぇっ!」
俺は、襟首を引き千切る勢いで摑み上げられ、それから後頭部をメリッとロックされ、無理矢理DVDケースへと目を向かせられた。うぎぎ、超痛いっす。
ケースの中には例のブツ。燦然と輝く18禁の表記。
「貴様……この期におよんでウソを言うのか……!?」
「ち、違うんだって!」
俺はあいつらから何かを得て、変わった。バカになった。恥ずかしいやつになった。
だからこそ、こんなムチャクチャな策を実行しちまうんだろうよ。
「これは俺のなんだ!」
我ながら、生涯最悪の台詞だったね。
「だからこれは絶対桐乃のじゃねえ! 俺が預かってもらってた俺のもんなんだって! だったら捨てなくてもいいだろ!?」
もう二度と見られない光景だろうから、刮目するといいぜ。
デコに血管ビキビキ浮かべた悪鬼が、無表情で突っ込みを入れてくるところをな。
「……よく知らないが、これはパソコンに入れて遊ぶゲームなのだろうが……この家で、パソコンは……桐乃しか持っていないはずだ……」
お、思ったより詳しいじゃねえか……。俺の脳は、瞬時に言い訳を思いついた。
「そ、それは、桐乃にパソコン借りてやってたんだって!」
「……ほ、ほほう。……お、おま、おまえは妹の部屋で、妹のパソコンを使って、妹にいかがわしいことをするゲームをやっていたというんだな?」
「超面白かったぜ! 文句あっか!」
顔面をブッ飛ばされた。俺は盛大にスッ転がって、壁にぶつかった。
ドアホか俺は!? そこはせめてノーパソ借りて部屋でやったとか言っておけよ!?
「…………ぐうっ……うう……」
視界がチカチカしやがる。口の中に血の味が広がっていく。ぐらんぐらん頭痛がして、意識が急速にぼやけていく。あ、も、ダメだな……コレ……死んだかも……。
だが、まだだ。ここで終わってたまるかよ……!
俺は、ぶったおれたままキッと顔を上げ、涙ながらに訴える。
さあ聞くがいい……! 俺の聖人のごとき、清らかなる言い訳を──!
「とにかく、アレは俺のなんだって! 高校生だって、18禁のエロ本くらい持ってたっていいだろ!? お袋だって、ベッドの下のコレクション、持ってていいって認めてくれてるもん! そのゲームだってエロ本と同じようなもんだろが! なんか違いがあんのかよ!? えぇオイっ! ねーよなぁ!? だからゼッテー捨てねぇ──よ! ふへアはは! 誰になんと言われようがな、命を懸けて護り抜くぜ! よっく聞けよ、親父。俺はなあ、アニメも、エロゲーも、超・大・好き・だぁ────っ! 愛していると言ってもいいね! こいつを捨てられたら、俺は俺じゃなくなっちまうんだよ! エロゲーは俺の魂なんだよ……っ!」
俺は最後の力を振り絞り、ヤケクソ混じりに叫んだ。
「分かったかぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ──────っ!」
魂の叫びをその身に受けた親父は、立ちくらみを起こしたようによろめいた。
「こ、この……この……」
頭部に強烈な一撃を見舞われたかのようにこめかみを押さえ、
「バカ息子が!! 勝手にしろ!! 俺はもう知らん!!」
かつてない大絶叫! ここまでブチキレた親父を見たのは生まれて初めてだ。
だが、俺を殺すつもりはないらしい。はぁはぁと肩を上下させていた親父は、くるっと背を向けて、足音を立てて去っていく。
よし、勝った。俺は鼻血まみれの顔面を押さえ、にやりと笑みを浮かべる。
フッ……どーよ、桐乃……おまえのコレクション……一つ残らず護ってやったぜ?
へっへっへっ……まったくしまらねえ、俺らしい顚末だけどな。
高坂家を賑わせた騒動が一件落着した、翌日の朝。