ストライク・ザ・ブラッド1 聖者の右腕

第一章 魔族特区 Demon Sanctuary ①

1


 あかねいろに染まりかけた西の空から、強烈なしがそそいでいる。


「熱い……焼ける。げる。灰になる……」


 午後のファミレス。まどぎわのテーブル席にぐったりと突っ伏して、あかつきじようが弱々しくうめく。

 制服姿の高校生である。った白いパーカーを除けば、特徴というべきものはあまりない、どこにでもいそうな男子生徒だ。それなりに造りのいい顔にはだるげな表情が浮かび、眠たげに細められた目のせいで、ふてくされたようなふんになっている。

 八月最後の月曜日だった。天気は快晴。外気温は人間の体温をとっくに超えており、夕焼けが広がる時間になっても、いっこうに下がる気配がない。フルどうしているエアコンも、店の奥にいる古城の席まで冷気を届かせる余裕はないらしい。

 うすっぺらいブラインドを突き抜けてくる殺人的な量の紫外線を浴びながら、古城は、テーブルに広げた問題集を気怠くにらみつけている。


「今、何時だ?」


 古城のくちびるかられたのは、ひとごとのようなつぶやきだった。正面の席に座っていた友人の一人が、笑いを含んだ口調で返事をする。


「もうすぐ四時よ。あと三分二十二秒」

「……もうそんな時間なのかよ。明日の追試って朝九時からだっけか」

「今夜いつすいもしなけりゃ、まだあと十七時間と三分あるぜ。間に合うか?」


 同じテーブルに座っていたもう一人が、他人ひとごとのような気楽な声でいてきた。古城はちんもく。積み上げられた教科書を無表情にしばらくながめる。


「なあ……こないだからうすうす気になってたんだが」

「ん?」

「なんでおれはこんな大量に追試を受けなきゃなんねーんだろうな?」


 自問するような古城の呟きを聞いて、友人二人が顔を上げた。

 古城が追試を命じられたのは、英語と数学二科目ずつを含む合計九科目。プラス、体育実技のハーフマラソン。夏休み最後の三日間に、そんな目にう人間はたしかに少ない。


「──ってか、この追試の出題範囲ってこれ、広すぎだろ。こんなのまだ授業でやってねーぞ。おまけに週七日補習ってどういうことだ。うちの教師たちは俺になんか恨みでもあるんか!!」


 少年の悲痛な叫びを聞いて、友人たちは互いの顔を見合わせる。同じ学校の制服を着た男子と女子が各一名。彼らの表情には、なにを今さら、とあきれたような感想が浮かんでいる。


「いや……そりゃ、あるわな。恨み」


 シャーペンをくるくると回しながら答えたのは、短髪をツンツンにさかてて、ヘッドフォンを首にかけた男子生徒だった。もとというのが彼の名前だ。


「あんだけ毎日毎日、平然と授業をサボられたらねェ。められてるって思うわよね、フツー……おまけに夏休み前のテストも無断欠席だしィ?」


 ゆうつめの手入れなどしながら、あいあさが笑顔で言ってくる。

 華やかな髪型と、校則ギリギリまで飾り立てた制服。センスがいいのか、それでも不思議とけばけばしい印象はない。とにかく目立つ容姿の女子である。

 だまっていれば文句なく美人なのだが、常に浮かべているニヤニヤ笑いのせいか、色気はなかった。男友達と一緒にいるような気安さを感じてしまうのもそのせいだ。


「……だから、あれは不可抗力なんだって。いろいろ事情があったんだよ。だいたい今のおれの体質に朝イチのテストはつらいって、あれほど言ってんのにあの担任は……」


 いらついた口調でじようが言い訳する。その目がかすかに血走っているのは、怒りのせいではなく、単に寝不足なのである。


「体質ってなによ? 古城って花粉症かなんかだっけ?」


 浅葱が不思議そうにいてくる。古城は、自分の失言に気づいてくちびるゆがめ、


「ああ、いや。つまり夜型っていうか、朝起きるのが苦手っつうか」

「それって体質の問題? 吸血鬼でもあるまいし」

「だよな……はは」


 引きった笑顔で言葉をにごす古城。この街では、吸血鬼はめずらしい存在ではない。花粉症患者なみにありふれた連中で、そのことが今の古城にとっては、逆に問題だったりする。


「あたしはつきちゃん好きだけどね。いいセンセーじゃん。出席日数足りてないぶん、補習でチャラにしてくれたんでしょ」


 ズズ、と音を立ててジュースをすすりながら浅葱が言った。まァな、と古城も同意する。


「それにあたしも、あんたをあわれに思ったから、こうして勉強を教えてあげてんだし」

「他人の金でそんだけ好き勝手に飲み食いしといて、そういう恩着せがましいことを言うな」


 浅葱の前に積み上げられた料理の皿を、恨みがましい目つきで古城はながめる。ほっそりした身体からだのどこに入るのかしらないが、浅葱は非常識なまでのおおらいなのだった。勉強を教えてやるからメシをおごれ、と彼女に言われたときに、そのことを忘れていたのが悔やまれる。


「言っとくけど浅葱のメシ代になったのは俺の貸した金だからなー。ちゃんと返せな、古城」


 矢瀬が冷静な声で指摘する。金持ちの息子のくせに、こういうところで妙に細かい。


「わかってるよ、ちくしよう……おまえらそれでも温かい血の通った人間か」

「いやいや、借りた金をみ倒そうと思ってるやつのほうが、どう考えても悪者だろ……あと、それ。血が温かいだの冷たいだのってのは、差別表現だからな。気をつけろよ」


 とりあえず、この島の中じゃな、と矢瀬が皮肉っぽく笑って言った。


「面倒な世の中だな……べつに気にしてないだろうに」


 少なくとも、と口の中だけでつぶやき、じようは投げやりなためいきをつく。


「あー……もう、こんな時間? んじゃ、あたし、行くね。バイトだわ」


 携帯電話をながめていたあさが、残っていたジュースを一息で飲み干して立ち上がった。古城はそんな彼女を見上げ、


「バイトって、あれか? 人工島ギガフロート管理公社の……」

「そそっ。保安部のコンピュータの保守管理メンテナンスってやつ。割がいいのさ」


 浅葱は、空中でキーボードをたたくようなぐさをしてみせたあと、じゃね、と手を振って店を出て行った。まるでスーパーのレジ打ちにでも行くような気楽な口調だが、管理公社の保安部は一般人がおいそれと出入りできるような場所ではない。


「いつも思うんだが、あの見た目と性格で天才プログラマーってのは反則だよなあ。いまだに信じられんっつか……たしかに成績は、ガキのころからぶっちぎりでよかったんだが」


 浅葱の後ろ姿を見送りながら、がだらしなくほおづえをつく。

 矢瀬と浅葱は、小学生になる前からの古い知り合いなのだという。十年以上前からこの島で暮らしている彼ら二人は、古城たちの世代では、もっとも古くからのいとがみ市の住人ということになる。人工の島の上に造られたこの街は、完成してまだ二十年もっていないのだ。


おれは試験勉強さえ手伝ってもらえるならなんでもいい」


 古城は顔も上げずに言う。矢瀬はそんな古城を観察しながら、なにない口調を装って、


「そういや、浅葱が他人に勉強を教えるなんて意外だったな。あいつ、そういうの嫌いだから」

「嫌いって? なんで?」

「頭がいいとかガリ勉とか思われるのがいやなんじゃね。ああ見えて、ガキのころにはけっこう苦労してんだ、あいつも」

「へえ……それは知らなかったな」


 ややこしい因数分解の問題に苦悩しながら、古城がない口調で言う。

 古城が絃神市に引っ越してきたのは四年前。中学入学直後のことである。矢瀬たちとはそれから間もなく知り合って、それ以降、たまにつるんで行動するようになった。きっかけはもう覚えていないが、最初に声をかけてきたのは、浅葱だったような記憶がある。


「あいつ、俺には文句言わずに教えてくれるけどな。今回は宿題もだいぶ写させてもらったし」

「ほほう。そいつは不思議だなあ。なんで古城だけ特別なんだろうなあ。気になるよなあ?」


 大げさに首をかしげながら、わざとらしく呟く矢瀬。

 しかし古城は、いやべつに、と首を振り、


「だってあいつ、きっちり見返り要求してんじゃん。メシおごらされたり、日直やらそう当番やら押しつけられたりで、こっちだって苦労してんだからな」

「そ、そうか」


 らくたんしたように肩を落として、だめだこいつら、と目元をおおう。友人のそんな不審な挙動に、じようはのろのろと顔を上げ、


「どうかしたか?」

「いや、なんでもねえ。じゃあ、そろそろおれも帰るわ」

「あ?」

「いやいや。宿題も写し終わったし、あさがいなきゃ、こんなとこで勉強しても意味ねえだろ。俺の追試は一教科だけだから、今夜一晩あればどうにかなるしな。まあ、おまえはせいぜい頑張ってくれ」


刊行シリーズ

ストライク・ザ・ブラッド APPEND5の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND4の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND3の書影
ストライク・ザ・ブラッド22 暁の凱旋の書影
ストライク・ザ・ブラッド21 十二眷獣と血の従者たちの書影
ストライク・ザ・ブラッド20 再会の吸血姫の書影
ストライク・ザ・ブラッド19 終わらない夜の宴の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND2 彩昂祭の昼と夜の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND1 人形師の遺産の書影
ストライク・ザ・ブラッド18 真説・ヴァルキュリアの王国の書影
ストライク・ザ・ブラッド17 折れた聖槍の書影
ストライク・ザ・ブラッド16 陽炎の聖騎士の書影
ストライク・ザ・ブラッド15 真祖大戦の書影
ストライク・ザ・ブラッド14 黄金の日々の書影
ストライク・ザ・ブラッド13 タルタロスの薔薇の書影
ストライク・ザ・ブラッド12 咎神の騎士の書影
ストライク・ザ・ブラッド11 逃亡の第四真祖の書影
ストライク・ザ・ブラッド10 冥き神王の花嫁の書影
ストライク・ザ・ブラッド9 黒の剣巫の書影
ストライク・ザ・ブラッド8 愚者と暴君の書影
ストライク・ザ・ブラッド7 焔光の夜伯の書影
ストライク・ザ・ブラッド6 錬金術師の帰還の書影
ストライク・ザ・ブラッド5 観測者たちの宴の書影
ストライク・ザ・ブラッド4 蒼き魔女の迷宮の書影
ストライク・ザ・ブラッド3 天使炎上の書影
ストライク・ザ・ブラッド2 戦王の使者の書影
ストライク・ザ・ブラッド1 聖者の右腕の書影