ストライク・ザ・ブラッド1 聖者の右腕

第一章 魔族特区 Demon Sanctuary ②


 じゃあな、と荷物をまとめて立ち上がる友人を、古城はぽかんと間の抜けた顔で見上げる。

 どうやら矢瀬は、どさくさにまぎれて、自分のぶんの宿題をちゃっかり写し終えていたらしい。

 一方、古城のぶんの宿題は、ほとんどまるまる手つかずのままだ。追試の準備でそれどころではなかったのだから、当然といえば当然だが、見せつけられた圧倒的な格差は、すでにがけっぷちにいた古城の心をたたき折るのに十分だった。


「やる気なくすぜ……」


 ファミレスに一人取り残されて、古城は再びテーブルに突っ伏した。

 そういえば腹も減っていた。しかし今の古城の財布には、料理を追加注文するほどの余裕はない。ドリンクバーの炭酸水で空腹をごまかすのもそろそろ限界だ。

 、ワインやらトマトジュースやらだけ飲んでいればいいようなイメージがあるのだが、実際は普通に腹が減るしメシも喰う、というのは、なにやらだまされたような気分だった。とりあえず昼間でも眠いだけで普通に活動できるのは助かるが。

 古城は、真っ白なままの問題集をぼんやりとながめる。

 ふと、なにかの授業で聞かされた話を思い出す。様々な進化をげた生物の中で、生き残る可能性がもっとも高いのは種族であり、したがって現在生き残っているものたちは、その最適者の子孫である──とかいう学説があるのだそうだ。

 適者生存だの、自然選択だのと呼ばれているリクツである。

 そんな単純でいいのかと思わなくもないが、なるほど、実によくわかる話だ。

 逆に言えば、自然とうされた生物とは、環境に適応できなかった種族ということになる。

 はるかな古代、神のごとき力を手に入れた英雄、超人がいたとして、彼らのような異能の力を持った種族が生き残らなかったのも、同じ理屈で説明がつく。

 彼らは、周囲の環境に適応できなかったのだ。

 あかつき古城にはそれがよくわかる。

 どれほど力が強くても、がんじような肉体を備えていても、と呼ばれていても、そんな能力は、現代社会においては役に立たない。

 追試の試験範囲の、うすっぺらい問題集一冊も、終わらせることができないのだから──


おれも帰るか……なぎのやつが、メシのたくを忘れてないといいんだが」


 じようはそうつぶやくと、教科書と問題集をカバンに放りこみ、伝票をつかんで立ち上がった。

 レジで精算を済ませると、もとから残念な感じだった財布の中には、わずかな小銭しか残らなかった。このままでは明日からの昼食代にもことく始末である。

 妹に金を貸してもらうためには、どういう言い訳をするべきか──そんなことを真剣に考えながら、古城は店の出口に向かった。そしてふと足を止めた。まばゆゆうに目を細める。

 ファミレスの正面。交差点の向かい側。

 逆光の中に一人の少女の姿があった。

 黒いギターケースを背負った制服姿の女子生徒だ。

 彼女は、太陽を背にして無言で立っていた。

 まるで古城を待ち構えていたかのように、身じろぎもせずそこに立ち続けていた。


2


 いとがみじまは、太平洋のド真ん中、東京の南方海上三百三十キロ付近に浮かぶ人工島だった。ギガフロートと呼ばれる超大型浮体式構造物を連結して造られた、完全な人工の都市である。

 総面積は約百八十平方キロメートル。総人口は約五十六万人。行政区分上は東京都絃神市と呼ばれているが、実体は独立した政治系統を持つ特別行政区だ。

 暖流の影響を受けた気候はおだやかで、真冬でも平均気温は二十度を超える。

 熱帯に位置する、いわゆるとこなつの島である。

 だが、この島の主要産業は観光ではない。

 それどころか島への出入りには厳重な審査があり、ただの観光客が訪れることはあり得ない。

 絃神市は学究都市だ。製薬、精密機械、ハイテク素材産業などの、日本を代表する大企業、あるいは有名大学の研究機関が、この島にはひしめき合っている。

 それは日本本土から遠くはなれたこの人工島でだけ、ある分野の研究が認められているからだ。

 ぞく特区。

 それが絃神市に与えられた、もうひとつの名前である。

 じゆうじんせいれいはんようはん、人工生命体、そして吸血鬼──この島では、自然かいえいきようや人類との戦いによって数を減らし、ぜつめつの危機にひんした彼ら魔族の存在が公認され、されている。そして彼らの肉体組織や特殊能力をかいせきし、それを科学や産業分野の発展に利用する──絃神市はそのために造られた人工都市なのだ。

 島の住民の大半は、研究員とその家族、および市が認めた特殊能力者である。

 その中には、当然、研究の対象となる魔族たちも含まれる。特区の運営に協力する魔族には、その見返りとして市民権が与えられ、人類と同様に、学び、働き、暮らすことが許される。

 いとがみ市は、いわばぞくと人類が共に生活するためのモデル都市──

 あるいは、壮大な実験室のおりなのだった。


「──にしても、この暑いのだけは勘弁してくんねえかな、くそっ」


 パーカーのフードをぶかかぶって、しに精いっぱい抵抗しながら、じようは悪態をつく。

 高温多湿のこの島では、温度計の数値以上に体感気温が高い。真夏の海面で温められた風は、ある意味、砂漠の熱風よりタチが悪い。吸血鬼が太陽に弱い、などという前に、普通の人間にとっても相当こくな環境だ。

 ファミレスから古城の自宅までは、市内を走るモノレールで十五分ほどのきよだった。だが、なけなしの小銭を消費しないためにも、古城には歩くというせんたくしか残されていない。じりじりと肌をがすような夕陽を浴びながら、彼は、海沿いのショッピングモールを歩いている。

 そしてなにないぐさで背後を確認し、おもしろくなさそうに鼻を鳴らした。


けられてる……んだよな?」


 古城から十五メートルほどはなれた後方を、一人の少女が歩いている。ファミレスから出てきたときに見かけた、ベースギターのギグケースを背負った少女である。

 彼女が着ているのは、あさのものと同じさいかい学園の女子の制服だ。えりもとがネクタイではなくリボンになっているということは、中等部の生徒なのだろう。

 見覚えのない顔だった。れいな顔立ちをしているが、どことなく人にれない野生のネコに似たふんがある。短いスカートに慣れていないのか、ときたま動きが無防備で危なっかしい。

 彼女は古城から一定の距離を保ったまま、歩調を合わせて歩いていた。古城が立ち止まると彼女も足を止め、街路樹の後ろに隠れたりもする。かといって、声をかけてくる気配もない。明らかに尾行されている。しかも本人は古城に気づかれていないつもりらしい。


「……なぎの知り合いか?」


 いくつかの可能性を検討して、古城はそういう結論に達した。

 あかつき凪沙は古城の一歳違いの妹で、彩海学園中等部の生徒でもある。見知らぬ中学生が古城になにか興味を持つとしたら、妹の関係者というセンがのうこうだ。

 ただそれにしては少女が声をかけてこない理由がわからない。この炎天下での尾行ごっこは、決して楽ではないだろうに。

 いや、正直に言えばもうひとつだけ、古城が見知らぬ人物にけ回される理由がないこともなかった。だがそれは、あまり考えたくない可能性である。


「様子……見てみるかな」


 そう言って古城は、たまたま目についたショッピングモールへと入っていった。目的地は、モールの入り口近くにあるゲームセンターだ。ギターケース少女がどういうつもりでけてくるのか知らないが、古城が店に入ってしまえば、なにかしらの動きがあるだろうと思ったのだ。

 そして事実、少女は明らかに動揺した様子だった。自分の姿を隠すことも忘れて、ほうに暮れたように店の前で動きを止めている。

 じようの姿を見失うのは避けたいが、かといって店内に入ってしまえば、古城とばったり顔を合わせる可能性が高くて、それも困る。そのようなかつとういたばさみになっているのだろう。

 いや、正確にはもっと単純に、ゲームセンターなどというを警戒している。そんなふうにも見えた。

 夕暮れ時、さびれたショッピングモールの前に一人立ち尽くす少女の姿は、ずいぶんはかなげで頼りなく感じられる。クレーンゲームのきようたいごしにそれを観察しながら、古城は、自分がなにかひどいことをしているような罪悪感におそわれた。


「…………」


 はあ、と長いためいきをついて、古城は仕方なく通路に出る。ずっと隠れてばかりもいられないだろうし、自分のほうから彼女に声をかけてみようと思ったのだ。


刊行シリーズ

ストライク・ザ・ブラッド APPEND5の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND4の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND3の書影
ストライク・ザ・ブラッド22 暁の凱旋の書影
ストライク・ザ・ブラッド21 十二眷獣と血の従者たちの書影
ストライク・ザ・ブラッド20 再会の吸血姫の書影
ストライク・ザ・ブラッド19 終わらない夜の宴の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND2 彩昂祭の昼と夜の書影
ストライク・ザ・ブラッド APPEND1 人形師の遺産の書影
ストライク・ザ・ブラッド18 真説・ヴァルキュリアの王国の書影
ストライク・ザ・ブラッド17 折れた聖槍の書影
ストライク・ザ・ブラッド16 陽炎の聖騎士の書影
ストライク・ザ・ブラッド15 真祖大戦の書影
ストライク・ザ・ブラッド14 黄金の日々の書影
ストライク・ザ・ブラッド13 タルタロスの薔薇の書影
ストライク・ザ・ブラッド12 咎神の騎士の書影
ストライク・ザ・ブラッド11 逃亡の第四真祖の書影
ストライク・ザ・ブラッド10 冥き神王の花嫁の書影
ストライク・ザ・ブラッド9 黒の剣巫の書影
ストライク・ザ・ブラッド8 愚者と暴君の書影
ストライク・ザ・ブラッド7 焔光の夜伯の書影
ストライク・ザ・ブラッド6 錬金術師の帰還の書影
ストライク・ザ・ブラッド5 観測者たちの宴の書影
ストライク・ザ・ブラッド4 蒼き魔女の迷宮の書影
ストライク・ザ・ブラッド3 天使炎上の書影
ストライク・ザ・ブラッド2 戦王の使者の書影
ストライク・ザ・ブラッド1 聖者の右腕の書影