だが、間の悪いことに、ギターケース少女のほうでも同じことを考えていたらしい。
古城が外に出ようとした瞬間、意を決したような表情で店に入ってきた彼女と、入り口でばったり鉢合わせる。
古城たちはしばらくの間、互いに無言で見つめ合う。どうにか先に反応したのは、ギターケース少女のほうだった。
「だ……第四真祖!」
彼女は上擦った声でそう叫ぶと、重心を落として身構えた。
間近で見ても綺麗な少女だったが、そのぶん古城の落胆は大きかった。
彼女が古城を尾行していた理由は、今のひと言でよくわかった。この中学生は、第四真祖と呼ばれる吸血鬼を探していたわけだ。真祖の命を狙う魔族や賞金稼ぎというわけでもなさそうだが、なんにしても面倒な相手には違いなかった。第四真祖という名前で古城を呼ぶ連中に、ろくな人間がいたためしはない。
どうしたもんかな、と古城は一瞬だけ黙考し、
「オゥ、ミディスピアーチェ! アウグーリ!」
そして唐突に大げさなアクションで両腕を広げた。
うろ覚えの外国語で叫ぶ古城を、ギターケース少女は呆然と見上げる。
「は?」
「ワタシ、通りすがりのイタリア人です。日本語、よくわかりません。アリヴェデルチ! グラッチェ!」
早口でそう喚き散らして、古城はその場から逃げようとした。硬直している少女の横をすり抜け、店を出る。と、その直後、
「な……!? 待ってください、暁古城!」
ハッと我に返った少女が、はっきりと古城の名前を呼んだ。
古城はうんざりと顔をしかめて振り返る。世界最強の吸血鬼、などという非常識な肩書きを古城が受け継いだのは、ほんの三カ月ばかり前のこと。ひた隠しにしている努力が実って、その事実を知る者は多くない。
少なくとも現在、この絃神市で、暁古城が第四真祖であることを知っているのは、古城本人以外には一人しかいないはずだった。
「誰だ、おまえ?」
古城が警戒心もあらわに少女を睨む。
少女は、生真面目そうな瞳で古城を見返し、少し大人びた硬い声で答えた。
「わたしは獅子王機関の剣巫です。獅子王機関三聖の命により、第四真祖であるあなたの監視のために派遣されて来ました」
は、と古城は、気の抜けた顔で少女の言葉を聞いた。彼女がなにを言っているのかさっぱりわからない。獅子王機関。剣巫。三聖。初めて聞く言葉ばかりだった。
ただ厄介事の予感だけはひしひしと伝わってくる。
どう対応するべきか激しく迷い、結局、古城はなにも聞かなかったことにしようと思う。
「あー……悪ィ。人違いだわ。ほかを当たってくれ」
「え? 人違い? え、え……?」
少女が困惑したように視線を彷徨わせた。人違いという古城の出任せを、本気で信じてしまったらしい。案外、素直な性格なのかもしれない。
その隙に立ち去ろうと背中を向けた古城を、少女が慌てて呼び止める。
「ま、待ってください! 本当は人違いなんかじゃないですよね!?」
「いや、監視とか、そういうのはホント間に合ってるから。じゃあ、俺は急いでるんで」
古城はぞんざいに手を振って、その場から急ぎ足で離れていく。
ギターケースを背負った少女は、混乱したような表情のまま、その場に呆然と立ち尽くしていた。人違いだと言い張ったのが功を奏したのか、どうやら尾行を諦めてくれたらしい。とはいえ、彼女の正体も謎のままだし、根本的な解決にはなったわけではない。が、追試の前日に面倒事に巻きこまれるよりは、いくらかマシだった。
ショッピングモールの出口まで辿り着いたところで、古城は、少女がついてこないことを、もう一度確認しておこうと振り返る。そして、そこで目にした光景にぎょっと目を剝いた。
さっきのギターケース少女の行く手を遮るようにして、見知らぬ男の二人組が立っていた。年齢は二十歳前後だろうか。派手に染めた長髪に、あまり似合っていないホスト風の黒スーツ。わかりやすく軽薄そうな男たちである。
「──ねえねえ、そこの彼女。どうしたの? 逆ナン失敗?」
「退屈してるんなら、俺たちと遊ぼうぜ。俺ら、給料出たばっかで金持ってるから──」
風に乗って途切れ途切れに、男たちの声が聞こえてくる。古城と離れたギターケース少女のことを、ナンパしようとしているらしい。
少女は冷ややかな態度で男たちを追い払おうとしたが、そのせいか、少々険悪な雰囲気になっていた。男の一人が荒っぽい声で怒鳴り、少女が刺々しい表情で言い返すのが見える。
「……いい歳こいて、中学生に手ェ出してんじゃねえよ……オッサンたち」
古城の顔に焦りの色が浮く。ほっとくべきかとも思ったが、あの少女は、第四真祖の存在を知って、古城のことを尾け回していたのだ。万が一、騒ぎが大きくなって警察沙汰にでもなったときに、古城にとばっちりが来ないとも限らない。
そして古城が焦る理由は、もうひとつある。男たちが手首に嵌めている、金属製の腕輪の存在だ。生体センサや魔力感知装置、発信器などを内蔵した魔族登録証。それを持っている彼らは普通の人間ではない。魔族特区の特別登録市民。すなわち人外。魔族だ。
腕輪をつけた登録魔族が、人間に危害を加えることはあまりない。そんなことをすれば、たちまち特区警備隊の攻魔官たちが大挙して押し寄せてくることになる。だから、今すぐに少女の身が危険ということではない。
問題は、第四真祖の正体が、彼女の口から洩れる可能性があることだ。
そうになれば暁古城の名前は、たちまち魔族たちの間に知れ渡るだろう。そして当然、彼らの中から、古城を仲間に引きこもうとする者や、研究対象にしようとする者、あるいは殺して名を上げようとする者が出てくるに違いない。いずれにしても、古城の平穏な暮らしは、終わりを告げることになるだろう。そうなる前に、なんとかこの場を丸く収める必要がある。
古城は深々と嘆息し、ギターケース少女のほうに駆け戻ろうとした。
彼女の制服のスカートが、ふわりとめくれ上がったのは、その直後だった。
お高くとまってんじゃねえ、というような意味の暴言を吐いて、男たちのどちらかが少女のスカートをめくったのだ。そこに出現したパステルカラーのチェックの布きれを視界に収めて、古城は思わず硬直する。そして、
「若雷っ──!」
少女が柳眉を逆立てて呪文を叫び、次の瞬間、彼女のスカートに手をかけていた男の身体が、トラックに撥ねられたような勢いで吹っ飛んだ。
3
おそらくは掌底だったのだと思う。
だが実際になにが起きたのか、古城にも正確に理解できたわけではない。わかっているのは、小柄な少女が突き出した腕が、男を一撃で吹き飛ばしたということだけだった。
魔力の流れは感じなかった。精霊たちが動いた気配もない。可能性があるとすれば、気功や仙術の類だろう。いずれにしても、あの少女が相当な使い手であるのは間違いなかった。
もしかしたらあの少女は、見た目よりも長く生きているのかもしれない、と想像して、いや、それはないな、と古城はすぐに思い直す。あんな可愛らしいパンツをはいた長命種は、たぶんいない──いないはず。
吹き飛ばされた男は、どうやら獣人種らしかった。いわゆる狼男や、その仲間である。それほど強力な個体ではなさそうだが、それでも彼らの筋力や打たれ強さは、人間の比ではない。それが華奢な少女の一撃を喰らって、壁に叩きつけられたきり動けないでいる。
「このガキ、攻魔師か──!?」
呆気にとられていたナンパ男の片割れが、ようやく我に返って怒鳴った。
攻魔師とは、魔術師や霊能力者などの、魔族に対抗する技術を身につけた人間の総称である。