軍人や警察の特殊部隊員、民間の警備会社の社員、あるいはそれ以外の組織に雇われている者──彼らの身分は様々で、使用する技術体系も千差万別だ。だが、いずれにしても、彼らが魔族にとっての天敵であるのは間違いない。魔族を狩ることだけを生業にしている、殺し屋のような攻魔師だって少なくはないのだ。
もちろん魔族特区であるこの絃神市では、彼ら攻魔師の活動も厳重に制限されている。少なくとも道端で女の子に声をかけた程度で、いきなり攻撃されることなどあり得ない。
だが、あまりにも突然の出来事で、男も動揺していたのだろう。
恐怖と怒りに表情を歪ませ、魔族としての本性をあらわにする。真紅の瞳。そして牙。
「D種──!」
少女が表情を険しくしてうめいた。D種とは、様々な血族に分かれた吸血鬼の中でも、特に欧州に多く見られる〝忘却の戦王〟を真祖とする者たちを指す。人々が一般的にイメージする吸血鬼にもっとも近い血族である。
どうする、と古城は困惑する。
普通に考えれば、吸血鬼に襲われている少女を助けるべきなのだろう。が、どうやら彼女も、ただの中学生というわけではないらしい。
そもそも彼女は、古城のことを尾け回していたのだ。最悪、彼女は古城の敵。攻魔師として古城を狙っていた、という可能性もゼロではない。
だがしかし、このまま彼女を放っておくわけにもいかない。
相手は、ただの魔族ではない。吸血鬼だ。彼女がどれほど優れた攻魔師でも、たった一人でまともにやりあって、吸血鬼に勝てるとは思えない。
いくら日没前とはいえ、吸血鬼には常人を遥かに超える身体能力と、魔力への耐性。そして凄まじい再生能力がある。そして、彼らにはもうひとつ、魔族の王と呼ばれるに相応しい圧倒的な切り札があるのだ。
「──灼蹄! その女をやっちまえ!」
吸血鬼の男が絶叫し、その直後、男の左脚からなにかが噴き出した。
それは鮮血に似ていたが、血ではなかった。陽炎のように揺らめく、どす黒い炎だ。
その黒い炎は、やがて歪な馬のような形をとって現れた。
甲高い嘶きが大気を震わせ、炎を浴びたアスファルトが焼け焦げる。
「こんな街中で眷獣を使うなんて──!」
少女が怒りの表情で叫んだ。
男が左手に嵌めた腕輪が、攻撃的な魔力を感知して、けたたましい警告を発している。ショッピングモールに、来場者の避難を促すサイレンが鳴り響く。
眷獣。そう、男が喚び出した怪物は、眷獣と呼ばれる使い魔だった。
吸血鬼は自らの血の中に、眷属たる獣を従える。
その眷獣の存在こそが、攻魔師たちが吸血鬼を恐れる理由である。
吸血鬼は、たしかに強大な力を持った魔族だ。
だが怪力も敏捷さも、生来の特殊能力でも、吸血鬼を凌ぐ魔族はいくらでも存在する。にもかかわらず、なぜ吸血鬼だけが魔族の王として恐れられているのか──
その答えが眷獣なのだった。
眷獣の姿や能力は様々だ。だが、もっとも力の弱い眷獣でさえ、最新鋭の戦車や攻撃ヘリの戦闘力を凌駕する。〝旧き世代〟の使う眷獣ともなれば、小さな村を丸ごと消し飛ばすような芸当も可能だといわれている。
若い世代であるナンパ男の眷獣には、当然そこまでの能力はない。だが、この灼熱の妖馬がそこらを走り回るだけで、このショッピングモールが壊滅するくらいの被害は出るだろう。
そんな危険な召喚獣が、たった一人の少女に向かって放たれたのだ。
宿主である男自身、実験場以外の場所で、生身の人間に向かって眷獣を使ったことはないのだろう。彼の表情は恐怖に引き攣り、逆流した魔力に酔っているようにも見えた。
制御を解き放たれた眷獣は、半ば暴走状態になって、周囲の街路樹を薙ぎ払い、街灯の鉄柱を融解させている。それはまさに意志を持つ破壊的なエネルギーの塊だった。それが近くをかすめただけでも、人間の身体など一瞬で消し炭に変わるだろう。
にもかかわらず、少女の顔に恐怖の色は浮かんでいなかった。
「雪霞狼──!」
背負ったままのギターケースから、少女がなにかを抜き放つ。
それは楽器などではなく、冷たく輝く銀色の槍だった。
槍の柄が一瞬でスライドして長く伸び、同時に、格納されていた主刃が穂先から突き出した。まるで戦闘機の可変翼のように、穂先の左右にも副刃が広がる。洗練された近代兵器のような外観である。
だが、それが原始的な刺突武器であるのは間違いない。爆発的な炎を撒き散らす眷獣相手に、対抗できるとは思えない。それどころか、少女の小柄な体格では、まともに振り回せるかどうかも怪しいものだ。しかし少女は醒めた瞳で、迫り来る眷獣を冷ややかに睨んでいる。
フッ、と彼女の唇から静かな呼気が洩れる。
二メートル近くにも伸びた美しい槍を、少女は軽々と操って、暴れ狂う炎の妖馬へと突き立てた。しかし妖馬の突進は止まらない。
吸血鬼の眷獣とは、意志を持って実体化するほどの超高濃度の魔力の塊。すなわち魔力そのものである。一度放たれた眷獣を止めるには、より強大な魔力をぶつける以外にない。
少女の攻撃はいうなれば、あふれ出した溶岩に槍一本で立ち向かうようなものだった。
それを理解しているからこそ、ナンパ男は笑った。勝利を確信しての笑みではない。単なる安堵の笑みだった。彼はただ恐れていただけなのだ。突然、自分の仲間を得体の知れない攻撃で吹き飛ばした攻魔師の少女を──
だが、そんな男の安堵の笑みは、一瞬で恐怖に塗り替えられる。
「な……!?」
銀の槍に貫かれた姿で、彼の眷獣が止まっていた。
少女が無言で槍を一閃する。切り裂かれた妖馬の巨体が揺らめき、跡形もなく消滅する。
それはロウソクの炎を吹き消すような呆気なさだった。眷獣の姿は完全に消えている。残ったのは焼け焦げたアスファルトだけだ。
「う……噓だろ!? 俺の眷獣を一撃で消し飛ばしただと!?」
使い魔を失ったナンパ男が、怯えたように後ずさる。しかし少女の表情は険しいままだ。
怒りのこもった瞳で男を睨みつけ、槍を構えて、硬直して動けない男へと突進する。そして銀色の槍が、男の心臓を貫こうとしたそのとき──
「ちょっと待ったァ!」
その槍の先端が、突然、跳ね上げられて軌道を変えた。
「えっ!?」
冷ややかに猛り狂っていた少女の目が、驚いたように見開かれた。
そこに立っていたのは古城だった。
見るに見かねて飛びこんできた古城が、ギリギリで槍を殴り飛ばして、少女の攻撃を止めたのだ。攻魔師と吸血鬼のケンカになんか割りこみたくはなかったが、さすがに命のやり取りを見過ごすことはできなかった。そこの吸血鬼の男だって、ナンパに失敗したくらいで中学生に突き殺されたくはないだろう。
「暁古城!? 雪霞狼を素手で止めるなんて……っ!」
攻魔師の少女が、愕然とした表情で後方に跳んだ。突然現れた古城を警戒するように距離を取り、近くに停めてあったワゴン車の屋根に着地する。
「おい、あんた。仲間を連れて逃げろ」
古城は忙しない口調で、背後に立ち尽くしているナンパ男に怒鳴った。
「これに懲りたら中学生をナンパするのはもうやめろよ。不用意に眷獣を使うのもな!」
「あ、ああ……す、すまん……恩に着るぜ」
男は青ざめた顔でうなずくと、気絶した仲間の身体を担いで去っていく。少女はそんな彼らの後ろ姿を、攻撃的な目つきで睨みつけていた。古城はやれやれと息を吐く。
「おまえもさ……どういうつもりか知らないけど、やりすぎだって。もういいだろ」
疲れたような古城の言葉を聞いて、少女はびくりと肩を震わせた。油断なく槍を構えたまま、彼女はむっつりと古城を睨む。そして非難がましい口調で言った。
「どうして邪魔をするんですか?」