古城はますます気怠い表情になって、
「邪魔っていうか、目の前で喧嘩してるやつらがいたら、普通止めようと思うだろ。だいたいおまえ、なんで俺の名前を知ってんだよ?」
「……公共の場での魔族化、しかも市街地で眷獣を使うなんて明白な聖域条約違反です。彼は殺されても文句を言えなかったはずですが」
「それを言うなら、あいつらに先に手を出したのはおまえのほうだろ?」
「そんなことは──」
冷静に反論しようとして、少女は途中で黙りこんだ。男たちと争いになった経緯を思い出したらしい。ほらな、と古城は強気な表情で少女を睨み、
「おまえが何者なのか知らないけど、ちょっとパンツ見られたくらいで、そんなもの振り回して殺そうとするのはあんまりだろ。いくら相手が魔族だからって──」
そこまで言ったところで、古城は自分の失言に気づいた。銀の槍を構えた少女が、蔑むような目つきで古城のことを睨んでいた。
「もしかして、見てたんですか?」
「あ、いやそれは……」
古城は言い訳を探して口ごもる。少女の立場で考えてみれば、古城は、ナンパされて困っている彼女を見捨てておきながら、市街地で暴れた魔族は助けた身勝手な男子と思われているのだろう。そして実際そのとおりなので釈明しようがない。
「でもほら、そんな気にするようなことじゃないだろ。中学生の下着になんか俺も興味ないし、なかなか可愛い柄だったし、見られて困るようなものでもないんじゃないかと……」
「…………」
あたふたと言い訳する古城を眺めて、少女が深く溜息をついた。しかし古城に向けた軽蔑の目つきはそのままだ。そしてその瞬間、まるでタイミングを見計らっていたかのように、離島特有の強風が、海沿いのショッピングモールを吹き抜けていった。
ワゴン車の屋根に立っていた少女のスカートが、ふわりと無防備に舞い上がる。
古城はそのままの姿勢で動きを止めた。無意識に視線が吸い寄せられて動かせない。
息苦しいほどの静寂が訪れる。
「なんでまた見てるんですか」
両手で槍を構えたままの姿勢で、少女が訊いた。
完全に硬直していた古城は、その声でようやく我に返って、
「いや、待て。今のは俺は悪くないだろ。おまえがそんなところに立ってるから──」
「……もういいです」
うろたえる古城を冷たく見下ろし、少女が醒めた声でそう言った。
彼女が構えを解くと、展開していた刃が格納され、槍は再びベースギターほどの大きさへと戻った。それを背中のケースへと戻し、少女は音もなく地上へと舞い降りる。
「あ、ちょっと……」
無言で立ち去ろうとする彼女に、古城はなんとなく声をかけてしまい、
「いやらしい」
少女は古城を一瞥してそう言い捨てると、今度こそ古城に背中を向けて走り去っていった。
「…………」
ぽつん、と一人残された古城は、パーカーのポケットに両手を突っこんだまま、近くの壁にもたれて息を吐く。
一方的にひどいことを言われたような気がしたが、不思議とあの少女に腹を立てる気分にはなれなかった。それはたぶん立ち去る直前の彼女が、顔を真っ赤にしていたせいだ。
冷静ぶっていても、しょせん中学生だよなあ、と思う。
眷獣の魔力を感知して、ここにもすぐに特区警備隊が来るだろう。島内の治安を維持するための、武装した攻魔官たちである。身に疚しいところがないとはいえ、こんなところに長居して巻きこまれたら面倒だ。
疲れた、と嘆息して、再び帰路につこうとした古城は、
「ん……?」
ふと道路上に落ちていたなにかに気づいて、眉をひそめた。
それは、白地に赤い縁取りのシンプルな財布だった。
二つ折りで、中は小銭入れと札入れに分かれている。札入れには千円札数枚と、万札が一枚。古城にとってはうらやましい金額だが、目が眩むほどの大金というわけではない。
カードホルダーに差しこまれていたのは、クレジットカードが一枚と学生証。
学生証には、ぎこちなく笑う少女の顔写真と、姫柊雪菜──という名前が刷りこまれていた。
4
やがて日が沈み、夜が過ぎる。そして朝を迎える。
鐘が鳴り続けている。過去から聞こえてくるかのような遠い鐘の音が。
第四真祖は夢を見ている。
崩れた天井からのぞく月が紅い。その月が照らす空も。古い城を取り巻く大地もまた、炎が紅く照らしている。その紅い空を背にしながら、小さな影が立っている。
逆巻く炎のような虹色の髪と、焰光の瞳を持つ影が。
おまえの勝ちだ、と影が告げる。その唇から血に濡れた白い牙がのぞいている。
約束を果たそう、と影が告げる。おまえの望みを叶えよう、と。
次はおまえの番だ、と影が告げる。その瞳が濡れている。紅く輝く瞳が涙に濡れている。
それは幾度となく繰り返し見た悪夢。
暁古城は夢を見ている。
浅い眠りのまま、夜が過ぎる。そして朝が来る──
耳元で鐘が鳴り続けていた。
古式ゆかしい、アナログ式目覚まし時計のベルの音だ。
暁古城は苦悶の息を吐き、その時計を手探りで黙らせる。
そしてもぞもぞと寝返りを打ちながら、再び安らかな眠りに戻ろうとしたところで、
「古城君、起きなよ。朝だよ。目覚まし鳴ってたし今日も追試あるんでしょ。朝ご飯、作ってあるから早く食べちゃってよ。洗い物片づかないし。お布団も干すから早くどいて」
早口でまくし立てられた挙げ句にシーツを奪われ、古城は、為すすべもなく狭いベッドから転げ落ちた。焦点の合わない目で見上げると、そこには見慣れた妹の姿がある。
大きな瞳が印象的な、表情の豊かな少女である。
結い上げてピンで止めた長い髪は、一見ショートカット風にも見える。
顔立ちや体つきはまだ少し幼い印象があるが、中学生の平均からは、そう大きく外れてもいないだろう。今朝の彼女は短パンにタンクトップというラフな恰好で、その上にオレンジ色のエプロンをつけている。
床に落ちたまま動かない兄を眺めて、凪沙は呆れたように腰に手を当てた。
「ほーらー、起きなよ。また寝不足? もしかして明け方まで試験勉強してたの? 南宮先生にあんまり迷惑かけちゃだめだよ。あと補習もサボらないでね。こないだみたいに職員室の掲示板に古城君の名前が貼り出されたりすると、凪沙が恥ずかしい思いをするんだからね。あ、もう、制服のズボンは脱いだらハンガーに掛けてっていつも言ってるのに」
途切れることのない妹のお小言を聞きながら、古城はのろのろと立ち上がる。
身内だからそう思うだけかもしれないが、凪沙は出来のいい妹だ。顔立ちもそれなりに可愛らしく、成績もそこそこ。家事全般も器用にこなす。
しかし、もちろん欠点もある。ひとつは病的なまでの清潔好きで、片づけ魔であること。そしてもうひとつは、この口数だ。
とにかく凪沙はよく喋る。誰に対してもそうするわけではないが、少なくとも心を許した家族に対しては容赦ない。ましてや口喧嘩では勝てる気がしない。
唯一の救いは凪沙が裏表のない性格で、他人の悪口は滅多に口にしないことだが、そのぶん怒らせたときは恐ろしい。中学時代、エロビデオを持って遊びに来たところをうっかり見つかってしまった矢瀬が、怒り狂った凪沙の苛烈な言葉責めによって、しばらく女性恐怖症になっていたほどである。
そんなことを思い出しながら、古城がぼんやりと窓の外を見ていると、
「──ねえ、古城君ってば、聞いてるの!?」
凪沙に早口で怒鳴られた。古城は慌てて姿勢を正す。
「ああ、悪い。なんだって?」
「もう……! だから、転校生だよ」
話を聞いていなかった兄に腹を立てたのか、凪沙が唇を尖らせる。
「……転校生?」
「うん。夏休み明けからうちのクラスに転校生が来るの。女の子。昨日、部活で学校に行ったときに先生に紹介してもらったんだあ。転校前の手続きに来てたんだって。すっごく可愛い子だったよ。そのうち絶対、高等部でも噂になると思うなあ」
「ふうん……」
古城は素っ気ない態度で聞き流す。いくら可愛くとも、相手は中学生。おまけに妹のクラスメイトだ。完全に古城の興味の対象外である。だがしかし、
「でね、古城君。その転校生ちゃんに、なんかした?」
「は? なんだそりゃ?」