第一章 魔術師は塔に降り立つ FAIR,_Occasionally_GIRL. ⑩

 最初に感じたのは、むしろ驚きよりも戸惑いだった。

 たむろする清掃ロボットの陰になっていて見えなかったのだ。うつ伏せに倒れたインデックスの背中──ほとんど腰に近い辺りが、真横にいつせんされている。まるでじようとカッターナイフを使って段ボールへ一直線に切り込みを入れたような刃物の傷。腰まである長い銀髪の毛先はれいに切りそろえられ、その銀髪も傷口からあふれ出す赤色に染め上げられていく。

 かみじようは一瞬、それを『人間の血液』と認識する事ができなかった。

 一瞬前と一瞬後。あまりにギャップのありすぎる現実リアルが、思考を混乱させた。真っ赤な真っ赤な……ケチャップ? 空腹でぶっ倒れる直前のインデックスが最後の力を振り絞ってケチャップでも吸っていたのかと、そんな微笑ほほえましい絵を想像して上条は笑おうとする。

 笑おうとしたけど、笑えない。

 そんな事、できるはずがない。

 三台の清掃ロボットがぎこぎこ音を立てて小刻みに前後する。床の汚れを掃除している。床に広がる赤色を、インデックスの体から溢れる赤色を。薄汚れたぞうきんで傷口をほじくり返すように、インデックスの体の中身を残らず吸い出すように。


「や、……めろ。やめろっ! くそ!!」


 ようやく上条の目が現実にピントを合わせた。重傷のインデックスに群がる清掃ロボットに慌ててつかみかかる。盗難防止のため無駄に重たい清掃ロボットは馬力もあって、なかなか引きがす事ができない。

 もちろん、清掃ロボットは『床に広がり続ける汚れ』を掃除しているのであって、直接インデックスの傷口には触れていない。それでも上条には清掃ロボットが腐りかけた傷口に群がる羽虫のように見えた。

 そこまで思っているのに。一台でさえ重たく馬力のある清掃ロボット、それが三台にもなるとすべてを引き剝がせない。一台に気を取られているとほかの二台が『汚れ』に向かってしまう。

 神様でも殺せる男のくせに。

 こんなオモチャをどかす事さえ、できない。

 インデックスは何も言わない。

 血の気を失って紫色になった唇は、呼吸しているかどうかさえ怪しいほどに動かなかった。


「くそ、くそっ!!」混乱した上条は思わず叫んでいた。「何だよ、一体何なんだよこれは!? ふざけやがって、一体どこのどいつにやられたんだ、お前!!」


「うん? 僕達『魔術師』だけど?」


 だから────だからこそ、背後からかかった声は、インデックスのものではない。

 殴りかかるように上条は体ごと振り返る。エレベーター……ではない。その横にある非常階段から、男はやってきたようだった。

 白人の男は二メートル近い長身だったが、顔は上条より幼そうに見えた。

 としは……おそらくインデックスと同じ十四、五だろう。その高い身長は外国人特有のものだ。服装は……教会の神父が着ているような、漆黒の修道服。ただしコイツを『神父さん』と呼ぶ人間は世界中を探しても一人として存在しないだろう。

 相手が風上に立っているせいか、十五メートル以上離れた上条の鼻にも甘ったるい香水のにおいが感じ取れる。肩まである金髪は夕焼けを思わせる赤色に染め上げられ、左右一〇本の指には銀の指輪がメリケンのようにギラリと並び、耳には毒々しいピアス、ポケットから携帯電話のストラップがのぞき、口の端では火のついた煙草たばこが揺れて、極めつけには右目のまぶたの下にバーコードの形をした刺青タトウーが刻み込んである。

 神父と呼ぶにも、不良と呼ぶにも奇妙な男。

 通路に立つ男を中心とした、辺り一帯の空気は明らかに『異常』だった。

 まるで今まで自分が使ってきた常識が全部通用しないような、まったくもって別のルールが支配しているような────そんな妙な感覚が氷の触手のように辺り一帯に広がっている。

 上条が最初に感じたのは、『恐怖』でもなければ『怒り』でもない。


『戸惑い』と『不安』。まるで言葉も分からない異国でサイフを盗まれたような、絶望的な孤独感。じりじりと、体の中へ広がる氷の触手のような感覚に心臓は凍り、上条は思い至る。

 

 


 一目で分かる。

 魔術師なんて言葉は今でも信じられないけれど、

 これは、間違いなく自分の住んでいる常識セカイの『外』の住人だという事が。


「うん? うんうんうん、これはまた随分と派手にやっちゃって」口の端の煙草たばこを揺らしながら魔術師はあちこち見回す。「かんざきったって話は聞いたけど……、まぁ。血の跡がついてないから安心安心とは思ってたんだけどねぇ」


 魔術師はかみじようとうの後ろでたむろしている清掃ロボットを見る。

 おそらくインデックスはどこか別の場所で『斬られて』、ここまで命からがら逃げてきた所で力尽きた。途中、辺りにべったりと鮮血をなすりつけただろうが、それらはすべて清掃ロボットがれいぬぐい去ってしまったのだ。


「けど、何で……」

「うん? ここまで戻ってきた理由かな。さあね、忘れ物でもしたんじゃないのかな。そういえば昨日背中を撃った時点では被り物フードがあったけど、あれってどこで落としたんだろうね?」


 目の前の魔術師は『戻ってきた』と言った。

 つまり、今日一日のインデックスの行動を追尾していた。そして修道服『歩く教会』の一部フードを忘れている事もつかんでいる。

 インデックスは『歩く教会』の魔力は探知サーチされている、とか言っていた。

 となると、この魔術師達はインデックスの『歩く教会』が持つ『異能の力』を感知して追い掛けていた訳だ。『歩く教会』が破壊された事を知っているのも、『信号』が途切れた事を知ったから───これも確かインデックスから聞いた。

 けど、それはインデックスも分かっていたはずだ。

 分かっていながら、それでも『歩く教会』の防御力に頼ってきたらしいんだから。

 けど、それなら彼女は一体何のためにここまで戻ってきた? 破壊されて使えもしない『歩く教会』の一部をどうして回収する必要がある? 上条の右手のせいでもう『歩く教会』全体そのものが使い物にならなくなったのなら、その一部フードを回収したって何の意味もないというのに……。



『……、じゃあ。私と一緒に地獄の底までついてきてくれる?』



 不意に、全てがつながった。

 上条は思い出す。上条の部屋に置き去りにした『歩く教会』の残骸フード。上条は、アレには触れていない。つまり被り物には魔力が残っている。それを探知して魔術師がやってきてしまうかもしれないと、彼女は考えた。

 だから、インデックスはわざわざ危険を冒して『戻ってきた』。


「……、ばっかやろう」


 そんな事する必要はないのに。『歩く教会』を壊したのはかみじようの不手際だし、部屋に忘れた被り物フードにしたって上条は気づいていながらわざと部屋に放置しておいた。そして何より───インデックスは、上条の人生を守り抜く義理も義務も権利だってありはしないはずなのに。

 それでも、彼女は引き返さなければ気が済まなかった。

 赤の他人の、出会って三〇分もっていない上条とうの事を。

 命をけて、魔術師達との戦いに巻き込ませないために。

 戻ってこなければ、気が済まなかった。


「───ばっかやろうが!!」


 ピクリとも動かないインデックスの背中が、妙にかんに障った。

 前に、上条の『不幸』はこの右手のせいらしい、という話をインデックスから聞いた。

 何でも『神様のご加護』とか『運命の赤い糸』とか、そういう微弱な『異能の力』さえ、右手は無意識の内に打ち消してしまっているらしい。

 そして、上条が不用意に右手で彼女に触れなければ、修道服『歩く教会』を壊していなければ、少なくても彼女が戻ってくる事はなかった。

 いや、良い。そんな言い訳はどうでも良い。

 右手が何だろうが『歩く教会』が壊れていようが、彼女がここに戻ってくる必要はなかった。

 上条が、『つながり』なんぞ求めなければ。

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