第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. ③

「──……星の位置と月の角度から見て……天狼星シリウス方向に誤差〇・〇三八で一致しました。それでは、確認します。現時刻は日本標準時間で七月二〇日午後八時三〇分でよろしいですね?」

「はい、正確には五三秒に入った所ですけどー……ってダメです起き上がっちゃあ!!」


 ボロボロの体をさらに自ら壊すように身を起こすインデックスを慌てて押し戻そうとするもえ先生だったが、インデックスの視線一つでビクンと動きを止められた。

 その視線はこわい訳でも、鋭い訳でもない。

 ただ、少女のひとみはスイッチをバチンと切ったように、感情の光が消え失せていた。

 気配がない。

 それこそ、まるで魂でも抜けてしまったように。


「構いません、再生可能です」インデックスは部屋中央のちゃぶ台に向かい、「……巨蟹宮カニざの終わり、八時から十二時の夜半。方位は西方。水属性ウインデイーネの守護、天使の役はヘルワイム……」


 ひっ、と小萌先生が息を飲む音が部屋中に響いた。

 あろう事か、インデックスは小さなちゃぶ台の上に、血まみれの指で図形のようなモノを描き始めたのだ。魔法陣という現物を知らなくても、それが宗教的な色を見せている事は分かる。ただでさえ気が弱い小萌先生は何かにされて声も出せなくなっていた。

 ちゃぶ台いっぱいに描いた血の円に、ぼうせいとかいう星型の記号。

 ただし、その周りにはどこの国のものかも分からない言葉がズラリと取り囲んでいる。おそらくインデックスがブツブツつぶやいている言葉だろう。星座や時刻を聞いていたのは、時間や季節によって描く文字が変わるからだ。


『魔術』を組み立てていくインデックスの姿には、にんの弱々しさはない。

 極度の集中力が、痛みという感覚を一時的に遮断しているようだった。

 ぼとぼと、と。彼女の背中で聞こえる流血の音色が小萌先生の背筋に静かな悪寒を走らせる。


「な、なななな……な、んですか。それ?」

「魔術」一言で断じた。「ここから先は、あなたの手を借りて、あなたの体を借ります。指示の通りにしてくだされば、だれも不幸にならなくて済むし、あなたも誰にも恨まれずに済みます」

「なっ、ナニ冷静に言ってるんですか!? いいから横になって救急車を待つんです! ええっと、包帯、包帯っと。このレベルの傷だと動脈の辺りを縛って血の流れを止めた方が……」

「その程度の処置では、私の傷を完全にふさぐ事は不可能です。救急車、という言葉の意味は分かりかねますが、それはあと十五分の間に完全に傷を塞ぎ、なおかつ体内の生命力マナを必要量、補完する事が可能ですか?」

「……、」


 確かに今から救急車を呼んでもここまで来るのに一〇分はかかると思う。病院まで往復すればその二倍、さらに病院に着いた瞬間に治療が完了する訳でもない。生命力マナ、というオカルト用語はいまいち分からないけど、傷をふさいだだけでは体力スタミナは回復しないのは間違いない。

 仮に針と糸を使って今すぐ傷を塞いだ所で、

 このあおざめた少女は、足りない体力が回復する前にすいじやくしてしまうんじゃないだろうか?


「お願いします」


 それなのに、インデックスは目の色一つ変えずにそう言った。

 ぼとぼと、と。口の端から、えきの混じったドロリとした鮮血を垂らしながら。

 そこには迫力もない。鬼気迫るものもない。だが、その『余裕』や『冷静』な様子がかえってこわかった。まるで壊れた機械を故障に気づかず動かしているように、彼女が何かするたびに傷を広げているような気がしてならないのだ。


(……、下手に抵抗させると、より一層危ない状態になりそうなのです)


 はぁ、ともえ先生はため息をついた。その目はもちろん魔術なんて信じていない。だが、かみじようから『意識を飛ばさないよう、とにかく話を続けろ』とくぎを刺されている。

 今は目の前の少女を刺激しないで、心の中で一刻一秒でも早く上条が救急車を呼んできてくれる事を、そして救急隊員が救急車の中で見せる応急処置の素晴らしさに期待するしかない。


「で、何をすれば? 先生、魔法少女ではないですよ?」

「ご協力に感謝します。まずは……そちらの、そちらの────何ですか、その黒いのは?」

「? ああ、ゲームのメモリーカードですー」

「??? ……まぁ、良いです。とにかくその黒いのをテーブルの真ん中に置いてください」

「テーブルじゃなくてちゃぶ台ですけどねー」


 小萌先生は言われた通りにちゃぶ台の真ん中にゲームのメモリーカードを寝かせる。続いてシャーペンのしんのケースを、チョコの空き箱を、文庫本を二冊置いていき、しよくがんの小さなフィギュアを二つ、並べて立たせる。

 何だこれと小萌先生は思うが、インデックスは今にもぶっ倒れそうなまま真剣そのもの。

 蒼ざめた顔に宿る日本刀のような眼光を前に、小萌先生の文句は消えていく。


「何なんです? 魔術というかー、これじゃただのお人形遊びです?」


 言われてみれば、この部屋の小さなミニチュアにも見える。メモリーカードはこのちゃぶ台で、立てた二冊の文庫本が本棚とクローゼット、そして二体のフィギュアはこの部屋の二人の位置にそっくり立っている。ガラスのビーズをちゃぶ台の上にばらくと、それは何だか床に散らばったビール缶の配置にピタリとシンクロしてしまう。


「素材は関係ありません。虫メガネのレンズは硝子ガラス製だろうが合成樹脂プラスチツク製だろうがモノを拡大する事ができるのと同じ……カタチと役割ロールが同じなら儀式は可能です」インデックスは汗だくのまま小さくつぶやき、「それより、こちらの指示を正確にこなしてくれると幸いです。手順を踏み違えた場合、あなたの神経回線と脳内回路を焼き切る恐れがありますので」

「???」

「失敗はあなたの肉体の破壊ミンチと死亡を意味している、と告げています。お気をつけください」


 ぶっ!? ともえ先生は吹き出しそうになったがインデックスは気にせず先に進んでしまう。


「天使を降臨ろして神殿を作ります。私の後に続き、唱えてください」


 インデックスが呟いたのは、もはや言葉ではなく『音』だった。

 小萌先生は鼻歌でも歌うような感じで、意味を考えずに『音色』だけとりあえず真似まねてみる。

 と、


「きゃあ!?」


 突然、ちゃぶ台の上のフィギュアが同じように『歌った』。きゃあ!? という悲鳴も全く同じタイミングで出てくる。フィギュアが震えたのだ。まるで糸電話の糸を伝わった『振動』が、紙コップの先で『声』になるように、フィギュアの振動が小萌先生の声を作っていた。

 ここで小萌先生がパニックを起こして部屋を飛び出さなかったのは、『学園都市』という二三〇万もの超能力者を抱える街に住んでいるからだろう。普通の人間ならまず錯乱するはずだ。


「リンクしました」インデックスの声もちゃぶ台の上から二重に聞こえる。「テーブルの上に造った『神殿』は、この部屋とリンクしています。簡潔に表現すれば、この部屋で起きた事はテーブルの上でも起きるし、テーブルの上で起きた事は部屋の中でも起きます」


 インデックスはちゃぶ台の足をわずかに押す。

 瞬間、ガゴン! とアパート全体が揺さぶられるような衝撃が小萌先生の足元を襲った。

 部屋の中のこもった空気が、まるで早朝の森の中のように澄んでいくのが分かる。

 ただし、『天使』なんてものはどこにもいない。見えない気配のようなモノだけがあった。まるで何千もの眼球に四方八方からじっとり観察されているような感覚が全身の肌を襲う。

 と、インデックスがいきなり叫んだ。


思い浮かべなさいイメージ! こんじきの天使、体格は子供、二枚の羽を持つ美しい天使の姿!」


 ───魔術を行う上で、領域フイールドを決める事は重要だ。

 例えば海に小石を投げても大した波紋にはならない。だが、バケツの中に小石を落とせば大きな波紋になる。それと同じ。魔術で世界をゆがめるなら、まず歪める場所フイールドを区切る必要がある。

 守護者とは、区切った小世界に置く、一時的な神様だ。

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