第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. ④

 コイツを上手く思い浮かべイメージ、固定化し、自在に操る事ができれば、それだけ限定された領域の中で『不思議な事』を行いやすくなる。

 ……なんて、そんな説明をすっ飛ばして『天使』とか言われても小萌先生には想像できない。金色のエンゼルなんて言われたら、金なら一枚銀なら五枚のアレぐらいしか思い浮かばない。

 と、ぐっちゃぐちゃの小萌先生のイメージに合わせるように、周囲の気配がさらにカタチを失った。まるで沼の底の腐ったどろが渦を巻いているような嫌悪感がもえ先生の背骨を襲う。


「とにかく思い浮かべなさい! これは本当に天使を呼んでる訳ではありません、ただの見えないマナの集まりです。術者のあなたの意思に従ってカタチを作り込んでいくのです!」


 よほど切羽詰まっているのか、あれだけ機械的れいせいだったインデックスの声が氷柱つららのように鋭い。

 そのひようへんぶりにびっくりした小萌先生は両目を閉じて、慌てて口の中でつぶやく。


(……かわいい天使かわいい天使かわいい天使)


 もやもやと。昔読んだ少女マンガに出てきた女の子の天使の姿を必死で思い浮かべる。

 と、部屋の中を漂っていた見えない泥のようなモノが、人のカタチをした風船の中にでも押し込まれていくようにカタチを作り上げていく……ような気がした。

 小萌先生は、恐る恐る両目を開けてみて、


(……あれ? 使


 一瞬、疑問に思った瞬間。

 バン! と、人のカタチをした水風船がはじけて、部屋中に見えない泥が飛び散った。


「きゃあ!!」

「……、カタチの固定化には、失敗」インデックスは鋭い眼で周囲を見回し、「……最低限青色別ブルーカラー水属性ウインデイーネで神殿を守護できれば構いません。……続けます」


 言葉こそ楽観的だが、正反対にインデックスの目は少しも笑っていない。

 まるで隠しておいた赤点のテストを親に見られたように小萌先生は思わずひるんでいた。


「唱えなさい。もう一言で終わります」


 鋭い命令は、混乱し思考を失いかけた小萌先生に取り乱す事さえ許さない。

 インデックスと小萌先生、そしてちゃぶ台の上の二つのフィギュアの四つが歌う。

 どろり、と。ちゃぶ台の上の、インデックスのフィギュアの背中が溶けた。

 まるでゴムをライターであぶったように、ドロドロと。溶けて、表面のおうとつを失い、滑らかになり、再び冷えて固まり、カタチを整えていく。

 ぎょっと。小萌先生は思わず心臓が凍りつくかと思った。

 今、インデックスはちゃぶ台を挟んで小萌先生の真正面に座っていた。

 彼女は、インデックスの後ろに回り込んで背中がどうなってるか、確かめる度胸はなかった。

 インデックスの青白い顔からは、あぶらのような汗があふれていた。

 ガラスのような眼球には、それでも痛みや苦しみといった光はともらない。


「───生命力マナの補充に伴い、生命の危機の回避を確認。『自動書記ヨハネのペン』を休眠します」


 バチン、と。

 スイッチを入れたようにインデックスのひとみに柔らかい光が戻る。

 まるで冷え切っただんに火を入れるように、部屋中が温かい雰囲気に包まれていく。

 そう感じてしまうほど、インデックスのひとみは優しく、温かく──ただの少女のものだった。


「あとは……降臨ろした守護者を帰して、神殿を崩せばおしまい」インデックスはつらそうな顔で笑いかけ、「魔術なんて、こんなもの。リンゴとアップルは同じ意味だよね、それと同じ。ガラスのつえがなくても、今ならビニール傘だって透明だもの。タロットカードもそう。絵柄と枚数さえ合っていれば、少女マンガの付録を切り抜いたって占いはできるんだよ?」


 インデックスの汗は止まらない。

 もえ先生はかえって怖くなってきた。まるで自分がやった余計な事で、さらにインデックスの体調が悪くなっていったんじゃないかと思い始めていた。


「大丈夫」インデックスは今にも崩れそうに、「風邪かぜといっしょ。治すには自分の体力がいるだけ。そのものはもうふさがってるから、平気」


 言った瞬間、インデックスの体が横に揺れてぶっ倒れた。フィギュアがコケる。ちゃぶ台がわずかに揺れて、リンクしている部屋全体がガゴンと巨大な震動に襲われる。

 思わずちゃぶ台を回って駆け寄ろうとする小萌先生に、インデックスは歌を歌った。

 小萌先生が真似まねして最後の歌を歌うと、異様な空気は再びこもったアパートの空気に戻った。小萌先生が試しに、おそるおそるちゃぶ台の足を揺らしてみても、もう何も起きない。

 よかった、と安心したように目を閉じて、インデックスはつぶやいた。

 ひんの重傷が治ればだれだってうれしいです? と小萌先生は思ったが、シスターはこう言った。



 小萌先生はびっくりしてインデックスを見た。


「……、


 夢見るように目を閉じるインデックスはそれ以上、何も言わない。この少女は背中をられて倒れている間も、得体の知れない儀式の間も、ずっと自分の事なんて考えてなかった。たった一人、傷ついたインデックスをここまで背負ってきた人間の事を考えていたのだ。

 小萌先生には、そんな風にモノを考える事はできない。考えられる人は、いない。

 だから、思わず一言だけ、聞いた。

 すでにインデックスは眠っていて、絶対に聞いていないと思っていたからこそ、聞いた。

 なのに。わからない、と。少女は両目を閉じたまま答えた。

 誰かをそういう風に思った事はないし、それがどういう感情かは分からない。だけど魔術師を相手に自分の事で命知らずに怒ってくれた時はい上がってでも逃がさなきゃって思ったし、魔女狩りの王イノケンテイウスに追われて逃げた後、もう一度戻ってきてくれた時には涙が出るかと思った。

 何だか良く分からないけど、いっしょにいると振り回されて何一つ思い通りに行かない。

 なのに、予想外なのがとても楽しくて、うれしい。

 これがどんな感情なのかは分からないけど、と。

 楽しい夢でも見るように目を閉じたまま笑って、今度こそインデックスは眠りに就いた。


    2


 一夜明けると、本当に風邪かぜと良く似た症状が出た。

 高熱と頭痛に襲われて、インデックスはすぐにぶっ倒れた。鼻水やのどの痛みがないのはウィルスによるものではなく、それはあくまで『足りない体力を補おうと』しているだけで、つまり免疫力を高める風邪薬をいくら飲んだ所で何の解決にもならないという事を意味していた。


「……、で? 何だって下ぱんつなんだお前」


 おでこにれタオルを載っけたインデックスはとんの中の蒸し暑さが許せないのか、片足を布団の横からかみじように向けて、でろっと飛び出させている。上は淡い緑色のパジャマのくせに根元まで見えているふとももは目がつぶれるぐらいまぶしい肌色で、熱のせいか桜色に上気している。

 もえ先生はおでこの上の生ぬるくなったタオルを水を張った洗面器にじゃぶじゃぶ突っ込みながら、上条の顔を半目でにらみつつ言った。


「……上条ちゃん。先生は、いくら何でもあの服はあんまりだと思いました」


 あの服、というのは安全ピンまみれの白い修道服の事だろう。

 それについては上条も全面的に賛成だが、着慣れた修道服を奪われたインデックスは不機嫌そうなネコみたいに見えた。


「……、ていうか。何だってビール好きで愛煙家の大人な小萌先生のパジャマがインデックスにピッタリ合っちまうんだ? 年齢差、一体いくつなんだか」


 なっ、と小萌先生(年齢不詳)は絶句しかけたが、インデックスが追い討ちをかけるように、


「……みくびらないでほしい。私も、流石さすがにこのパジャマはちょっと胸が苦しいかも」

「なん……、鹿な! バグってるです、いくら何でもその発言はめすぎです!」

「ていうかその体で苦しくなる胸なんかあったんか!?」

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