第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. ⑧

 それはまさに勘違いだった。かみじよう幻想殺しイマジンブレイカーは『異能の力』を相手にしない限り効果はゼロ。つまり学園都市の使でチカラを測る事ができない。よって、不幸にも上条は最強クラスの右手を持っているのに無能力レベル0扱いなのである。


「最悪、組織的な魔術戦に発展すると仮定しましょう。ステイル、あなたのルーンは防水性において致命的な欠点を指摘された、と聞いていますが」

「その点は補強済みだ。刻印ルーンはラミネート加工した。同じ手は使わせない」まるでトレーディングカードのような刻印を手品師のように取り出し、「今度は建物のみならず、周囲二キロに渡って結界を刻む……使用枚数は十六万四〇〇〇枚、時間にして六〇時間ほどで準備を終えるよ」


 現実の魔術はゲームのようにじゆもんを唱えてハイおしまい、という訳にはいかない。

 一見そう見えるだけで、裏では相当な準備が必要となる。ステイルの炎は本来『一〇年間月明かりをめたぎんろうきばで……』とかいう代物なので、これでも達人レベルの速度と言える。

 詰まる所、魔術戦とは先の読み合いだ。戦闘が始まった時点ですでに敵の結界ワナにはまっていると考え、受け手は相手の術式ワナを読み、逆手に取り、さらに攻め手は反撃を予測して術式を組み直す───単純な格闘技と違い、常に変動する戦況を一〇〇手二〇〇手先まで読む所を考えると、それは『戦闘』という野蛮な言葉とは裏腹な、とてつもない頭脳戦と呼べる。

 そういう意味でも、『敵の戦力は未知数』というのは魔術師にとって大きな痛手だった。


「……、楽しそうだよね」


 と、不意にルーンの魔術師は双眼鏡も使わず、六〇〇メートル先を見てつぶやいた。


「楽しそう、本当に本当に楽しそうだ。あの子はいつでも楽しそうに生きている」何か、重たい液体でも吐き出すように、「……僕達は、一体いつまでアレを引き裂き続ければ良いのかな」


 神裂はステイルの後ろから、六〇〇メートル先を眺める。

 双眼鏡や魔術を使わなくても、視力八・〇の彼女には鮮明に見える。何か激怒しながら少年の頭にかじりついている少女と、両手を振り回して暴れている少年の姿が窓に映っている。


「複雑な気持ちですか?」神裂は機械のように、「

「……、いつもの事だよ」


 炎の魔術師は答える。まさしく、いつもの通りに。


    3


 おっふろ♪ おっふろ♪ と上条の隣で、両手に洗面器を抱えたインデックスは歌っていた。

 病人をやめました、と言わんばかりにパジャマから安全ピンだらけの修道服に着替えている。

 一体どんなマジックを使ったのか、血染めの修道服はキッチリ洗濯されていた。ていうか、あんな安全ピンまみれの修道服、洗濯機に放り込んだら五秒でバラバラになると思う。まさか一度分解してパーツごとに洗ったんだろうか?


「何だよそんなに気にしてたのか? 正直、においなんてそんな気になんねーぞ?」

「汗かいてるのが好きな人?」

「そういう意味じゃねえッ!!」


 あれから三日って、ようやくあちこち出歩けるようになった彼女の願いが風呂それだった。

 ちなみにもえ先生のアパートには『』などという概念は存在しなかった。管理人室のモノを借りるか、アパートよりにあるボロッボロの銭湯へ行くという究極の二択しかなかった。

 そんなこんなで、洗面器を抱えて夜の道を歩く若い男女が一組。

 ……一体いつの時代の日本文化なんでしょーねー、と銭湯システムの事を笑いながら説明していた小萌先生は、相変わらず何の事情も聞かずにかみじよう達の事をアパートに泊めてくれた。上条としても敵にマークされた学生寮にのこのこ戻る訳にはいかないのでそうろう状態である。


「とうま、とうま」


 人のシャツの二の腕を甘くみつつインデックスはややくぐもった声で言う。嚙み癖のある彼女にとって、どうやらこれは服を引っ張ってこっち向かせる、ぐらいのジェスチャーらしい。


「……何だよ?」


 上条はあきれたように答えた。『そう言えば名前しらない』と言うインデックスに今朝、自己紹介してから、かれこれ六万回ぐらい名前を呼ばれまくったからだ。


「何でもない。用がないのに名前が呼べるって、なんかおもしろいかも」


 たったそれだけで、インデックスはまるで初めて遊園地にきた子供みたいな顔をする。

 インデックスの懐き方が尋常ではない。

 まぁ、原因は三日前のアレだろうが……上条はうれしいと思うより、今まであんな当たり前の言葉すらかけてもらえなかったインデックスの方に複雑な気持ちを抱いてしまう。


「ジャパニーズ・セントーにはコーヒー牛乳があるって、こもえが言ってた。コーヒー牛乳って何? カプチーノみたいなもの?」

「……んなエレガントなモン銭湯にはねえ」あんま期待をふくらませるな、と上条は言って、「んー、けどお前にゃデカい風呂は衝撃的かもな。お前んトコイギリスってホテルにあるみたいな狭っ苦しいユニットバスがメジャーなんだろ?」

「んー? ……その辺は良く分かんないかも」


 インデックスは本当に良く分からないという感じで小さく首をかしげた。


「私、気がついたら日本こつちにいたからね。向こうの事はちょっと分からないんだよ」

「……ふうん。何だ、どうりで日本語ぺらぺらなはずだぜ。ガキのころからこっちにいたんじゃ、お前ほとんど日本人じゃねーか」


 それだと、『イギリス教会まで逃げ込めば安全』という言葉の方が微妙になってくる。てっきり地元に帰るのかと思いきや、実はまだ見た事もない異国に出かける訳だ。


「あ、ううん。そういう意味じゃないんだよ」


 と、インデックスは長い銀髪を左右に流すように首を振って否定した。


「私、生まれはロンドンでセントジョージ大聖堂の中で育ってきたらしいんだよ。どうも、こっちにきたのは一年ぐらい前から、らしいんだね」

「らしい?」


 かみじようあいまいな言葉に思わずまゆをひそめた所で、


「うん。一年ぐらい前こつちにきたときから、記憶がなくなっちゃってるからね」


 インデックスは、笑っていた。

 本当に、生まれて初めて遊園地にやってきた子供のように。

 その笑顔がかんぺきだからこそ、上条には、その裏にある焦りやつらさが見て取れた。


「最初に路地裏で目を覚ました時は、自分の事も分からなかった。だけど、とにかく逃げなきゃって思った。昨日の晩ご飯も思い出せないのに、魔術師とか禁書目録インデツクスとかとか、そんな知識ばっかりぐるぐる回ってて、本当に怖かった……」

「……じゃあ。どうして記憶をなくしちまったかも分かんねーって訳か」


 うん、という答え。上条だって心理学はサッパリ分からないが、ゲームやドラマじゃ記憶喪失の原因なんて大体二つに限られてくる。

 記憶を失うほど頭にダメージを受けたか、心の方が耐えられない記憶を封印しているか。


「くそったれが……」


 上条は夜空を見上げて思わずつぶやいた。こんな女の子にそこまでする魔術師達に対する怒りもあるが、せんのない事とはいえ自分に対する無力感が襲ってくる。

 インデックスが異常に上条をかばったり懐いたりする理由も分かってきた。何も分からずに世界に放り出されて一年、ようやく会えた最初の『知り合い』が

 上条は、それをうれしいとは思えなかった。

 だか知らないが、『答え』は上条をひどくイライラさせる。


「むむ? とうま、なんか怒ってる?」

「怒ってねーよ」ギクリとしたが、上条はシラを切った。


「なんか気に障ったなら謝るかも。とうま、なにキレてるの? 思春期ちゃん?」

「……その幼児体型からだにだきゃ思春期とか聞かれたくねーよな、ホント」

「む。何なのかなそれ。やっぱり怒ってるように見えるけど。それともあれなの、とうまは怒ってるふりして私を困らせてる? とうまのそういう所は嫌いかも」

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