第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. ⑩

 ドズン、と音を立てて上条の後ろで切り裂かれた風力発電のプロペラが地面に落ちた。

 本当にすぐそばにプロペラのざんがいが落下したというのに、それでも上条は動けなかった。


「……、ッ!」


 あまりの切れ味に上条は思わず奥歯をみ締める。

 神裂は、閉じていた片目をもう一度開いて、


「もう一度、問います」神裂はわずかに両の目を細め、「魔法名を名乗る前に、彼女を保護したいのですが」


 神裂の声には、よどみがない。

 まるで、この程度の事で驚くなと言わんばかりの、冷たい声だった。


「……な、なに、言って──やがる」


 足の裏に接着剤を塗ったように、前へ進むどころか後ろへ退く事さえできない。

 フルマラソンを走り終えた後のように両脚がガクガクに震え、力が抜けていくのが分かる。


「テメェを相手に、降参する理由なんざ───」

「何度でも、問います」


 シユン、とほんの一瞬だけ、何かのバグみたいにかんざきの右手がブレて、消える。

 ごう! という風のうなりと共に、恐るべき速度で何かが襲いかかってきた。


「!?」


 まるで、四方八方から巨大なレーザー銃を振り回されるような錯覚。

 それは、例えるなら真空刃で作り上げた巨大な竜巻。

 かみじようとうを台風の目にして、地面アスフアルトが、街灯が、一定の間隔で並ぶ街路樹が、まとめて工事用の水圧カッターで切断されるように切り裂かれた。宙を舞った握りこぶしほどもある地面の欠片かけらが上条の右肩に当たり、それだけで上条は吹っ飛ばされて気絶しそうになる。

 上条は右肩を押さえながら、首ではなく視線だけで辺りを見回す。

 一本。二本、三本四本五本六本七本───都合七つもの直線的な『刀傷』が平たい地面の上を何十メートルに渡って走り回っていた。様々な角度からランダムに襲う『刀傷』は、まるで鋼鉄の扉になまづめがす勢いで傷をつけているようにも見える。

 チン、という刀が鞘に収まる音。


「私は、魔法名を名乗る前に彼女を保護したいのですが」


 右手を刀のつかに触れたまま、神裂は憎悪も怒りもなく、本当にただの『声』を出した。

 七回。たった一度のざんげきさえ見えなかったのに、あの一瞬で七回もの『居合いり』を見せた。それも、その気になれば七回が七回とも上条の体を両断できる、必殺の七回。

 いや、刀がさやに収まる金属音は一度きりだ。

 おそらく魔術というだ。たった一度の斬撃の射程距離を何十メートルにも引き伸ばし、たった一度刀を抜いただけで七つの太刀たちすじを生むような『魔術』があるのだ。


「私のしちてんしちとうが織り成す『ななせん』の斬撃速度は、一瞬と呼ばれる時間に七度殺すレベルです。人はこれを瞬殺と呼びます。あるいは必殺でも間違いではありませんが」


 上条は無言で、右手を押しつぶす勢いで握り締めた。

 この速度と威力、そして射程距離。おそらくあの斬撃には魔術という名の『異能の力』がかかわっている。ならば、あの『太刀筋』そのものに触れる事ができれば、


「絵空事を」思考が、遮られた。「ステイルからの報告は受けています。あなたの右手はか魔術を無効化デイスペルする。ですが、それはあなたが右手で触れない限り不可能ではありませんか?」


 ───そう、触る事ができない限りかみじようの右手は何の意味も持たない。

 単なる速度だけではない。鹿正直に一直線なさかこと雷撃の槍ビリビリ超電磁砲レールガンと違い、変幻自在のかんざきおりななせんねらいを先読みする事もできない。上条が幻想殺しイマジンブレイカーを使おうものなら、七つの太刀筋は迷わず上条の腕を輪切りにする事だろう。


いくでも、問います」


 神裂の右手が、静かに腰のしちてんしちとうつかへと触れる。

 上条のほほを冷や汗が伝った。

 この『気まぐれ』が終わり、神裂が本来通り殺しにかかったら上条は間違いなく一瞬で八つに分断される。何十メートルという射程距離、街路樹をまとめて輪切りにする破壊力を考えれば、後ろへ逃げたり何かを盾にする、という考えは自殺行為にしかならない。

 上条は神裂との距離を測る。

 おおよそ一〇メートル。筋肉を引きる勢いで駆ければ四歩で相手の懐へ飛び込める距離。

 ……、動け。

 瞬間接着剤にい留められたような両足に、上条は必死に命令を送る。


「魔法名を名乗る前に、彼女を保護させてもらえませんか?」


 ……うごっ……け!!

 バギン、と。地面に張り付いた両足を無理矢理引きがすように、一歩前へ踏み込んだ。神裂のかたまゆがピクンと動く前に、上条は弾丸のように次の一歩を爆発させた。


「おおっ……ぁあああああああああ!!」


 続いてさらに一歩。後ろへ逃げる事も左右へける事も何かを盾にする事もできなければ、残るは一つ──前へ進んで道を切り開く他に方法がない。


「何があなたをそこまで駆り立てるのかは分かりませんが……、」


 神裂は、あきれよりも、むしろ哀れみの色が混じるため息を吐き出して、


 七閃。


 その時、辺りには砕かれた地面アスフアルトや街路樹の細かい破片がすなぼこりのように漂っていた。

 ごう! という風のうなりと共に砂埃が上条の眼前で八つに切断された。


「ぁ、──────オオッ!!」


 右手で触れれば消せる──頭では理解しても、心がとっさに回避を選んだ。頭を振り回すような勢いで身をかがめ、頭上を通りすぎる七つの太刀たちすじに心臓が凍える。

 計算も勝算もない。避けられたのは単純にたまたま運が良かっただけ。

 そして、さらに一歩──四歩の中の三歩目を一気に踏み出す。

 七閃がどれだけ得体の知れない攻撃だとしても、その基本は『居合り』だ。さや走りを滑走路にして、一撃必殺のざんげきを繰り出す古式剣術。それは逆に言えば、刀身がさやから抜けている間は居合りを使えない無防備な『たい』という事だ。

 次の一歩でかんざきの懐へ飛び込めば────勝てる。

 そう思ったかみじようの最後の余裕は、チン、という小さな音によってじんに撃ち砕かれた。

 鞘に収めた刀が立てる───あまりにも速すぎる、ほんの小さな金属音に。


 ななせん


 ごう! と上条のすぐ目の前で、ゼロ距離とも呼べるほど間近で。

 体の反射神経がとっさにけようとする前に、七つの太刀たちすじが上条の目の前に迫る。


「ち、くしょ……ぁああああああああ!!」


 攻撃という前向きなモノより、顔の前に飛んできたボールをとっさに受け取るような後ろ向きなモノで上条は目の前の太刀筋に向かって右手のこぶしを突き出す。

 それが『異能の力』であるならば、上条の右手は神や吸血鬼の力さえ消し飛ばす。

 ゼロ距離という事もあってか、七つの太刀筋はバラけず一つに束ねて上条へと襲いかかった。これならたった一度の幻想殺しイマジンブレイカーで七つすべてを吹き飛ばす事もできる。


 月明かりに青く光る太刀筋が、上条の拳を作る指の皮膚に優しく触れて、

 


「な……ッ!?」


 消えない。幻想殺しイマジンブレイカーを使ってもこの鹿げた太刀筋は消えてくれない。

 上条はとっさに手を引こうとする。だが間に合わない。そもそも飛んでくる日本刀の一撃に自ら手を差し出し、すでに太刀筋は上条の右手に触れてしまっているのだから。

 神裂はそんな上条の姿を見てほんのわずかに目を細めて、

 次の瞬間、辺り一面に肉を引き裂く水っぽい音が鳴り響いた。

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