第二章 奇術師は終焉を与える The_7th-Egde. ⑪

 上条は血まみれの右手を左手で押さえつけ、その場でヒザを折ってかがんでいた。

 驚く事に、上条の五本の指はまだ切断されずにつながっていた。

 もちろんそれは上条の指が頑丈な訳でも、神裂の腕が鈍い訳でもない。上条の体が切断されなかったのは単純に、またもや手加減に加減を加えて見逃された、というだけだった。

 上条はヒザをついたまま、頭上を見上げる。

 真円の青い月を背負う神裂の目の前に、何か赤い糸のようなモノがあった。

 それはクモの糸のように見える。まるでつゆれたクモの巣のように、上条の血がついて初めて目に見えるようになった────七本の、鋼糸ワイヤー


「なんて、こった……」かみじようみして、「……そもそも魔術師じゃなかったのか、アンタ」


 あの馬鹿長い刀はただの飾りだったのだ。

 刀を抜いた瞬間さえ見えないのも無理はない。そもそもかんざきは刀を抜いていない。ほんのわずかにさやの中で刀を動かして、再び戻す。その仕草で、七本の鋼糸を操る手を隠していたのだ。

 上条の手が無事だったのは、五本の指が輪切りにされる直前に神裂が鋼糸をゆるめたからだ。


「言ったはずです。ステイルから話を聞いていた、と」神裂はつまらなそうに、「これで、分かったでしょう。力の量ではなく質が違います。ジャンケンと同じです、あなたが一〇〇年グーを出し続けた所で、私のパーには一〇〇〇年っても勝てません」

「……、」


 上条は血まみれのこぶしを、握る。


「何か、勘違いしているようですが」神裂はむしろ痛々しそうな目を向けて、「私は何も自分の実力を安い七閃トリツクでごまかしている訳ではありません。しちてんしちとうは飾りではありませんよ、ななせんをくぐり抜けた先には真説の『ゆいせん』が待っています」

「……、」


 血まみれの拳を、握る。


「それに何より────、私はまだ魔法名を名乗ってすらいません」

「……、」


 握る。


「名乗らせないでください、少年」神裂は、唇を嚙んで、「私は、もう二度とアレを名乗りたくない」


 握った拳が震えた。コイツはステイルとは明らかに違う、一発芸だけの人間ではない。基本の基本、基礎の基礎、土台の土台から上条とは全く作りが違う人間なのだ。


「……、降参、できるか」


 それでも、上条は握った拳を開かなかった。もう、感覚もない右手を、握る。

 インデックスは、コイツに背中をられたって上条を助けるために降参しなかった。


「何ですか? ……聞こえなかったのですが」

「うるせえっつったんだよ、ロボット野郎!!」


 上条は血まみれの拳を握り締め、目の前にいる女の顔面を殴り飛ばそうとする。

 が、それより前に神裂のブーツのつまさきが上条の水月みぞおちに突き刺さった。肺にめ込んだ空気がすべて口から吐き出されると同時、顔の横をしちてんしちとうくろさやで野球のバットみたいに殴り飛ばされる。竜巻のように体が回り、上条は肩から地面へたたきつけられた。

 痛みにうめき声をあげる前に、上条は自分の頭を踏みつぶそうとするブーツの底を見た。

 とっさに避けようと、横へ転がった所で、


ななせん


 声と同時、七つのざんげきかみじようの周りの地面アスフアルトを粉々に砕いた。四方八方からの爆発で細かい破片が爆弾のように吹き飛び、上条の全身に豪雨のようにぶち当たった。


「ごっ…ぁ……ッ!?」


 まるで五、六人にリンチされたような激痛に、上条はその場でのた打ち回る。そんな上条の前に、カツコツとブーツの底で地面を叩くようにかんざきは近づいてくる。

 立ち上がらなくては……と思うのに、足は疲れきったように動いてくれない。


「もう、良いでしょう?」むしろ痛々しそうな、小さな声だった。「あなたが彼女にそこまでする理由はないはずです。ロンドンでも十指に入る魔術師を相手に三〇秒も生き残れれば上等です、それだけやれば彼女もあなたを責める事はしないでしょう」

「……、」


 ほとんどもうろうとする意識で、上条は思い出す。

 そうだろう、インデックスなら上条が何をした所で責めたりするはずがない。

 だけど、と上条は思う。

 だからこそ、彼女がだれも責めずに一人で耐え続けるからこそ、上条はあきらめたくないのだと。

 あんなにつらそうな顔で、あんなにかんぺき微笑ほほえむ少女を、助けてやりたいと。

 死にかけの昆虫みたいに、壊れた右手を無理矢理に握り締める。

 まだ、体は動いてくれた。

 動いて、くれた。


「……、何でだよ?」


 上条は崩れ落ちたまま小さくつぶやいた。


「アンタ、すごくつまんなそうだ。アンタ、あのステイルとかってヤツとは違うんだろ。アンタ、敵を殺すのためらってんじゃねーか。その気になれば全部が全部、おれを必殺できたくせに、。……アンタはまだ、そこでだけの常識ある『人間』なんだろ?」


 神裂は、何度も何度も聞いてきた。

 魔法名を名乗る前にすべてを終わらせたい、と。

 ステイル=マグヌスと名乗ったルーンの魔術師は、そんなためらいなどじんも見せなかった。


「……、」


 神裂おりは黙り込んだ。激痛で意識が朦朧とする上条はそんな事にも気づけない。


「なら、分かんだろ? 寄ってたかって女の子が空腹で倒れるまで追い回して、刀で背中って、そんな事、許されるはずないって、もう分かっちまってんだろ?」


 血を吐くような言葉に、神裂は何もできずに耳を傾け続ける。


「知ってんのかよ。アイツ、テメェらのせいで一年ぐらい前から記憶がなくなっちまってんだぞ? 一体全体、どこまで追い詰めりゃそこまでひどくなっちまうんだよ」


 返事は、ない。

 かみじようには、分からない。不治の病の子供のためでも良い、死んでしまった恋人のためでも良い。何か『望み』があってインデックスをねらうなら、一〇万三〇〇〇冊を手に入れて世界の全てルールゆがめる(らしい)『魔神』になろうと言うなら、まだ分かる。

 けど、コイツは違う。

 コイツは『組織』の一人なのだ。言われたから、仕事だから、命令だから。そんな一言で、たった一言だけで、一人の女の子を追い駆け回して背中をるなんて常軌を逸している。


「何で、だよ?」


 上条は繰り返した。歯を食いしばるように、


おれはさ、テメェの命張って、死にもの狂いで戦って──それでもたった一人の女の子も守れねーような負け犬だよ。テメェらに連れ去られるのを、指をくわえて地面にいつくばって見ている事しかできねー弱者だよ」


 今にも泣き出しそうに、まるで子供のように。


「だけど、アンタは違うんだろ?」


 自分が何を言ってるかも分からずに、


「そんな力があれば、だれだって何だって守れるのに、何だって誰だって救えるのに」


 自分が誰に言ってるかも分からずに、


「……何だって、そんな事しかできねえんだよ」


 言った。

 悔しかった。

 それだけの力があれば、上条は守りたいモノを全て守り抜く事ができると思えるのに。

 悔しかった。

 そんなにも圧倒的に強い人間が、女の子一人を追い詰める事にしか力を使えない事が。

 悔しかった。

 まるで、今の自分はそれ以下の人間だと言われているみたいで。

 悔しくて、涙が出るかと思った。


「……、」


 沈黙に、沈黙を重ねた沈黙。

 上条の意識がハッキリしていれば、間違いなく驚いていただろう。


「……、私。だって」


 追い詰められていたのは、かんざきの方だった。

 たった一つの言葉だけで、ロンドンで一〇本の指に入る魔術師は追い詰められていた。


「私だって、本当は彼女の背中を斬るつもりはなかった。あれは彼女の修道服『歩く教会』の結界が生きていると思ったから……絶対傷つくはずがないからっただけ、なのに……」


 かみじようは、かんざきの言っている言葉の意味が分からない。


「私だって、好きでこんな事をしている訳ではありません」


 けれど、神裂は言った。


「けど、こうしないと彼女は生きていけないんです。……死んで、しまうんですよ」


 神裂おりは、泣き出す前の子供みたいに言った。


「私の所属する組織の名前は、あの子と同じ、イギリス教会の中にある───


 血を吐くように、言った。


「彼女は、私の同僚にして─────大切な親友、なんですよ」

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